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各人は自らの主観を正しいと信じがちだ。
各党の支持者はその党が正しいと信じているからこそ支持者なのだ。
共産党支持者が自民党をいかに批判しても多くの場合自民党支持者の意識を変える事はない。
主観というものは自ら自覚的に反省しなければ中々変わらない。
あるいは関心事を通じてしか意識は変わらない。
赤城の事務所費問題を通じて「安倍が赤城を庇うのはいかがなものか?」といった当然の感想から認識は変わっていくのだ。
意識が存在を変えると共に存在が意識を変える。
民主党が政権を取れば政治が変わるという共同主観が形成されている。
この見方は間違いだという人がいる。
しかし、民主党政権待望論者にとっては「民主党も自民党も同じ改憲派であり弱者切捨ての市場万能論者だ。」という批判はあまりにも大雑把に映る。
批判は主観を持ってしまった者の内的論理に動揺を起こすほどのインパクトがなければ「外在的批判」として退けられる。
「民主党と自民党は同じ」という論理も「違う」という論理も未だ中途半端にしか論じられていない。
同じ所もあれば違う所もあるのは当然だ。
同じ有権者の取り合いをやっている以上、有権者の意識に近づこうとするから似通ったものになるのだし、違いを出す事によって「こっちのみ〜ずはあ〜まいゾ!」と言わなければ敵の方に行くかも知れない有権者を引き付ける事はできない。
つまり最大多数の有権者の意識に合わせつつ有権者の意識を一歩前進させる事が常に選挙で行われている事だ。
マスコミが生み出した多数派意識の上にうまく乗っからないと勝利が難しい事も事実だ。
ネットによってマスコミの論調に一定の変更を行う事が可能になっている。
「きっこの日記」のような個人ブログが一定の影響力を持つようになった。
世論を変革しつつ形成された世論をうまく使って社会変革をしなければならない。
参議院選で自公が過半数割れを起こし民主を中心とした政治潮流が発言権を増す事は新たな事態を生み出す。
我々はこの新たな事態を媒介にしつつ次のステップの準備をしよう。
民主党を無批判に支持する事が間違いであると同時に民主党が自民党と全く同じだと全面否定するものも間違いだ。
民主党内右派の批判をしつつも自公政権打倒の手段としての民主党の役割を評価するという姿勢が必要なのだ。
正しい事を主張したからといってその事が自動的に支持を得られるとは限らない。
有権者の主観に分け入る事がなければ有権者の心をつかむ事はできない。
「民主党が政権を取れば世の中がよくなる。」と信じている者にその考えを変えさせる事は容易な事ではない。
百万言費やしても変わらない可能性が大だ。
我々には政治経験が必要なのだ。
愚かな主観を後生大事に持っている有権者と共同の経験を積む事によってしか世の中変わらない。
インテリがどれだけ叫ぼうが馬の耳に念仏なのだ。
自公を打倒し民主党を政権に就かせるという経験を日本国民が共通の経験としてこそ次の一歩が踏み出せるだろう。民主党が右傾化してもいい経験になるのだ。さもなくば我々には又しても長期に渡る無気力と政治離れが待っているだけだろう。
「一度やってみたい。」という願望を叶える所からしか次の歩みは始まらないのだ。
民主党を批判するのは結構。
但し、その批判がどれだけ民主党支持者に届くのかを検証するべきだ。
そうでなければ、負け犬の遠吠えであり、延々と繰り返されてきた唯我独尊のインテリサークルを作るだけだ。ほとんど社会変革に影響力を持たない。
選挙とは一人一人の有権者に対するオルグ(=組織)活動なのだ。
「自分の主張を理解しない者はバカ者だ。」で済む世界ではない。
それで済ますからいわゆる左翼は弱小勢力なのである。