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教育改革は頓挫するだろう。
今の学歴主義にメスを入れることなく、「改革」は、不可能と思われる。
このシステムの勝利者であり、この学歴主義が存在することのみ、自らのステータスを保持できる教育官僚が中心になってプランする「改革」に,この硬直したシステムを根本から変えることできない。
審議会員たる、著名なノーベル賞学者、文化人なぞ、結局は「客寄せパンダ」にすぎなかったという時期がいずれはくるとおもう。
その一方、教育は沈没し、日本のシステムそれ自体が、一日一日、溶解している。
国家利益を守り促進するはずの政治家、官僚たちが自らの利益の構造を確保することを優先し、国益を破壊する。
地球を破壊する、環境問題を巡る構図と似ている。
受験生が目指すいわゆる著名大学から、世に新風を送るメッセージが届かなくなって久しい。
そこで勉強した学生の世を動かすような行動がさっぱり聞かれぬ。
せいぜい、どこの官庁に何人入省、どこの会社に何人就職。
学問的成果より、副次的なことばかりである。
本来は、いい仕事にありつくためのスキルを磨くなら、ビジネススクール、テクニカルスクールに、
学問がしたければに大学にいけばいいだけの話である。
しかし、職業高校、専門学校の地位は高いとはいえない。そして、この地位を上げてしまっては、自らのステータスを下げてしまうという「勝ち組たち」の悩みがある。腕に職の価値がもっと評価されていい。
日本の教育に根本的にかけているものをおもいつくまま、列挙する。
1)自ら考える力を養成しない、善悪良否を判断できない人間をつくる。
2)表現力が育たない、交渉力が育たない、自分の利益を的確に言葉で表現できない人間をつくる。
3)バランスの取れた権利、義務、責任感覚に富む人間を作らない。
4)職業人の基礎を作らない
とどのつまりは、近代市民社会がその基礎として要請している「個人」を造らない。
相も変らぬ、集団主義、めだか主義、それに今度は「公共心」とか、「愛国心」とか、本来確立した個人主義の上に成り立つべき理念が付加される。
個人主義が確立していない社会に、公共心とか、愛国心とかがミスユーズされると
「おめーら、鉄砲玉、俺たち、金バッチ」
つまり、世の中、やくざ映画の社会になることを危惧する。
きょうはここまで。
雑談っぽいので、この欄にふさわしくないかもしれません、隣で、バルタ氏がいいことを書かれている。(アカデミックな教育と、職業教育の二分化, 生涯教育)