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本人は、発言後、言葉が独り歩きしていると弁明してるが、
仕事に、生きるために行くのであって、死に行くためではない。
健康維持は、仕事のためでも、会社のためでもない、自分のためである。
「私」を、「自分を」大事にしろという意味なら、それは正しいと思う。
ただ、過労死で何人もの日本人が死んでいる中、しかるべき立場にいるものの発言としては軽率である。
全部をフォローしているわけではないが、彼女の言っていることは、新しいものでない。
(マッキンジー)経営コンサルタントたちが説教をする、あたらしい労働形態をを日本的な風土、労働実態を考慮することなく、吹聴しているに過ぎない。
つまり、「アメリカではこうしてる、だから日本も、、、」その類である。
ホワイトカラー法の真意というのは、こんなところにあるのだろう。
たとえば、冬に忙しい職種なら、冬多く働き、夏少なく働け、
土曜日忙しい仕事なら、土曜日に週末手当を出さないで、平日代休を取れ
一日何時間労働ではなく、年間何時間労働にしろ、、
キーワードは、「フレキシビリティ」である。
しかし、トヨタカレンダーに象徴されるように、今でも日本の労働者は、十二分、仕事に対して柔軟である。
そして、その柔軟性は、労働者が歴史的に勝ち取ってきた、諸権利を、新自由主義の名の下、結果的に剥奪するものである、それついては言及するにとどめる。
しかしこの前提は、
10人でする仕事を10人、11人配置されている労働環境が存在していること。
役所と大企業いがい、そんな職場どこにある?
使用者が、被使用者を、就業労働時間以上の労働を恒常化させるなら、
管理者(無)責任、および、その管理能力を問われること。
この職場が気に入らなければ、金銭的な損失なく、ほかの職場に行ける柔軟な労働市場の存在。
日本的雇用関係がうまくいっていたときは、それを誇大宣伝し、それが負担になると、アメリカのようにしろとなる。。。ふざけた話である。
彼女の発言らしいが、
自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。。。
同意する。
そして、個々の労働者が、この奥谷発言を実行できるなら、日本は良化する。
どうでもいいけど、そのとき、あたふたするのは、奥谷女史とその取り巻きだろう。
しかし、雇用関係でたいていは弱者である被雇用者が、職場を風土を一人で変えるのは難しい。
まず、隗より始めよ、政府委員である彼女に 「何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。。。」、その風土をかえる、せめて、インフラの構築をねがいたい。