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70年代の日韓の政治の中心に居た彼らは、従って当時の東北アジア、更には国際政治とも深く関っていたのであり、そもそもが当時の国際政治への理解を抜きにしては、彼らについての真の評価も出来ないはずです。
つまり田中角栄氏と朴正熙氏を正当に位置付けるということは、70年代を、引いては現在を知ることでもあるのです。 例えば現在の日韓の政治状況、(政権交代可能な)二大政党体制の直接の源流が何れも70年代初頭に在り、「社公民」や「新しい日本を考える会」等に始まる政界再編の動きが、紆余曲折を経て、現在の民主党に繋がってるように、同じ時期、「大統領選」で朴正熙氏にあと一歩まで肉薄した、金大中氏に始まる野党勢力の台頭が現在の盧政権にまで繋がっているー日韓のこの二つの動きは何れも同じ動機に根差しています。 ベトナム戦争の(歴史的)敗北が鮮明になることによって惹起されたアメリカの世界戦略の大転換と、それに伴う米国政治の激変です。
70年前後のこの激変(三島事件と実尾島事件はその結末)こそが、「首相になる気など丸で無かった」(平野貞夫氏)人物を政治の中心舞台に押し上げ、他方それまでの日本の岸信介と同じ親米右派の仮面をかなぐり捨て、金正日氏と同様、「独自核武装」を公然と主張する、強硬なナショナリストに変貌させていったのです。 ではその激変とは何か?