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ひ弱なインテリ集団だった民主党が、福田自民党の謀略を乗り越えた事により、たくましい奇兵隊に生まれ変わったように思います。
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/775.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2007 年 11 月 08 日 13:13:59: 4sIKljvd9SgGs
 

第304回
奇兵隊
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_10.html#05
〜幕末に命を賭けた若き庶民たち〜

放送日
(本放送) 平成19年10月31日 (水)
22:00〜22:43 総合 全国
(再放送) 平成19年11月5日(月)
16:05〜16:48 総合 全国
平成19年11月6日(火)
17:15〜17:58 BS−2
平成19年11月16日(金)
2:05〜2:48(15日《木》深夜) 総合 近畿のみ
平成19年11月16日(金)
3:25〜4:08(15日《木》深夜) 総合 全国(近畿のぞく)
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。
出演者
キャスター 松平定知アナウンサー
スタジオゲスト  青山 忠正さん(佛教大学文学部教授)
幕末史専攻。著書に『高杉晋作と奇兵隊』、『明治維新と国家形成』、『幕末維新・奔流の時代』など

番組概要
その時: 慶応2(1866)年8月1日
出来事: 第二次長州征討で奇兵隊が徳川幕府軍を破る

幕末、長州藩の風雲児・高杉晋作によって結成された戦闘部隊・奇兵隊。身分より実力を重視し一般庶民の入隊を募った奇兵隊は、徳川幕府を破り明治維新を実現させる原動力となった。
番組では高杉の功績として語られることの多い奇兵隊に、隊士として戦った農民や町人たちの視点から迫る。隊士の日記や彼らが使った日用品などを手がかりに、庶民出身の隊士たちが何を思い、いかに戦ったのかを浮き彫りにしながら奇兵隊の苦闘と勝利の瞬間を描く。
番組内容や番組中に出てきた言葉など
「長州征討」という呼称について
元治元年と慶応2年の徳川幕府の長州藩に対する軍事的圧力・侵攻は「長州征討」の他に「長州征伐」、「征長の役」、「幕長戦争」、「四境戦争」、局地的に「小倉戦争」など様々な呼び名がありますが、現在の歴史教科書では「長州征討」の表記が多く、番組もそれに倣いました。
「その時:慶応2(1866)年8月1日 第二次長州征討で奇兵隊が徳川幕府軍に勝利」という表現について
番組でものちに紹介する通り、幕府軍の本拠だった小倉城とその周辺から幕府方として動員された諸藩の軍勢のほとんどが撤退、その直後に出火し小倉城が炎上したこの日時を今回の「その時」としています。実際はこの後も小倉一帯を領地とする小倉藩のゲリラ的な抵抗が続きますが、この時点で徳川幕府の敗勢が固まったことから「勝利」と表記しました。

奇兵隊士 武廣 遜(たけひろ・ゆずる)について
武廣 遜は天保14(1843)年、長州藩領周防国の大きな農家だった弘津家の次男に生まれました。奇兵隊士を経て草創期の日本陸軍の将校となり、明治10(1877)年の西南戦争で34歳で戦死しました。

「角力隊(すもうたい)」の名称について
「力士隊」という名でも有名な隊です。「山口県史」によると創設当初は「角力隊」であり、より相撲取りの部隊であることが明確になると考え「角力隊」の名称で紹介しました。

「パトロン隊」について
「パトロン隊」は戦闘に直接参加する部隊ではありませんが、「山口県史」や研究者によって長州諸隊の一つとみなされているため紹介しました。

「奇」の字の染め付けられた食器のかけらについて
山口県埋蔵文化財センター(山口市)で所蔵されています。展示公開はしていません。

元治元年8月の外国軍襲来に備える奇兵隊の士気に関する隊士の証言について
奇兵隊士で指揮官となる山県有朋の回顧談「懐旧記事」の記述に拠りました。番組で紹介した文章は下記の通りです。
「奇兵隊は外艦の来るを見て皆一戦せんと望み 士気大に振いたり」

庶民を守る部隊であることを宣言した奇兵隊の新たな規則について
ゲストの青山教授も言われた通りこの規則は「隊中諭示(たいちゅうゆし)」ないしは「諭示」と呼ばれ全部で7ヶ条あります。番組で紹介した文章は下記の通りです。
「農業の妨げをしたり、田畑を踏み荒らしたりしてはならない」
「庶民のものは草一本たりとも奪ってはならない」
「強き敵の百万の大軍を恐れず、弱き民一人を怖れよ」

長州藩家臣の部隊を破った時の奇兵隊士武廣の日記の記述について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「我が軍は賊を破って、これを追い払った」

幕府に対する戦意を示す武廣の日記の記述について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「賊幕」

「商人による朝市隊、相撲取りの角力隊といった諸隊も各方面に展開します」という表現について
実際にはこの時、朝市隊はより大きな「報国隊」に編入され、角力隊は「力士隊」ないし「勇力隊」という名前になっていますが、内実は番組冒頭で紹介した諸隊がそのまま続いていることを明確にするため、上記の表現としました。

周防大島の寺に残る幕府軍の砲撃の跡について
砲撃の跡は浄西寺(じょうさいじ・周防大島町東和地区油宇)の石垣にあり、誰でも自由に見ることができます。この砲撃で農民の妻子が亡くなったことは島の言い伝えや諸隊の史料に拠りました。

小倉口での奇兵隊の作戦方針に関する武廣の日記の記述について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「一寸刻みで幕府軍の拠点・小倉城に迫る」

奇兵隊が多大な被害を出した戦いでの武廣の日記の記述について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「この日の戦いは実に苦戦であった」

武廣の日記の最後の記述について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「明治元年11月13日、朝から大変愉快に酒盛りをして皆分かれた」

武装蜂起に参加し処刑された隊士の言葉について
番組で紹介した文章は下記の通りです。
「国のためにした事が こんな事になろうとは」

「隊中様(たいちゅうさま)」について
長州諸隊の隊士で蜂起に加わった元農民の藤山佐熊(ふじやま・すけくま)の墓碑です。22歳の藤山は新政府の鎮圧部隊との戦いで射殺されました。墓碑は自由に見学できますが、冬期は雪で道が閉ざされるほどの山中にあります。
毎年4月には供養祭も行われます。場所や供養祭について、事前に近くの山口市平川公民館にたずねられることをお勧めします。

主な参考文献
「高杉晋作と奇兵隊」 青山忠正 吉川弘文館
「山口県地方史研究」内の『幕末・維新期長州藩における民衆意識』
 『幕長戦争大島口戦の展開過程』三宅紹宣
「山口県史 史料編 幕末維新6」、「別冊 長州諸隊一覧」 山口県
「高杉晋作と奇兵隊」 田中 彰 岩波新書
「日本の歴史開国と倒幕」 田中 彰 集英社
「幕末維新の民衆世界」 佐藤誠朗 岩波新書
「ミネルヴァ日本評伝選 高杉晋作」 海原 徹 ミネルヴァ書房
「〈増補〉平川文化散歩」 石川卓美 山口市平川公民館
「修訂 防長回天史」 末松謙澄 マツノ書店
「幕末維新史料叢書5 懐旧記事」 山県有朋 新人物往来社
※詳しくは出版社、書店などにお問い合わせ下さい。
番組内で使われた肖像、史料などの所蔵先一覧
肖像/絵画/遺品系
高杉晋作写真 港区立港郷土資料館
木戸孝允写真 港区立港郷土資料館

発掘された“奇”の字の小碗の断片 山口県埋蔵文化財センター
パトロン 下関市立長府博物館

史料系
「奇兵隊結成綱領(部隊結成の趣意書)」 …毛利博物館
「遊清五録(西洋銃隊の記述)」 …大久保 利
「古谷道庵日乗(村医者の日記)」 …下関市烏山民俗資料館

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