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もし<近代>が何がしかの希望を人に与え得るものであったら、以上の事は起こら
ないか、起こっても何らかの修復作用が代わりに働いたかも知れません。
これらの事は、<近代>が、最早、人々に如何なる夢や可能性ももたらすことはない、
ということを示唆しているのでしょう。
80年代に始まったサッチャー・レーガンの所謂「新自由主義」なるものは、従って
、それらを予防的に覆い隠すと共に、<近代(化)>を再強化する<白色革命>の
意味であったことは明らかです。
そしてそういった動きに対しての大衆の反応を示してるのが「フィリピン・パブ」
だと言ったら、驚かれるでしょうか?
民族的心性と言うのか?それとも今風に”DNAレベル”でと言えばいいのか?
書家の石川九楊氏によれば、我々日本人には、「北」と「南」の方位について、
ハッキリと異なる、それぞれ次の二つの志向性を持ってるようです。
北...捲土重来、或いはもう一度やり直す
南...始原に帰る
そういえば、70年代の”若者の挫折”の頃、旅先とか流行った歌は”北国..”とか
北海道を舞台にしたのが異常に多いことを気付きますし、「サッチャー・レーガン
革命」に始まる80年代の風俗現象は逆に「南へ」のモノが目立ちます。
80年代最大のスターだった松田聖子が歌って大ヒットしたのが「青いサンゴ礁」、
70年代最大のスターだった山口百恵が歌った「いい日旅立ち」が北をイメージした
にとは対照的でした。
つまり、こういうことは言えないでしょうか?
「新自由主義」による<近代化>の再強制への、大衆の反発乃至は違和の表明、
そういったものが本能的に選び取った、或いは志向したのが、今日の「沖縄ブーム」
まで続く、80年代以降の様々な「南の島へ」イメージの風俗現象だった、と。
都市のど真ん中にある渋谷に「南洋の土人」を想わす”ガングロ”のコギャルの
出現も然り、そうしてharuさん馴染みの???フィリピン・パブも...
80年代以降に繰り返した「教育改革」や「政治改革」が全て失敗した理由も
この大衆の奥深い処から沸き起こってる「全てをチャラにして、始原に帰りたい」
という欲求の表れ、と見ることは出来ないでしょうか?
もとよりそれは、「日本人らしさ」の喪失をも裏書きする、我々にとっては真の危機
を意味してることも間違いはないのですが。