地中海やメソポタミアの民族のY-DNA は J と E1b1b の混合■J : 中東のハプログループで、北方のJ2と南方のJ1に分かれる。 J2の分布図 http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/0/d/0d3ee44d.jpg
・J2はメソポタミア北部で誕生し、西はアナトリアからヨーロッパ南部、東はペルシアからインドまで広がっていった。古代のエトルリア人・ミノア人・アナトリア人(南方)・ポエニ人・アッシリア人・バビロニア人がそれに当たる。
・J2はギリシャに数多く見られ、特にJ2bはギリシャで誕生したと思われる。また、J2aが最も集中しているのはクレタ島であり、この地に起源を持つものだろう。興味深いことに、J2aはインドのカースト上位者にも多く見られる。バラモンは主にR1a・R2・J2aで構成されている。これら3つのハプログループがアーリア人の侵入における遺伝子の移動経路を示している。 J1の分布図 http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/d/c/dcaf6923.jpg
・J1はアラビア半島の人々のほとんどに見られ、中でも72%に達するイエメンが発祥の地と思われる。中世のイスラム人の侵攻によって中東・アフリカ北部からスペイン南部まで広がった。 ■E1b1b
E1b1bの分布図 http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/e/8e25b66c.jpg
・最後にアフリカからヨーロッパへ大規模移動をしたのがE1b1b(公式にはE3b)である。26000年前にアフリカの角あるいはアフリカ南部で登場し、新石器または旧石器時代に中東に進出した。
・ヨーロッパ〜近東で最も多いEのタイプがE1b1b1a(またはE-M78、E3b1a)である。新石器時代初期にエジプトからレバント・アナトリア・ギリシャに進出し、J2と混血した。 ・E-V13はレバントで興った農業の伝播を担った部族である。ギリシャ北部のテッサリーが伝播の起点であり(約8000年前)、バルカン半島やドナウ盆地からフランス北部、ロシアまで広がっていった。 ・E-V22はレバントに在住していた部族のものであり、フェニキア人やユダヤ人に多い。フェニキア人が地中海沿岸で活発に活動したため、E-V22がその領域に広がった。 「2000年前のヨーロッパにおけるY遺伝子の分布図」がこちらです。 http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/4/841806fa.jpg
http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html ユダヤ人周辺のDNA (1) ユダヤ人固有の DNA: ユダヤ人とは、すでに多くの人種が混合してしまい、現在では ユダヤ教を信奉する宗教的ユダヤ人が”ユダヤ人”と定義されている。それにもかかわらず、アシュケナジー、スファラディーを問わず、コーヘン(男系で継承する 祭司職の家系、 イスラエル12部族の「レビ族」よりも狭いグループ)にだけある特徴的なDNA断片群が見出され、ユダヤ人種を識別するのに用いられている。
* アシュケナジム: 東欧系ユダヤ人・アシュケナズ=ドイツの意、 現在 米国のユダヤ人の大半) セファルディム: 1492年に追放されるまでスペインに住んでいたユダヤ人で、その後北アフリカなどに拡散、元 駐日大使のエリ・コーヘン氏など ミズラヒム: 長らくアラビアに居住、 ミズラ=東 その他、 エチオピアのダン族、 ミャンマーのマナセ族、 ジンバブエのレンバ族 など。 1997年、テクニオン-イスラエル工科大の腎臓の専門家であるカール・スコレスキー(Karl Skorecki) 博士と、アリゾナ大学の遺伝学の専門家マイケルF. ハマー博士によって、その特徴あるDNA配列がY染色体上にあることが発見された。
Y染色体のイントロン(ジャンク(がらくた)遺伝子 = 生体機能を発現しない部分、全DNAの95%以上)における、突然変異が起こった場合その形質が継承されやすい3つの部位(サイト)と、突然変異が頻繁に起こる6つの部位(サイト)の、 計9つのサイトを一つの組として調査し、コーヘン階層では非常に多く変異が起こっているが、普通のユダヤ人の間ではそれほど一般的でなく、ユダヤ人でない集団の間では稀であるという結果が得られた。その 9つのサイトがすべて変異している割合は、 アシュケナージ系コーヘンで45%、 スファラディー系コーヘンで56%、 一般のユダヤ人では全体の3〜5% したがって、アシュケナージ系コーヘンも、スファラディー系コーヘンも、ほとんど同じように約半分はこのコーヘン特有の男系遺伝のDNA群を保っていることになる。(それぞれ1000人近くからサンプル) アシュケナジーを にせユダヤ扱いする人もいるが、実際はそうではなく、ロックフェラー、ロスチャイルドのほうが DNA的に偽者であることがわかる。 (→ 下のJ2a系統参照) http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1 この調査結果により、アフリカ・ジンバブエの レンバ族がユダヤ人の末裔であることが証明された。 彼らは、外見上完全な黒人であり、割礼と安息日を守り、豚肉とカバの肉を食べないなどの風習を持ち、イスラエルからセンナという所を経て南アフリカに移住してきた という伝承が代々伝えられている。
また、彼らの祭司職のグループは”ブバ族”と呼ばれ、彼らによるとブバ族はイスラエルの12部族の一つであるとされている。 彼らのY染色体DNAの変異箇所の調査により、レンバ族全体の男の 9%、”ブバ族”では 53%が、コーヘンに特徴的なDNA変異を持っていることが分かった。 これは、イスラエルやアメリカのユダヤ人と全く変わらない割合である by.ニューヨークタイムズより、 文献1999年、 ニューヨークタイムズ(2003 9 27・再)) 注) アシュケナジー系は ハザール国(コーカサス)とは全く無関係。(↓(2)の2)) またアシュケナジーはれっきとしたユダヤ人であり(↑)、東欧の血が濃い。(↓(2)の4)) これに対して、”にせユダヤ”とは、ワスプ(ドイツ系白人)のロックフェラーや クレタ島出身のロスチャイルドを言う。 ただし、北イスラエル10部族のDNAについては、祭司職を含む「レビ族」の大部分が南ユダと北イスラエルの分裂の時、ヤロブアムから職を解かれ、南ユダへ移動したので(U歴11:13−15)、今のところ、このDNA変異箇所によっては、イスラエル10部族の手がかりを知ることはできず、新たに特徴あるDNA変異を見つけなければならない。その中にまだユダ族などが混じっていれば、ユダと共にいるコーヘンのこのDNA断片群が発見されるかもしれない。 * コーヘンのY染色体DNAのハプロタイプは、 J1a1b1b1a2a1a1a4(J-L147.1*, subclade-YSC234) ・・・・
(J系統のハプロタイプ) http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1 で、紛れも無くJ系統。 ただし、J1?(マホメットなどと同様に、むしろアラビア人に近い??) 他の一般的なユダヤ人は、J2a系統。(↓) ** 英語版ウィキの『アロンのDNA』では、 コハニムの約半分が J1c3(J−P58)、 15%が J2a(J−M410) となっている。
(Y-chromosomal Aaron) https://en.wikipedia.org/wiki/Y-chromosomal_Aaron J系統 というだけなら、アシュナジー・コハニムの 88%(67人、n=76)、スファラディー・コハニムの 76%(52人、n=68)で、どちらも8割は J系統。 残りは E3b、R1b、R1a、K2など数%。 ・・・・ 確かにモーセ五書におけるアロンの出自には曖昧さが残る。「レウィイ(レヴィ)族のあなたの兄弟アハロン(アロン)」(出エジプト4:14)で登場し、エジプトにおける在留異国人のイシュマエルの子孫の可能性がある。 (兄弟 アフ(EX) = 創世記25:18「(イシュマエルの子孫の)すべての兄弟たちは互いに敵対して住んだ。」: 肉親の兄弟のほかに、民族的な兄弟の意味もある) モーセが口下手ではなくアロンを必要としなければ、J2aだけだったかもしれない。 モーセは、アムラムとヨケベデ(どちらもレヴィ人)の子供。 (出2:1、民26:59) アロンの子の祭司はエルアザル。大体ここから、すべての祭司職への父系遺伝が繰り返されていった。そして、意外にも、長い歴史の中で比較的よくその特徴あるDNAが保たれてきたことが立証された。 (2) ユダヤ人が属する Y染色体DNAハプログループ: Y染色体DNAハプロタイプ系統樹(2003) http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi101.htm List of haplogroups of historic people(有名人のハプロタイプ) https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_haplogroups_of_historic_people#Y-DNA F(セム) > G、H、I、 J > J系統=アブラハムの子孫 > J2a が オリジナルのユダヤ系、 G2c(アナトリア) は捕囚の時混血? or ディアスポラ時代?
(ハム) > A、B、C、 D、E > E系統= クシュ、ミツライム、プテ、カナン > E1b1b1a3 は 主にフェニキアとの混血 K(ヤペテ) > L、M、N、O、 P > Q、R > R1a1 は ディアスポラの時に東欧系が混血 (アシュケナジムのみ) 1) J2a系統: Y染色体DNAハプロタイプの J系統は、セム系の J1系統と J2系統に分かれる。 (ヨーロッパのY遺伝子分布) http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html ・ J1(M62、中東の南部系) ・・・ アラビア半島全体 30%、 特に イエメン 70% ex) モハメッド(イスラム教創始者ムハンマド、570-632; ヨルダン王族2名より分析) J1a2b2*、 ペルシャ・カージャル朝の王(1772-1834) J1 ・・・・・ これはどう見ても イシュマエルの子孫である。父親はアブラハムで、母親はエジプト人。
・ J2(中東の北部系) ・・・ J2a(M41): クレタ島、インドのバラモン階層(R + J2a) J2b(M63): ギリシャ、アナトリア(トルコ中部)、バビロニア、エルトリア(ローマ初期の支配層) この J2a 系統に ユダヤ人が集まっている。 J系統は アブラハムの子孫と考えられ、オリジナルのヘブル民族(セム → エベル)の流れがここにある。 ∴ J1: イシュマエルの子孫(ハガルはエジプト人) J2: イサクの子孫(=イスラエル民族、サラは同族) + ケトラの子孫(ミデヤン、 ヨクシャン → シェバ、デダン など、 創25:1−4) ex) あるロシア系ユダヤ人 J2a1b(J−M67)、 あるルーマニアのユダヤ人 J2(J−M172)、 ロスチャイルド家 J2a1b3(J−L210) ・・・ もちろん、J2aであるからといって本当のユダヤ人であるとは限らない。(ロスチャイルドはJ2a(M41)の多いクレタ島出身であり、実は にせユダヤである。ユダヤ教は全く信奉していない。 「クレテ人(クレタ島の人)は昔からのうそつき、(性的な意味で)悪いけだもの、なまけものの食いしんぼう」(テトス1:12) ・・・ BC600頃の クレタ島出身の哲学者エピメニデスの格言を 流用。当時、キリスト教宣教を妨害する 評判の悪い自称ユダヤ人たちがいて、間違った教えで人々を翻弄していた。 (ロックフェラーはドイツ系白人のワスプで、出自が明らかに異なる。デビッド・ロックフェラーのユダヤ教は形だけ。) ヨーロッパのユダヤ人家系は J2が多い。 現在のイスラエル国はJ2が 20−30%。(レバノン 30−40%、ヨーロッパ 5−10%、その他 アナトリア、イタリア中部、南イタリア、アラビアなどに広く分布) ところが コハニム(レビ族のうちの祭司職、アロンの男系子孫)に アラビア系の J1系統が集まっているのは驚きである。主が しるしのために、本来のユダヤ人でないアロンを任命したとしか考えられない。(↑の(1)) また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。 晩年のアブラハムのケトラの子(東に行ったが)は 父系遺伝から J系統であり、日本人にはJ系統がいないため、日本人がケトラの子孫であるという説は間違い。 2) G2c系統: これもセム系で、アシュケナジ系ユダヤ人に G2cのみが見出される。コーカサスのG2aは入っていない。 ・ G2a ・・・ コーカサス(黒海、カスピ海の北)、 イラン、アフガニスタン、カシミール ex) ヨシフ・スターリン G2a1a、 アイスマン(コルシカ島・特殊) G2a2a1b ・ G2c ・・・ アナトリア(トルコ中部)、 アシュケナジム・ユダヤ ・・・・・ したがって、アシュケナジムが ハザール王国(コーカサス)の改宗者の子孫(7−10c)という説は、DNAから見て間違いで、現在では俗説とされている。 3) E1b1b1a3(E-V22)系統: E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。
(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。 (初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド) ・ E1a(E−M33)系: 西アフリカ (→ るいネット) http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=245376 ・ E1b1a(E−M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南 ・ E1b1a7(E−M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ ex) ラムセス3世 E1b1a(E−V38) (・・ 2012 12)、 バラク・オバマ E1b1a(E−V38)
・ E1b1b(E−M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる) ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E−M35) ・・・ E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない ・ E1b1b1a(E−M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E−V12)、 ・ E1b1b1a2(E−V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人 ・ E1b1b1a3(E−V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島 ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
● ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統) + J2系統(シリア人) ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合) → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合 ハム系 → シドン人 ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、 エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる (→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000sekaiidennsi3.htm 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる (下に 沖縄のフェニキア遺跡) http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00%200%200%20seisyo%20syuuhuku3.htm モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫
・ E1b1b1b2(E−Z830) アルバート・アインシュタイン ・・・ 上記(E1b1b1a3)と異なるので、本当のユダヤ人ではない ・ E1b1b1b2a1*(E−M34) ナポレオン・ボナパルト ・・・ 家系が中部イタリア出身 ・ E2(E−M75) サハラ以南 ・ セファルディム(北アフリカ)や、特に エチオピアのユダヤ人(ベト・イスラエル(ダン族)、A3b2(M13) 41%、E3*(M40) 18%、E3b(P2) 32%、 J2(M172) 5%・・・ E系統50%、黒人系で90%以上、ユダヤ系は5%もいない)への E系統の混入率は高い。(ディアスポラ時代に混入) 4) R1a1系統: R1a1: 東欧系、 R1b: 西ヨーロッパ人の40〜80%
2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54−60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt−DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。 (→ Nature Asia、 http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/8799 Figure10 (2013 10)) http://www.nature.com/articles/ncomms3543 これは、エルサレム陥落後まもなく ヨーロッパ人の妻を多く娶ったためといわれる。歴史では、8-9世紀に北フランスにユダヤ人集団の記録があり、14末-15世紀にかけて西ヨーロッパを追放され(イギリス1290−、フランス1394−、ドイツ15c−)、東欧へ移動し、特に ポーランドの保護に入った。この時、特に 現地人の妻との間に子孫が多くできたことを表している。(同族結婚では奇形などが多くうまく育たなかったと思われる。)
** アシュケナジー系の 人口ボトルネックの存在:
25〜32世代前、すなわち 1200-1400年頃に アシュケナジムが わずか250−420人程度にまで減少した形跡が発見された。これは、ヨーロッパ人と比べて、劣性遺伝疾患が100倍に増幅されていることなどから推測されたものである。 この時期には、十字軍による組織的虐殺、あるいは ペストの罹患 および その迫害 という、きわめて厳しい環境下に置かれた歴史を経てきた事を表している。(申命記28章の のろい、「星の数ほど多くても、残された者はわずか。」(28:62) ただし、今は回復の時になってきている。) (「東欧系ユダヤ人は250〜420人が創始者」ゲノム解析で判明、2014、記事元・WIRED.jp.) http://wired.jp/2014/10/02/ashkenazi-jewish-population-has-distinctive-yet-similar-genomes/ ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告 セム度・メソポタミア農耕民度 調査 http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm
10-7. セム度・メソポタミア農民度調査 Y-DNA「J 」 rev.3 ヨーロッパ人の遺伝子Y-DNA「I 」の兄弟遺伝子は「J 」です。「J1」はセム種です。ヨーロッパ人にとって、セム語族は極めて重要です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、 この3つの宗教全てを始めたのはセム語族だからです。欧米の宗教はセム種によって開示されたのです。 当時ローマ人以外は野蛮だったヨーロッパ人は宗教なんて高尚な概念はなかったのです。ただの未開集団に過ぎませんでした。しかしローマがキリスト教を受け入れて変化が起きたのです。 そのローマ人は地中海系民族だったのでやはり野蛮なヨーロッパ人とは一線を画していたのです。そしてヨーロッパに農耕文明をもたらしたメソポタミア文明人は 「J2」遺伝子集団と考えられています。農耕技術を持ってヨーロッパ大陸に拡散をしていったためほとんどの欧州人に「J」遺伝子が交配されています。 「J」はラテン遺伝子の「E1b1b」と共にヨーロッパ人の重要な遺伝子なのです。「J」は「G」と同様にコーカサス発祥の遺伝子です。コーカサスはヨーロッパの母なる土地です。 欧米では、世界最古の民族はアルメニア人だと、以前言われていましたが、Y-DNA遺伝子の調査では、シーラカンス古代遺伝子のY-DNA「D」と「C」以外の新世代遺伝子Y-DNA「F」の中で 最も古いタイプがコーカサス遺伝子Y-DNA「G」ですが、その頻度が最も高いグルジア人が最古のような気がします。いずれにせよアルメニア人も発祥の地であるコーカサス一帯が 現代文明人の故郷のような気がします。実は「G」遺伝子を持つコーカサス民族には農耕をヨーロッパにもたらしたメソポタミア遺伝子「J2」の頻度も高く、 当時最先端の文化を誇っていたはずなのです。 ____ 3-7. Y-DNA「J 」 セム度・メソポタミア農民度調査 rev.4
ヨーロッパ遺伝子度調査で最もアクセスが多いのはY-DNA「J」と「R1a」です。訪問者の方々は世界を揺り動かしているイスラム教とアラブを含むY-DNA「J1」のセム族に非常に 興味がおありのようです。そこで当ガラパゴス史観はEupediaからヨーロッパの情報を転載したいと思います。次に「R1a」情報をお伝えします。Exiteの機械翻訳なので オリジナルが読みたい方はEupediaをどうぞ。 Y-DNA「J1」 アラブ度調査
Y-DNA「J1」遺伝子の現在の分布です。アラブ人の基幹遺伝子ですが、ヨーロッパに意外に浸透していることが良くわかります。 Y-DNA「J1」は、恐らく東アナトリアのクルディスタン中部のヴァン湖の近くで始まった中東のハプロタイプです。 東アナトリアは ヤギ、羊および牛が中東で最初に飼育された地域です。Y-DNA「J1」は、中東とヨーロッパの至る所で牧羊者の生活様式の拡大にほとんど確実にリンクされます。
ヨーロッパと西アジアのY-DNA「J1」の出現頻度は、ある1つの地域社会と隣の地域社会では相当に変わる傾向があります。 ヨーロッパで最も高い国毎の頻度が、ギリシャ、イタリア、フランス、スペインおよびポルトガルで見つかりますが、人口の5%を滅多に超えることはありません。 しかしながら、イタリア・フランスおよびスペインは、Y-DNA「J1」が全く出現しないエリアを持っています。 北ヨーロッパでさえ「J1」の頻度は0.5%未満ですが存在します、「J1」の非常に局所的な出現地域がスコットランド、イングランド、ベルギー、ドイツおよびポーランドで観察されました。 Y-DNA「J1」のより明確な分布図を得るにはより大きなサンプル・サイズが必要です。 驚いたことに、このY-DNA「J1」が起こったと思われる地域、コーカサスとアナトリアでさえ、地方間に広い不一致があります。 例えば、北東のコーカサスのダゲスタンのKubachi人およびDargin人はY-DNA「J1」が80%以上ありますが、北への200kmしか離れていない隣人のイングーシの「J1」出現頻度は かろうじて3%に過ぎません。 ヴァン湖の周囲の東アナトリアのY-DNA「J1」の出現頻度は30%以上ですが、しかし南西アナトリアにはわずか2%しかありません。 クルディスタン内でさえ頻度は大幅に変わります。 地域のサンプル・サイズの小ささが確実に問題となります(特定の集団のみを調査している可能性があり地域の平均ではないかもしれない)。 アラブの国々の中で、南イラクのマーシュアラブ人(81%)(湿地のアラブ人:チグリス-ユーフラテス湿地の住民)が最大頻度になります。スーダンのアラブ人(73%)、イエメンの住民(72%)、 ベドウィン人(63%)、カタール人(58%)、サウジ人(40%)、オマーン人(38%)およびパレスチナのアラブ人(38%)と続きます。 他に、アラブ首長国連邦(35%)、湾岸アルジェリア(35%)、ヨルダン(31%)、シリア(30%)、チュニジア(30%)、エジプト(21%)およびレバノン(20%)で高頻度で観察されます。 アラブ人の大部分はY-DNA「J1c3」小亜型に属します。 ___
10-7. Y-DNA「J 」 セム度・メソポタミア農民度調査 rev.4
世界の主要な宗教であるユダヤ教も、ユダヤ教から生まれたキリスト教もイスラム教も全てセム系Y-DNA「J 」が興した宗教です。 ただしヤーヴェやキリストが「J1 」か「J2 」かは 現在の遺伝子調査では定かではありません。 イスラム教のムハンマド(マホメット)は成立年代から見てアラブ系のY-DNA「J1 」と思われますが。 Y-DNA「J2」 メソポタミア農耕文明民度調査
Y-DNA「J2」遺伝子の現在の分布です。チグリス・ユーフラテス川の肥沃な三角地帯で農耕革命を興しヨーロッパに農耕を伝えた集団なのでほぼヨーロッパ全土に浸透しています。 http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm ローマ帝国の最大版図です。ローマ帝国の拡大とともにY-DNA「J2」メソポタミア農耕文明の農民が拡大していったことが良くわかります。 http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm ローマ時代のキリスト教徒の分布図だそうです。Y-DNA「J2」の分布と重なります。 「J2」農民がローマ帝国の拡大とともにキリスト教を拡大していったことが分かるそうです。 つまり先住民がキリスト教に改宗したと言うより、ローマ人が進出したと考えられるようです。(現代の中国の少数民族政策に似ています、漢族を大量に少数民族の多い地域に送り込み、 地域ごと漢族で乗っ取るやり方です。) Y-DNA「J2」は、最後の氷河期の終わりごろ15000年〜22000年前に間で、中東のどこかに現われたと思われます。
その現在の地理的な分布は、肥沃な三日月地帯からの新石器時代の拡大を支持していると議論されています。 この(第一次の)拡大はY-DNA「G2」とY-DNA「E1b1b」に関連ずけられるレヴァント地域での穀物農業の開発より、むしろ紀元前8000年〜9000年ごろから始まったZagros山脈および 北メソポタミアからの牛およびヤギの飼育法の拡散と恐らく関連付けられます。 第二次の「J2」の拡大が、銅の製作という冶金法の到来(ドナウ谷の低地、アナトリア中部および北メソポタミアから)と最も古いいくつかの文明の興隆で生じたのかもしれません。 ほとんどの古代の地中海・中東の文明はY-DNA「J2」が優勢だった領域で繁栄しました。 これはハッチ人、フルリ人、エトルリア人、ミノア人、ギリシャ人、フェニキア人(とそのカルタゴの支流)、イスラエル人の場合と、より低い程度ですがローマ人、アッシリア人および ペルシャ人もです。 中期青銅器時代から鉄器時代までの偉大な船乗り集団の文明はすべてY-DNA「J2」男子によって支配されました。 雄牛崇拝を伴った古代「J2」文明の別の関連付けがあります。 雄牛のカルトの最も古い証拠は、新石器時代のアナトリア中部、特にCatalhoyukおよびAlaca Hoyukの遺跡に遡ることが出来ます。 雄牛描写はクレタでミノア文明のフレスコ画およびセラミックスに遍在しています。 雄牛仮面のテラコッタ小像および雄牛角のある石の祭壇は、キプロス(新石器時代までさかのぼった西アジアからのY-DNA「J2」の第一次と思われる拡大)で見つかりました。 ハッチ人、シュメール人、バビロニア人、Canaait人およびカルタゴ市民にはすべて雄牛崇拝(インドヨーロッパ語族か東アジアの地方と対照的に)がありました。 シヴァ神またはパールヴァティー女神に専心的なすべての寺院で示されるヒンズー教の脅えた雄牛、白い雄牛、はインドヨーロッパ語族に起源を持っていないが、インダス渓谷文明まで さかのぼることができる。 ミノア人のクレタ、ヒッタイト人のアナトリア、レヴァント、バクトリアおよびインダス渓谷は、さらに雄牛を飛び越える伝統(雄牛の突進をよける儀式)を共有しました。 それは、Y-DNA「J2」頻度の高い頻度の2つの地方、スペインのアンダルシアおよびフランスのプロバンス地方で伝統的な闘牛として今日まで残存しています。 Y-DNA「J2」の世界で最も高い頻度は、北東のコーカサスのイングーシ人(男性のY-DNAの88%)およびチェチェン人(56%)に見られます。 両者はNakh民族グループに属します。彼らは少なくとも紀元前3000年以来その地域に居住しています。 彼らの言語は他の言語のグループではなく、離れているダゲスタンの言語と関係があります。 しかしながら、ダゲスタン民族(Dargin人、Lezgin人、アバール人)は、Y-DNA「J1」(Dargin人では84%)に属し、ほとんど完全にY-DNA「J2」は欠損しています。 Y-DNA「J2」の他の高い出現頻度は、Azeri人(30%)、グルジア人(27%)、Kumyk人(25%)およびアルメニア人(22%)を含む他の多くのコーカサス民族中に見られます。 しかしながらこの地域の低い遺伝的多様性のために、コーカサス一帯でY-DNA「J2」が始まったとはほとんどありえません。 ほとんどのコーカサス民族の人々は同じY-DNA「J2a4b」(M67変異)子亜型に属します。 観察された高い局所的な頻度は、むしろ創始者効果(例えば一夫多妻の長い伝統による首領および王の血統の増殖、ロシア人が19世紀にコーカサスの征服以来抑えこもうとしたこと)の結果に なるでしょう。(貧民が自由に結婚できる現代と異なり、古代は権力者のみが女性を独占し自分の子孫のみを世に送り出してきた事実、このため権力者のY-DNAのみが長い間受け継がれてきた。 中央アジアのジンギスカンの子孫1500万人現存が良い例) コーカサスの外で、Y-DNA「J2」の最も高い頻度は、キプロス島(37%)、クレタ島(34%)、イラク(28%)、レバノン(26%)、トルコ(マルマラ海沿岸地域およびアナトリア中部ではピークで30%)(24%)、 ギリシャ(23%)、イタリア(23%)、シシリー(23%)、南イタリア(21.5%)中部北部)等で観察されます、 そしてアルバニア(19.5%)、ユダヤ人の人々(19?25%)も同様です。 ワラキア人の人々の4分の1(バルカン諸国のロマンス語話し手の孤立したコミュニティー)はY-DNA「J2」に属します。彼らが住んでいるマケドニアおよび北ギリシャでは平均以上になります。 これは彼らがラテン語から伝わった言語を話すという事実に組み合わせられます、ということは彼らの大部分がバルカン諸国の他の民族グループよりローマ人(あるいは少なくともイタリア人)を 祖先に持つことを示唆します。 http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm ギリシャ人とローマ人の Y-DNA遺伝子 ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島 http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm 集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。 そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。 地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。 結果をまとめて見ました。
1.ギリシャ 予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」やスラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。
またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしいY-DNA「G」もある程度残っています。 このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。 2.トルコ 最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」(ヤクート人の遺伝子)が、 西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと 後継のオスマントルコなのでしょう。 調査の対象によって出現頻度がかなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう
またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われるY-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。 3.バルカン諸国家 アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、旧ユーゴースラヴィアの国名にもなった スラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。
どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、 紛争地帯の最大の要因のようです。 4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国) バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。
5.イタリア ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。
研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。 Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。 特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的にかなり面白い国なのです。 6.フランス・プロバンス地域 フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。 恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。
7.スペイン スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのはカスティーリャ王国ですが、 現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみても ゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。 バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。 ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。 アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。 独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。 ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。 8.ベルベル人 アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。アフリカ北岸はカルタゴやハンニバル将軍などの歴史があり、 恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。
9.アラブ人 サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。 つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。
これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと同じような様相です。 ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた民族集団のようです。 http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm
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