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書き込みの制限回数が有るようですね。
昨日に引き続いてのものですー
「アメリカ人」の問題とは何か? <近代人>の定義を見て下さい。
(伝統なり旧弊に囚われず)自分で考え、判断し、行動する、という極めてパーソナ
ルな<人間観>=<自由で自立した個人>
「建国の理念」の根幹にある<人間像>からいって、このような定義に最も当て嵌まる
のが「アメリカ人」でしょう。 言うならば<近代人>の栄光と悲惨は限り無くアメ
リカ人のそれと近付いてくるのです、その致命的な欠陥も!
ーもう一度<近代人>の定義を見て下さい。 あらゆる世代の内で、その定義に最も
フィットするのは、又その幻想に取り憑かれるのは<若者>でしょう。
アメリカが若者に断然人気が有り、また「若い国」と言われるのは、社会を動かす
原理が若者に最も適合的だからだと思うのです。
とすると、この「長所」は同時に「欠点」にも成り得ます。 <近代人>=若者と
なり、<近代化>が強まる程それ以外の層(像)が駆逐されて行くことになるから
です。 こうして、この問題はアメリカの覇権確立と殆ど同時に顕在化し(50年代
アメリカ)、その後全世界に波及していったのですが、こうした若者の自己主張、そ
れは「大人社会」への反抗という形を取り、同時に戦後文化の特徴となったのでした。(勿論その背景にあるものは、ヨーロッパの(文化的)権威の失墜であることは言う
までもありませんが)
「理由なき反抗」「大人は分ってくれない」「怒れる若者」etc..
50年代から60年代にかけて人口に膾炙したこれらの映画のタイトルやジャーナリ
スティックなテーマを観ただけでも、時代の主調低音は理解出来るでしょう。
それが頂点に達したのが60年代末、フランス「五月革命」を頂点とする「スチュー
デント・パワー」、全世界的な「若者の反乱」でした。 それは今述べた意味である
種の「文化革命」の様相を呈し、折から泥沼化していたベトナム戦争とリンケージ
することで、巨大な反体制運動に成っていったのです。 こうしてみると、70年代
半ばの「ニクソン大統領失脚」は、彼の国では、普通言われるよりも遥かに深い意味
を持っていたのかも知れません。 無意識レベルでの、「国王追放」と同じ効果を
与える、擬似革命のような。 そして日本の場合は更にススんで、明らかに地方
(農村)代表のように君臨していた田中角栄氏の追放は、体制側(都市側)から仕掛
けられたカウンター革命の要素があったように思います。 如何にも「直系家族」
の長のような、そう言えばこの人程”オヤジ”という言葉が似合った政治家も居なか
ったような...
そうして、70年代のこうした様々な「大人の権威の失墜」とともに、若者の反抗も
消失していき、権威を失った社会(タガの外れた社会)はそのままアノミー(無規範
社会)へ、ずるずるススんで行ったわけです。