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ところで、この田中外交に連動する形で素早く対応したのが韓国朴政権でした。
日中共同声明に対しての南北共同声明。 南北共同声明はその後反故になったと思われていますが、そんなことは全く無く、その後の政権の対北姿勢も、実は、不変でした。
即ち表向き対立しても裏ではしっかり結び付く、北の核を巡る対応に端無くも顕われてる様に、本来であれば、我々以上に、直接の脅威を感じてもいいはず(かの”不審船”騒動の折り、第二次朝鮮戦争必須か?と騒がれてから、まだ10年も経っていないのです)
にも拘らず、全くと言ってよい程北への不安が高まらないのは、「北の核は南に向けられたものではない」ことを国民レベルで確信しているからで、つまりは「北は安保上の対象ではない」ことが、韓国の与野党問わず、共有されているからに他ならないのです。
無論こういった事は、一朝一石で出来るものではなく、長い間の積み重ねがあったから、と見るべきです。
かくして、”太陽政策”と言われるものの別の側面が見えてきます。 単なる”融和政策”ではなく、朴政権以来秘密裏に続いていた南北協調路線、言うならば「密約路線」というべき日陰の関係を明るみに出し、お天道様の下で堂々と掲げていく、ということです。
確かに、そういう点では、金大中氏は比類なき成果を上げましたが、他方、一身を犠牲にして、その種を蒔き、不可能とも思えた鍵を抉じ開けたのは朴大統領でありましょうー韓国民の「高評価」も、案外、その辺の処も加味しているのでは?と想っております(小説『ムクゲの花が咲きました』の爆発的ヒット等を観ると)。
勿論金大中氏のかかる成果も、クリントン政権下でなかったら、恐らく、不可能だったに違いない。 金大中氏の亡命先が英国王立研究所であったことや、大統領就任式にあのジョージ・ソロスが何故「来賓」として登場するのか?を思えば、金大中氏の背後にどういう勢力が居るのか?は一目瞭然です。 また、彼が執拗に「ノーベル賞」を追い求めたのも、決して個人的栄達ではなく、ヨーロッパの中核勢力の支援(大義名分)を獲んが為であり、受賞もその文脈で理解すべきです。 言うまでも無く、これは金大中氏を貶めようということではありません。 政治は可能性の技術であり、目的の為には、時として、(偽善者面した)悪党と提携することも厭わないタフネスさも必要ということであり、その点において朴正熙氏も同じだった、ということです。
70年代半ば、日・独、及び韓国の政権が共に謀略的な政治スキャンダルに見舞われます(『金脈問題』『ロッキード事件』、『ギョーム事件』、『金大中氏拉致事件』『コリアゲート事件』)が、ブラント氏とその路線を守って再統一を成し遂げ、EUの中核勢力に躍り出たドイツや、朴正熙氏以来の(南北密約)路線を守り切って、朝鮮半島よりの米軍撤退、更には将来の統一をも視野に入って来た韓国に比して、田中氏を切り捨て、その時の遺産を受け継げなかった日本が、アジアの中核的位置から滑り落ち、のみならず当時より更に酷い属国状態にあるのはあまりにも当然、と言わなければならないのです。
ところで、このように見てくれば、70年代の北東アジアの政治状況も浮かび上がってくるでしょう。 アメリカの内ゲバに連動して、日韓に今日の与野党に繋がる勢力(従来の親米派とは異なる、親米英派或は親西欧派)が登場してくる一方で、日韓の政権はそれぞれの国益を追求しようとする。 つまりは、従来の親米派と親米英(西欧)派、その中に在って田中・朴政権は(意識的か無意識的かは別にして)民族派乃至アジア派の役回りを担っている。 そうして、極めて大雑把に纏めて、米国派、欧州派そしてアジア派の三派鼎立乃至三竦みの中にこの二つの「拉致事件」を置いてみれば、ベトナム戦争敗北によって窮地に立たされたアメリカ派によって仕組まれたもの(欧州派を切り、返す刀でアジア派を切る)、という事件の構図が見えてこないでしょうか?