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70年代の国際政治を見る上で欠かせないのが「デタント」と「ロッキード事件」ですが、勿論その裏にはベトナム戦争敗北があります。 米国流「先軍政治」の躓きで、軍事的威信の失墜と共に政治的支配に綻びが顕われ、それを巡って、米国内の激しい対立が顕在化します。 「デタント」の前には「平和共存」が在り、「ロッキード事件」の前には”軍産複合体”の破壊的危険性を指摘したアイゼンハワー「退任演説」が在ることでも分かるように、これは、”東部エスタブリッシュメント”と呼ばれる伝統的支配勢力と、軍需産業を主な基盤とする、中西南部の新興勢力との間で起きた内ゲバ(「静かな内戦」と呼ばれていました)でした。 後者は現在のブッシュ政権に繋がり、前者はその後クリントンやゴアの”グローバリスト”或は所謂「環境派」(カーター『人権外交』の今日版)に繋がっていくーつまり今日でもなおその対立は引き続いているわけですが、こうした米国内の混乱と対立の隙を衝く形で、ユーラシアの東西から、米国支配を克服しようとする動きが現れます。 それが西独ブラント政権による「東方外交」であり、田中政権による「ユーラシア外交」でした。 田中政権の場合、一般に「資源(自立)外交」と呼ばれますが、むしろそれを通しての関係強化が狙いだったと思います。
アメリカの(地政学的な)戦略に真っ向から対立するかのような、こうした田中外交の姿勢を忖度すれば、中ソとの関係改善をやらない限り、何時まで経っても、アメリカから首根っこを押さえ付けられたままという思いがあったのかも知れません。 そしてそれは、明らかに、正しい。
何故なら、この時のブラント「東方外交」の延長線上に「全欧安保協力会議」があり、その延長に冷戦終了がある−つまりは「東方外交」こそが<冷戦>を終わらせたのです。
即ち、この時の西独が示した姿勢に<米国離れ>のサインを読み取り、その姿勢が不変であることを確信することによって、ソ連(ゴルバチョフ)は東独を手離したのです。
同様なことは日本に対しても言えます。 田中政権の姿勢に<米国離れ>を感じ取ったからこそソ連(ブレジネフ)は領土問題解決に応じるサインを出したのであり、もしもこの田中路線が続いていたら、とっくに領土問題は解決していたでしょう、日本の望む形で!