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自然界の仕組みに学び、
自然界の真理を社会に受け入れていかなければ
自然界のものである人類の存続は、あり得ない。
日は沈み夜に入る、日は昇り朝が来る。
冬が去り季節は巡り、花々の春を過ぎると深緑の夏へ
そして秋から冬へ、人の命も新陳代謝を繰り返し
行き交う人も同じ人にあらず、存続する生命も
繰り返される自然の営みにの中で瞬間を繋いで
存続していく生命である。
何一つ、人間の手に追えるものは無い
自然界の仕組みや真理は受け入れていくしかない。
人間が自然を超越できるものは何も無い。
(だだ瞬間を繋ぐ命で 何を成すかであろう)
自然界の心を知り 生命の状況を認識し、
人類生命の本質と存在を認識し、創られたものと認識し
(創られた生命そのものゝ 花をさかせようと)
するとき、人間の命が 天からの授かりものの生命と
受け止めることが出来るのである。
人間社会の自由になる 粗末に扱える生命帯ではない
人類生命帯の脳は、自然界の心に長波を合わせて
生存の本当の目的を知り順応する時、自然界に愛され
生命の質に合う花を咲かせながら、花や実たち
その生命群にとっての、理想の社会が作れるのである。
、
まだ見たことの無い人類のふるさと、その社会。
自然界が創り、人類が到達する予定になっている社会
実現が約束されている社会なのである。
担当者(筆者)の脳の中にそれは刻まれている。
愛の自己犠牲により、表現に結び付くものではない
もっと普通に、日本的に正常な方法が整うことにより
その内容は表現されるのである。
「人類の存在」そのものが神である。