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「平和」を世界必修科目として授業に
通勤路&時間が近所の中学生達の通学路&通学時間なので、大勢の中学生達とすれ違う。
見れば、数人で談笑しながら歩いている子供と、一人で黙々と歩いている子がいる。
背丈が低くて陰湿な子だと、いじめられてないか心配してしまう(こんなご時世だし)。
まあ、人が無作為に数人ならまだしも、数十人も集まり、数年間も経てば、話や気が合う人が集まって、どうしてもとけ込めない人や疎遠にされる人も出てくるのは自然だろう。
以前こんな番組をみた。
NHK BSスペシャル
「沈黙を破って〜イスラエル 元兵士たちの証言〜」
その中に、イスラエル兵による、最初はパレスチナ人への「からかい」だったのが、「悪ふざけ」、「いじめ」、「虐待」、「虐殺」へエスカレートしていく有様が映されていた。
こう書くと、なら、「からかい」までで止めるならいいのか?
ダビストック研究所というのがあって、フリー・アルバイトの人たちを囚人役と看守役に分けて「刑務所ごっこ」をしたら、集団リンチから性的虐待、殺人騒ぎまでおきた。
どうしても人のこころには善と悪が同居する。それが、力あるもの、無いもの、支配するもの、されるものと明確に区別されると、心の中の「悪」の方が増幅される様なのだ。
もし、あなたに紙幣の発行権が与えられたら、あなたは「悪」に抗えますか?
あり得ないと自分を納得させるが、実は小生も自信がない。
それが代々「帝王学」を受け継いで来たひとたちだったら?
もう一つの平和憲法の国=コスタリカに学ぶ(法学館憲法研究所)
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/542.html
投稿者 茶々 日時 2007 年 10 月 12 日 09:28:01: 6YmOfrLmcqc3Q
で茶々さんの紹介してくれた文章から引用
教育を充実させ、憲法を使い方を生徒に討論させる
もう一つ、私がコスタリカをすごいと思うことは、コスタリカが軍備を捨てたとき、その費用を教育に充てたということです。コスタリカは「兵士の数ほど教師を」というスローガンをつくり、1949年以来、半世紀近く、コスタリカでは国家予算の2割から3割が教育予算なんです。コスタリカは傑出した教育国家になりました。コスタリカの10人に1人は教師の免許を持っています。中米の国はいわゆる途上国です。読み書きできる人は多くありません。小学校にもいけない人が多い。ところがコスタリカだけは識字率がほとんど100%です。中米地域でトップです。
私はコスタリカに行くたびに小学校、中学校、高校を覗くんです。すごいと思うのは、学校では生徒自身に対話をさせるんです。対話をさせて生徒が自分たちの頭で考えるんです。そういう教育をちゃんとやっている。日本の場合、先生が、これが正解でこれは間違い、あるいは丸暗記しろ、なんていう教育をするわけですが、コスタリカは違います。例えば高校の憲法の授業では、先生が、高校を出て就職する人もいるでしょうが、会社に入ったらリストラにあうかもしれない、皆さんがリストラにあったらどうしますか、そのときに憲法をどう使ったらいいですか、と聞くわけです。すると生徒達は、さて憲法をどう使おうかと話し合う。憲法には基本的人権がある、労働権がある、リストラにあったら自分も食えなくなるし、家族も養えなくなる、それは憲法違反じゃないか、だったら基本的人権を使って訴えられるじゃないか、労働権を使って訴えられるじゃないか、そういう話をバンバンする。そういう話が一通り終わってから先生が出てきて、リストラにあった人が裁判でこういうふうに憲法を使ってたたかったということを言う。実践的なわけです。憲法というもの、あるいは法律というものは神棚に飾っておくものではない、憲法は自分たちのためにある、国民のためにある、ということを小・中・高とやっているわけです。すごいです。コスタリカでは、喧嘩がある、紛争がある、そのときは対話で解決するんだ、暴力をふるうとまた暴力が生まれるんだ、対話が結局は一番の決め手なんだということを小さいときから教える、そういうことをやっているんです。
を読んで考えさせられました。
教育は国家百年の計と言いますが、世界百年の計とも言えます。平和に関しては一国だけでは成立しないからです。(もちろん怪しい宗教は介入させないで)
よって、世界共通の平和教育こそ、国連などが、せめて百年後の世界平和の為にすべきで、加盟国で週1時間でも必修にすべきだと思います。