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ところで、こうした<近代化>の問題を論じるに当って、学校という存在(機能)は
欠かすことは出来ないのです。
何故10年近く「義務教育」が在るのか?(最近は、高校まで義務にせよ、という意
見もありますが)ー言い換えれば、国家が国民に教育を強制するのか?ーという問題
を考えてみればいい。
これは、無論、近代国家がヒューマニティ溢れるからという事では全然無く、学校こ
そが<近代人>を創り出す装置だからです(もう1つは軍隊)。
そうして「教育問題」の本質は、かかる意味で、<近代人>を創り出すことが出来な
くなっている、というところにあります。
60年代の大学(学園紛争)、70年代の高校(三無主義、落ちこぼれ、校内暴力)
、80年代の中学校(いじめ、不登校)、90年代の小学校(学級崩壊)。
見られる通り、ほぼ10年毎に、大学→高校→中学→小学と、教育のピラミッドの
頂点から底辺まで機能不全が拡大、深刻化し、”アトピー性”の「問題」が常態化
するようになっています。
大学生が大学生らしくないと言われて久しいのですが、今や教師が教師らしくなく、
生徒が生徒らしくない、勿論公務員が公務員らしくなくなってもいる、そうして更に
又、大人が大人らしくなく、子供も子供らしくない(ついでに言えば、男が男らしく
なく、女も女らしくない)。
このように、学校に止まらず、社会全体がデュルケームの云う<アノミー>
(無規範状態)を想わせるような事態に立ち至っているのです。