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(回答先: 私は無神論者です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 3 月 18 日 16:48:23)
古代奴隷制の時代は、ギリシャ人やローマ人は多神教で主にそれぞれの都市の神を崇拝していました。軍隊は徴兵による市民軍と傭兵軍であり、その市民とは富裕な人々でありました。売買される奴隷によって社会の豊かさは作られていたように思います。
中世封建制の時代は、ヨーロッパは一神教で神は一つであり、異端は火あぶりにされました。農民は封建領主に土地に縛り付けられ年貢を納めねばならず、軍隊は基本的に傭兵制でした。
近代になると徴兵制が敷かれ、百姓や町人の子でもドイツ民族なり日本民族なりの誇りを持つよう教育され、しごかれて戦争に行かねばならなくなったので大変な世の中になったと思います。また、異端審問官はなくなり信仰の自由は認められる代わりに、神ではなく国家に中世を誓わされるようになりました。
つまり、近代の企業社会においては、中世に比べて土地と神からは自由になりましたが、代わりに神の位置に国家が来るようになったと思います。現在では国が神であり、中心な訳です。これは要するに、大航海時代に大金が新大陸から来るようになって、植民地を持つ事でローマ教皇の言う事を聞かなくても各国が独自に宗派を選択して、権益を確保出来るようになったからだと思います。中世の頃はヨーロッパの国も植民地を持ってなかったので、バチカンの下で束にならねばならなかったので、まだ国というものの意識は低かったのでしょう。封建領主から企業・銀行経営者に支配層が代わっていく中で、人々の意識の中心から神もまた退いていったのですね。
ただ、現在のアメリカでは労働者をうまく支配できなくなってきたのを補う為に、またまた季節外れの神を持ち出してきているようです。アメリカの場合、そういうあざとさはあまりにも見え見えなんですね。「また今更神かよ!」みたいな。まあ、今のアメリカで神を持ち出す手合いが神に顔向け出来るのか大いに疑問がある所であります。財界の連中の本音は労働者に消費者として自動車乗り回してパソコンや携帯売って、意識だけ中世の教会に従順な百姓になれと言う訳でしょう?中世の聖職者は聖書を自国語に訳する事には反対だったのですよね。ギリシャ語やラテン語なんて大半のヨーロッパ人にとってお経と一緒ですわ。
ナンミョーホーレンゲキョウ(−pq−)