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国体・政体二元論→神聖主権・世俗主権二元論
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/528.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2007 年 4 月 21 日 03:39:54: SjhUwzSd1dsNg
 

憲法板では inosisi80さん に対してぼろくそに言っているが、実は、下記の「国体・政体二元論」には興味を持った。

http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/folder/22505/

>明治憲法に関してですが・・(憲法学者の通説は)国体・政体二元論だった

これは知らなかった(ホントかな?)。実は、たけ(tk)は、国体・政体二元論に近い考えを持っている。

聖俗ニ王政というのがある(※1)。南洋アジア系の社会制度らしい。聖王は宗教的な儀式を行い、俗王が実際の政治を行ったのだろう。

魏志倭人伝には卑弥呼と弟王の話がある。弟王が昼間俗王として政治を行い、卑弥呼が夜中に聖王として祭祀を行ったと考えられている(※2)。

卑弥呼に関しては、内戦の後で各地の勢力によって共立された鬼道を行う王である、という事実が重要である。卑弥呼に求められた役割は内戦の再発防止のための宗教的役割であろう。つまり、国民の統合と安寧を祈ることが卑弥呼の役割であったと思われる。それは、まさしく天皇に求められている宗教的役割に等しい。

また、阿毎多利思比孤(アメノタリシヒコ)にも弟王があり、昼間の俗王であったと思われる記述がある(※3)。

この聖俗二王の制度を、主権論にあてはめるなら、聖俗ニ主権論、神聖主権と世俗主権、ということになる。
神聖主権は祭祀(祭ごと)の最終決定者であり、
世俗主権は政治(政=まつりごと)の最終決定者である。
なお、神聖主権者は世俗政治に口を出さないことが重要である。政治関与すれば、政治的責任を負うことになり、その失敗の程度によっては放逐されてしまうからである。

>国体・政体二元論だと「日本国憲法」無効論になってしまう

とは思わない。

日本国憲法も国体・政体二元論であると考えることができる。即ち、
世俗政治の主権は国民にあるが、
神聖祭祀の主権は天皇にある
ことを暗黙のうちに定めた憲法である。
しかし、憲法は世俗政治の基本法である。従って、世俗主権が国民にあることを規定しているが、共同体のための祭祀を行う神聖主権については記述していない。と考えることができる。

国体・政体二元論でいえば、

国体は inosisi80さんのいうように不文憲法(実質的意味における憲法、※4)であろう。共同体全体の黙示の規範意識であると言ってもよい。たけ(tk)的に言えば、「天皇を敬愛しましょう。天皇が国民全体の統合や安寧を祈っているのだから、国民も国民全体の統合や安寧のために努力しましょう」という規範意識であろうと思う。

共同体全体の規範意識(国体)は、時代とともに変わってもよい。
共同体全体の規範意識(国体)は、日本国憲法があろうがなかろうが、無効であろうが有効であろうが、変わるときには変わり、変わらなければ変わらない。(※5)
共同体全体の規範意識(国体)を明文化して固定しても意味がない。明文化して国民の義務とするなら、かえって、規範意識は空洞化してしまうだろう。
むしろ、天皇がときどき出て来て「世界の平和を願っております」といったコメントを述べることが重要だ。それだけで、天皇制は敬愛すべきモノとして生き残ることができるだろう。

それにたいして、
政体は世俗的な権力組織のあり方である。
憲法は世俗的な権力組織(政体)のあり方を法的に規制する法である。
憲法を立てる意味は、権力の暴走から国民を護ることであって、共同体全体の黙示の規範意識を明文化することではない。

明治憲法のように天皇に世俗政治(政体)の主権者の役割を負わせることは、天皇の政治責任を生じさせる結果になる。それは本来のあり方ではない。それがタテマエに過ぎないというのでは、世俗政治の責任者が居なくなってしまう。

明治憲法下においても、実際には世俗政治はすべて世俗の権力機関に委任してしまっていたのである(※6)。

明治憲法の誤りは、天皇主権のタテマエを持ったために、世俗的な権力装置の分立の調整の規定が十分ではなく、実際、その調整がうまくいかなかったということである。すなわち、軍部の権力も分立していたので(統帥権の独立)、軍部の暴走を食い止めるための規定を欠いていたことである(軍部代表の内閣不参加で内閣が崩壊するという解釈が可能になってしまった)。

明治憲法では世俗主権と神聖主権の区別がなく、天皇に世俗主権も属する、というタテマエを採る。ところが、天皇は世俗の政治には関与せず、責任を持たないのである。その結果、世俗政治の最終的な統括責任者が誰も居なくなる、という現象を生じた。世俗政治を行う人々は、最終責任者でなく、天皇の輔弼なのであるから、天皇の気分を推測しながら政治を行う。その場の空気を読んで、天皇の気分を推測する、と言った風潮が生まれた。そしてその結果として、声が大きく、武力を持った機関が実権を握るという結果を生じたのである。

日本国憲法では、天皇は世俗政治に関与しないことが明記されている。ただ、儀礼的な行為を行うだけである。天皇が行う祭祀は憲法では規定されていないが、禁止もされていない。憲法は世俗の権力組織に対する規制のための法律だからである。

さて、政体のあり方についてであるが、
明治憲法も「万機公論に決すべし」という民主主義の方向で始まったモノだ。
従って、世俗主権は国民にあるとしてしまえばよかったのだ。
国民に世俗主権があるからこそ、国民が「盛んに経論を行」って「広く会議を興し、万機公論に決すべし」。そのための志と能力を養い、「旧来の陋習を破り、天地の公道に基き、知識を世界に求める」ことを国民に期待しているのだ(※7)。
天皇が世俗政治に関与しないからこそ、そのような行動を国民に期待したのである。

従って、端的に世俗的な主権(世俗政治のあり方の最終決定権)は国民にあると宣言してしまえばよかったのである。そして、天皇が全く政治に関与しないという前提で、世俗的な権力組織の相互牽制のあり方を研究し、制度化すべきであったのである。

結論として、明治憲法よりも、日本国憲法のほうが、国体・政体二元論に忠実であると考える。

なお、当然ながら、憲法で「主権」といえば、もちろん「世俗主権」のことを指す。

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※1:聖俗ニ王政というのがある。

「魏志倭人伝」に書かれている「倭人」の入れ墨の風習は、当然の如くポリネシア人たちの風習でもある。卑弥呼の政治は男王との聖俗二重王権だったと言われるが、今も続く南洋の首長王国トンガでは、かつて聖王と俗王の二重王権制であった。また、王権の末弟相続がトンガの神話に語られていることも、長子相続を否定する山幸彦神話を思い起こさせる。

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※2:卑弥呼と弟王

http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/page01/a003-01.html

共立一女子爲王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國

http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/himiko.html

共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。鬼道に事(つか)へ、能(よ)く衆を惑わす。年すでに長大なるも、夫婿(ふせい)なく、男弟あり、佐(たす)けて国を治む。

※3:アメノタリシヒコの弟王

http://ja.wikipedia.org/wiki/遣隋使

「開皇二十年 ?王姓阿毎 字多利思比孤 號阿輩?彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言?王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」

開皇二十年、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、阿輩?弥と号(な)づく。使いを遣わして闕(けつ)に詣(いた)る。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。使者言う、倭王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺(かふ)して座す。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。高祖曰く、此れ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。

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※4:実質的意味の憲法

http://ja.wikipedia.org/wiki/憲法

実質的意味の憲法に着目したとき、統治の根本規範という意味での「固有の意味の憲法」(用語法として不適切との説もあるがすでに定着している。)は洋の東西・時代を問わず存在するものである

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※5:共同体全体の黙示の規範意識

http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4758/1/92551_313.pdf

ペトケは宗教の概念をせぱめて,それぞれの共同体文化領域に隈定し,聖はそれぞれの共同体と相照応する特定の杜会的・倫理的モメントを荷なうと主張し,聖に関する<知>は伝統と繕合せざるをえないことを強調する。したがってベトケの意見によれぱ,現代世界には本来の意味における<客観的宗教>は殆んど存在しない。存在するとしても,せいぜいr目本か,あるいは二三の自然民族にだげ」綱ということになる。共同体が解体し,自已を意識した個人が犬規模に生じてくれぱ,聖俗転換のシクミは保持されず,民族のノモスとしての俗は破壌され,衰退が入りこむという。

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※6:明治憲法における権力の委任

http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/folder/22505/

次に政体法について説明したいと思います。まずは戦前においても三権分立であったことを指摘しておきたいと思います。

司法権に関しては五十七条で「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」とありまして、裁判に関しては裁判所に完全委任しています。一応天皇の権限だけれども完全に裁判所に委任していて天皇の知るところではない。

立法権は、五条に「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」、三十七条に「凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」とあって、議会は天皇(実際には内閣)とともに立法権を担うということになります。ただし、実際をいえば天皇が法律を裁可しない例はありません。不裁可権は一応持っていると考えられるわけですが、裁可しなかったら今度は国体に違反してしまうわけです。したがって不裁可という例は結局生じませんでした。つまり法律を制定する権限に関しては完全に議会に一任していました。

そういうかたちで、天皇の権限とされたものはどんどん他のところに持っていかれたのが実際です。軍事に関してもそうです。軍事は天皇が直接やったのだというイメージを持たれておりますけれども、けっしてそうではない。最近の研究では、軍事に関してもじつはやはり下に降りてしまっているといわれています。十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあるけれども、実際は陸軍の場合は参謀総長、海軍の場合は軍令部長に完全に任されている。

行政権も、実際上は国務大臣に任されていた。したがって「大臣責任論」の問題になります。大臣責任論に関しましては五十五条に「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と書かれています。これは「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という三条とセットになっています。天皇に責任が及ばないように、大臣が責任を取るということです。そして責任を取る代わりに、責任を持って政治をやる。天皇が政治の主体ではなく、大臣が政治の主体としてやっていくのだということです。

そういうかたちで、立法・行政・司法に関しては下の機関に任せるという構造ができ上がっていたわけです。そしてこの大臣責任論を根拠にして政党内閣がでてくる。

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※7:万機公論に決すべし

http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/folder/22505/

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
二、上下心を一にして、盛んに経論を行ふべし。
三、官武一途庶民に至る迄、各々其志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す。
四、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
五、知識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

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