★阿修羅♪ > 議論25 > 108.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
結論から言えば、それは無いと思います。 或いは、マルクスに倣って、(もし有る
としたら)2度目はファウルス(笑劇)と言って置きましょう。
何故なら、1度目を可能ならしめた諸条件は最早喪われており、従って出来ることは、
精々、その振り(ポーズ)を示す、即ち示威行為(デモンストレーション)に止まる
だろうから、また仮に本気モードに突入した場合、国家戦略の不在、主体(国家意志)
の不在、更には米戦略との齟齬等、「日米安保体制」の虚構そのものが一気に露呈し
て仕舞い、その事が反って日本国家の喜劇的な在り様(アメリカの単なるパシリ)を
白日の下に晒すことになるからです。
「日米安保体制」を成立させるに当たって<冷戦>は欠かすことは出来ないわけです
が、氷が融けて水になったとしてもその本質(H2O)は変わらないように、「冷戦体制」
が解けても続く「日米安保体制」ーその本質は「占領体制」だったということです。
有り体に言えば、日本は「成功したイラク」だったのです。
では何故、これ程までに、イラクと彼我の違いが有るのか?
それこそが「対テロ戦争」の本質に関ることであり、アメリカについては別個に論じ
るので端折りますが、日本について言えば、そこにあるものこそこの「脱亜入欧路線」
、要するに欧米の仲間入りをすることだったのです。 そうしてこの「仲間入り」は
都市民化による文化的矜持(日本人としての誇り)を失っているが故に、容易に、
身も心も「脱亜入欧」ーその戦後版である対米一辺倒ー要するに「アメリカ人の仲間」
になることに繋がっていったのであり、また「日米安保体制」を裏側から支える元に
もなった、と思われます。
こうして、大量の擬似「アメリカ人」が生み出され、それと共にこの「アメリカ人」
の問題が日本に遍在することにもなったのです。