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現代の選挙で勝つためにはやはりマーケティング戦略が重要だと考えます。
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/503.html
投稿者 如往 日時 2007 年 4 月 10 日 09:34:36: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: カリスマ待望論はファシズムだと思ってます。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 4 月 09 日 22:18:47)


 ワヤクチャさん、こんにちは、ご無沙汰しております。
 今回の都知事選挙では東京都民の私は反動に抗うことは固より情報公開にたいする一縷の望みを託して浅野史郎候補に一票を入れました。勿論、候補者の人物評価やイデオロギーの問題も当落を決定する大きな要素だと考えますが、今回のものを含め最近の選挙運動の様子を概観してみて挑戦者側には何が不足しているのかを考えてみたいと思った次第です。

 日本では選挙活動(政治)にマーケティング戦略(経営)は馴染まないと思われがちですが、むしろ現代の選挙ではマーケティング戦略は積極的に採用され展開されて効果を上げているように見えます。その象徴的なものが昨年9月の衆議院選挙でも話題に上った電通の暗躍ではないでしょうか。販売戦略は広告会社にとってはお手の物であり、無論選挙であっても候補者の商品化計画が含まれて来ますし、その場合には公約やマニフェストは候補者の商品力を構成する要素にしか過ぎません。電話戦略が利かない不特定多数の無党派層への浸透を図るためにはマーケティング戦略は不可欠であり、教科書的にその項目を列挙するだけでも、ターゲット分析(訴求先の動向)、投票動機分析(購買動機分析)、競合比較(競争者分析)、セールス・プロモーション(広告戦略)等がありますが、知名度の高い現役の候補者に挑戦するならば尚の事、相手候補者以上の効果的なマーケティング・ミックス(商品政策・販促政策)を策定して弾力的に実行することが要求されますので、選挙対策ブレーンにはそのための専門家が絶対に必要になります。勿論、こうした戦略に拠らなくても、相手候補者を凌ぐようなカリスマ性(知名度を含む)があれば当選する可能性はあります。しかし、今回の都知事選挙において、その点で浅野氏は少なくとも相手候補者よりも劣っていたとの観は否めないと感じます。

 ところで、今日人々の政治意識がどの程度成熟しているかというと、無党派層の増大が喧伝されますように遺憾ながら寧ろ退化と政治意識のメルトダウンが甚だしい傾向にあり、それを政治の劇場化及び国民の観客化の現象と目敏く捉え、受け皿としてのシーン(イベント)の設営に奔走する体制側の動きの方が先行してしまっていると想われます。
 下記は【毛主席語録に学ぶ(3) (毛主席語録学習期間@ネタ切れ人民共和国統合不定期更新日記)投稿者 下戸彩 日時 2007 年 4 月 09 日http://www.asyura2.com/07/senkyo33/msg/230.html】からの転載ですが、掲載されている“毛沢東語録”は政権与党に対抗する野党勢力(現状は民主党)や体制側(現役候補者)に挑む候補者側の陣営が政治(選挙)で勝利するために心得るべき必要で最低限の、そして時代を超えて今日でも通用する見識(マーケティング・コンセプト)であると考えます。

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http://s19171107.seesaa.net/article/38287386.html
2007年04月09日
毛主席語録に学ぶ(3)
ネット上での活動もいいですが、軸足は常に現実の大衆の中に置き、大衆の中から集中し、分析し、再び大衆の中へ持ち込まなくてはなりません。http://s19171107.seesaa.net/article/36515009.html で懸念したとおり、ネット上の『反石原』意識と現実の大衆の中の『反石原』意識には小さくない乖離がありました。これに関連して、大衆との関係について、毛主席の教示を幾つかご紹介します。
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大衆に結びつくためには、大衆の必要と自発的意志にしたがう必要がある。大衆のためのすべての工作は、たとえ善意であっても、いかなる個人的願望からも出発すべきではなくて、大衆の必要から出発すべきである。多くのばあい、大衆は、客観的にはある種の改革を必要としていても、主観的にはまだそのような自覚をもたず、決意がつかず、まだ改革の実行をのぞまないので、われわれは辛抱づよく待たなければならない。われわれの工作を通じて、大衆の多数が自覚をもち、決意がつき、みずから改革の実行をのぞむようになってからこのような改革を実行すべきであって、さもなければ、大衆から離れてしまうであろう。大衆の参加を必要とするすべての工作は、もし大衆の自覚と自発的意志がなければ、いたずらに形式に流れて失敗するであろう。……これには2つの原則がある。1つはわれわれの頭のなかの幻想からうまれた必要ではなく、大衆の実際の必要ということである。もう1つは、われわれが大衆にかわって決意することではなく、大衆の自発的意志にたより、大衆自身が決意することである。

「文化活動における統一戦線」(1944年10月30日)、『毛沢東選集』第3巻
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大衆がまだ自覚していない時に、われわれが進撃にでるなら、それは冒険主義である。大衆がやりたがらないことをわれわれが無理に指導してやらせようとすれば、その結果はかならず失敗する。大衆が前進をもとめている時に、われわれが前進しないなち、それは右翼日和見主義である。

「晋綏日報の編集部の人たちにたいする談話」(1948年4月2日)、『毛沢東選集』第4巻
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大衆のなかから集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させることによって、正しい指導の意見を形成すること、これは基本的な指導方法である。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻
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わが党のすべての実際工作において,およそ正しい指導は、大衆のなかから大衆のなかへ、でなければならない。それは、つまり大衆の意見(分散的な、系統だっていない意見)を集中し(研究をつうじて、集中した、系統だった意見にかえる)、これをふたたび大衆のなかへもちこんで宣伝、説明し、これを大衆の意見にし、これを大衆に堅持させて、行動にうつさせ、また大衆の行動のなかで、それらの意見が正しいかどうかを検証する。そして、その後、ふたたび大衆のなかから意見を集中し、ふたたび大衆のなかへもちこんで堅持させる。このように無限にくりかえして、1回ごとに、より正しい、よりいきいきとした、より豊かなものにしていくのである。これがマルクス主義の認識論である。

「指導方法のいくつかの問題について」(1943年6月1日)、『毛沢東選集』第3巻
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ネット上での活動もいいですが、軸足は常に現実の大衆の中に置き、大衆の中から集中し、分析し、再び大衆の中へ持ち込まなくてはなりません。
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また、会いましょう。

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