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死刑廃止に関してアムネスティに寄せられた質問と、それに対するメンバーの回答です。
アムネスティに対する質問 その1
極端な悪事をした人間はやはり極刑に処するというのが何度考えても妥当だと思います。
日本では死刑の次に重い刑は無期懲役でしょ。それは許されないのではないでしょうか。たとえば最近では山口母子殺人事件などを考えてみても、自分の身に置き換えるとわかると思います。被害者の遺族、Mさんの身になってください。人間だったらとても死刑廃止なんてことは言えないと思います。それを言うんだったらこういう極端な悪人がなぜ命を助けられねばならないか、なるほどという納得のいく説明をすべきだと思います。
加害者の不幸な生い立ちなどは理由にならないと思います。不幸な生い立ちをばねにして大きくはばたいている人は何人もいますからね。それと命の尊さなんかも理由としては弱いと思います。人の命を虫けらのように奪ったものが人の命の尊さを言う程むなしいものはありませんからね。それと国際的にそういう傾向にあるというのも秋風のようにむなしく聞こえますね。
あなた方は死刑廃止を唱える限りそういう普通の人間の考えに納得の行く説明をする必要があると思うのですがいかがですか。
回答
死刑に関するご意見、ご質問ありがとうございます。
私たちは、死刑という刑罰が問題だらけの刑罰だと考えています。もちろん、重大な犯罪を犯した人間に、厳しい刑罰を与えることに異論はありません。しかし、処刑を担当する刑務官などのこと、誤判のこと、考えれば考えるほど、こんな恐ろしい刑罰はあってはならないと思うのです。
女性を強姦して殺し、なおかつ年端も行かないその子どもの命まで奪う、こんな人間は殺してやりたい。私だってそう思います。赤の他人でもそう思うのですから、被害者の遺族の方の気持ちはいかばかりでしょうか。そして、あなたが同じように思うのも、また至極当然だと思います。
でも、殺してやりたいと思うことと、実際に殺して良いかは、別の問題です。
もし、あなたの友人の家族が殺されて、その友人が犯人をその手で殺そうとしたらあなたはどうしますか? お前の気持ちはよく分る。殺してしまえ。俺も手伝ってやる。と言うでしょうか。それとも、お前の気持ちはよく分る。でも殺してはいけない。我慢しろ。と、止めるでしょうか。
あるいは、あなた自身の肉親が殺された時、あなたに犯人を殺せというのが友でしょうか、それとも止めてくれるのが友でしょうか。
いかに極悪非道な行いをした人間であるからといって、私達にその人間の命を奪う権利があるのでしょうか。死刑が、それ自体、またあらたな殺人であることは、否定のしようがありません。死刑を認めるということは、私達が殺すということです。自分が殺すということです。私達は、なぜ殺人を犯しても良いのですか。その殺人を誰かに(刑務官に)押し付けても良いのですか。
死刑は、悪人に彼が犯した罪と同じ目をあわせるだけだと言われるかもしれません。では、暴力犯は皆で殴って良いのですか。放火犯の住居は燃やして良いのですか。轢き逃げ犯は轢き殺して良いのですか。
カール・B・レーダーの「死刑物語」によれば、死刑の起源は血の復讐と人身御供にあると言います。死刑は、理性的な司法の手段ではないのです。
かつて刑罰には、鞭打ちや手足の切断といった身体刑がごく普通にありました。しかし、こうした刑は、残虐であり容認しがたいものだと人々は考えるようになり、今ではごく一部の地域を残してほとんど世界からなくなりました。
死刑もかつてはどこの国でもある刑罰でしたが、20世紀において廃止する国が相次ぎ、もはや世界の半数を超える国で行われていません。死刑は、身体刑と同じ運命をたどりつつあります。死刑廃止が国際的傾向にあるというのは、こうした残虐な行為を刑罰とすることはやめようという人類の決断なのです。
今、私達は、江戸時代にあった磔や火あぶりの刑を異常で残虐な刑罰と感じます。100年後の私達の子孫は、今行われている絞首刑を同じように感じるでしょう。
(回答担当: T )