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臓器移植法で初めて人の死が脳死と認定されたわけであるが、ここで人の死を考察してみたい。従来は心臓停止を持って人の死と断定していた訳だが、新たに脳死という概念が認められるようになった。確かに、臓器移植のような臓器を単なる物と見るような経済的合理性を優先したり、他人の生命の救済や奉仕、家族の負担軽減等を考えない限り、人の死を心臓停止や呼吸停止というのが自然なことではある。
しかしながら、昨今の医療費の増大や、看護の負担増加等を考えた場合、全く回復可能性がない場合、合理的解決を図っていくことも必要であろう。それは現実的解決に一歩近づけることもあり、死に対する合理的割り切り方が必要になってきたと言えるだろう。人間の死とは、真実は人間の魂が身体の中に存在しているかであると思われる。ところが、脳死は未だ魂が肉体から脱出してはいないものと思われるが、いずれ二、三日内に心臓が停止して死亡したり、または植物人間化していくものであり、死と認めてもやむを得ないものと思われる。植物状態ならば、まだ正常に呼吸しているものであるが、脳死とはそれよりも快復に当たって快復状況が悪く、脳幹という脳機能の本質的部分が麻痺し、生命の危険に晒されているものである。それ故に、やむを得ないことながら、本人の予めの同意や家族の同意があれば、死として認めて臓器移植に役立てていってもよいだろうと思われる。
ところで、人間の死とは、体内に人間本人としての魂が存在している状態から、その魂が体外に脱出してしまった状態を言い、時には一時的に離脱して再度、体内に戻る場合もあるが、二度と復帰しない状態を言うものと思われる。この際に、死と外観が同じ状態のものに仮死状態があり、また同じくよく似た状態として、意識不明の植物人間のような昏睡状態があるが、植物人間のように、未だ呼吸が正常に機能し、脳波も心臓も正常であり、ただ意識だけが麻痺している状態を、一体どのように認識理解して対処していったら良いのであろうか。
この植物人間に関しては、関係する方々には極めてショッキングなことであろうと危惧するものだが、仏身に顛化された聖心先生が把握された結果を簡単に紹介したい。聖心先生が植物状態の者を霊顕・霊証されたところによると、既に、事故瞬間において、本人の魂が自らの体内から抜け出てしまい、代わりに別のものの魂が、例えば、人間以外の畜生死霊魂などが体内に潜入し交替した結果であるとご指摘された。恐らく、そのような観察は決して荒唐無稽のものでもないように思われる。植物人間は、外見的には一応、本人である人間の肉体を有し、姿をしているものの、その中味は別のものであり、例えば、畜生霊魂であり、人間の身体を借りて様々な仕草をしているものということであった。確かに、詳細に観察すれば、時折、にっこり笑ったり、唸り声を挙げたり、瞬きをしたりしたとしても、何となく不自然さを感じるものであり、実にその表情や仕草は、何処か別のものの存在を想像させられるものであり、何となく畜生死霊魂の為せる仕業ではないかと思われるがどうだろう。
先生のご指摘されたことが真理だとするならば、植物人間の些細な仕草や表情の動きは、人間としての本人自身の行為ではなく、人間の肉体を借用・利用して、畜生死霊魂などの別のものが操作しているものと思われる。肉体の中味が別のものである以上、こうした昏睡状態を幾ら看護しても何の効果もないのも当然であろう。それに、万一、畜生死霊魂が抜け出たり、あるいは、何らかの外力で体内から畜生死霊魂を追い出せば、既に肉体から本人の魂が離脱している以上、本人自身の肉体も完全に死ぬという結果に至るものであろうと思われる。実際に、聖心先生も、「万一、ボクに植物人間の治療を依頼されても、断るだけだ。何故なら、既に本人は死亡しており、仮に畜生死霊魂を追い出せば、完全に外見上の死をもたらして、殺人という犯罪行為として処罰されかねないからだ」と話されておられた。
この植物人間とは正に、呼吸は平常に作動していて心臓も正常に鼓動しているが意識が全くない状態であるが、時折、意識が回復することもある故に、短期間で決定することは危険であろう。聖心先生は、人間の眼力や科学の力では永遠に理解出来ないであろうし、証明も不可能であろうと言われたが、他方で、合理的な判断として、大体の目安としての回復可能性を考えていった場合、三カ月間ぐらいの期間を経過し、その間に観察して判断を下し、家族からの申し出を尊重して対処していったら良いであろうと言われた。その場合にも、何よりも、家族の意志を、経済的負担や看護労働の負担からの解放といった面を最大限に尊重して行くことが大切であろうと思われる。
その他、完全な植物状態とまでは行かなくても、多くの自分自身の心魂を正常に制御出来ない精神的に異常を生じた者の心には、本来の人間とは別のもの、例えば、畜生霊などが一時的に憑依し付着していたり、時には完全に同居していることが多いのではと思われる。実に、今や我達の周囲には、こうした別のものである畜生霊などに付着され潜入されている者は、余りにも多く見受けられるのではないかと思われる。比較的心が出来た人ならは、相手の異常な目の動きや働きにより、何となく、その体内奥深くに潜んでいる別のものの存在を感じ取ることが出来るものと思われる。
なおこれは、当方が仏身顛化の聖心先生に、人間の死に関して拝聴したところ、植物人間のことに言及されて、偉大な真法の霊顕による観察の結果、そのようなことをご指摘されたが、残念ながら、我々凡人は何処までも人間である限り、幾ら科学が進展しようとも、科学的にも物質的にも証明出来ないのが通常であろうと思われる。恐らく、普通一般の霊能力者ですら、そうした霊視は不可能であろうと思われる。何故なら、自らも魔感であることが多いからと思われるからだ。植物人間に関しては、ただ、聖心先生から拝聴したことを紹介し、当方自身の疑問点として問題提起するものである。
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/seishinsensei1.html