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今日の”グローバリスト”に通じる米英派=<民主派>を背景にして、日本で「亡命政権」を樹立する寸前だった金大中氏と連動するように、日本も又政界再編(三木派+社公民)へ突き進もうとしていました。 こちらの方は「椎名裁定」で一端封じられますが、「金大中氏拉致」も先ずはこの動きを封じる為、といってよいでしょう。 しかしながら、その経過を見ればそれ以外の狙いが透けて見えます。 これは、元々、金大中氏を排除することにも益して、「KCIAが拉致した」事を強く印象付けることの方に力点が置かれていたのではなかったか?
映画「KT」は実行犯の大使館員(KCIA要員)が指紋をわざと付ける行為を「自己保身の為」としていますが、事件後直ぐに海外逃亡するのであればわざわざそのような「証拠」を残す必要は無いわけで、指紋を残すことも海外逃亡も最初から「計画」の中に入っていた、と考えるのが寧ろ自然でしょう。
ーとなれば、何故この時期、「KCIAによる犯行」=「韓国による日本の主権侵害」を日本国民に強烈に印象付ける工作が為されたのか?ということこそ問われなければならない。 それは、この「工作」によって誰が打撃を受け、何がマイナスになったのか?を問うてみればいい。 事件の責任を取ってKCIA部長を辞めた李厚絡氏は勿論ですが、何より朴政権そのものが打撃を受け、日韓関係に深刻なマイナスになったーちょうど、その直後の「日本人拉致」が北朝鮮に打撃を与え、日朝関係が修復不能になったように!
日韓関係と日朝関係を破壊する、つまりは日本と朝鮮半島を分断する!ーもしこれらが一連の作戦=計画であったとするなら、一体何故この時期にそれは為されたのか?
田中外交が、<北進>=中ソとの関係改善と<南進>=東南アジア諸国歴訪(友好強化)の両面を狙った、独自の「地政学的な対応」であったならば、「南北共同声明」以降の韓国・北朝鮮も、それに何処かで共鳴・共振を起こしたものであったーのではないか?
当時、朴正熙氏は韓国に(中華民国の様な)<総統制>を敷こうとしていたのはほぼ確実視されていますが、同時期、北朝鮮も、それまでのソ連型(首相)の政治体制から、中国型(主席)に変えています。 そうして敷いたのが<十月維新体制>(恐らくは昭和維新を準えたもの)。 もしそれが「南北共同声明」時の密約に依るとしたら、これらの示すものは、朝鮮半島においての「欧米(型)からアジア(型)への回帰」と呼べるのではないか?
そうしてこれをアメリカ及びその手先から見ると、ヨーロッパと同じ様に、アジアも次第に連帯へ動いている、と見えたでしょう。
従って、この動きを何としても阻止し、その中心に居る田中角栄氏と朴正熙氏を排除するー70年代に、北東アジアに起きた政治上の数々の「事件」の核心にその事を置いてみれば、これまでとは丸で違う光景が見えてくるはずです。