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これはharuさんの雑談21「揺るぎない真理を持った大人が殆どいない。」へのレスを兼ねております。
内容からいってこちらかな?と思いましたので
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実は少しタネ明かしをすれば、家族制度について、小生の念頭にあったのはE.トッド
の論考でした。 即ち、家族形態がその社会の支配的イデオロギーやシステムまでも
重大な影響を及ぼすといった考え方ですが、戦前までは多数派であったドイツと良く
似た家族形態(直系家族)ーそれは農村を主な基盤としますーは都市化と工業化の
進展によって、大都市を中心に、英米アングロ型(核家族)に取って代わった。
その境目に起きたのがあの「大学紛争」だったと考えると、あの紛争の隠れたもう
1つの意味も見えてくるようですがね。
三島由紀夫は、「大正教養主義(つまりドイツ教養主義)からの知識人の自惚れを
打ち砕いた」点を全共闘学生の「功績」に挙げましたが、その学生達とは、戦後格段
に進んだ核家族化、更には地方(農村)の「直系家族」から飛び出て来た者達でした。
そして、彼らによって70年代の”ニューファミリー”(という名の絶対核家族化)
が進行していったわけです。 その結果ー.というわけです。
ライフスタイルを急激に変えることによるモラルや規律の崩壊とか混乱等を「ベド
ウィン化」と言ったりしますが、家族についても同じことが言えるのではないか?
つまり、イジメにせよ教育にせよ、我々が直面する諸問題は、直接間接、この核家族
化に起因するところ大なのではないか?ということです。
但し、こういった捉え方は、一面では、運命論的、宿命論的な陥穽に陥り易い訳で、
例えばトッドは共産主義が何故ロシアや中国だったのか?という問いを、両者が
同じく「共同体家族」であったことに求めていますが、それは<必要条件>では
あっても<十分条件>ではない。 むしろ、その点では、共産主義(というより
マルクス主義といった方がいいと思いますが)登場の真因は日露戦争で日本に
負けたこと、と僕は思っております。
同じように、今回の問題も又、<近代化>に孕む問題こそが先行しているのであって、<近代化>を自明の前提にしちゃうとそのその本質(構造)は見えて来ないと思います。 では<近代化>の一体何が問題なのか?
様々な論点が有りますが、主に次の二つが重要だし、論じてみたいと思います。
1つは<近代化>が明治以来の「文明化」(文明=civilization=都市民化)という
ことで<都市化>に孕む問題、もう一つはその<近代人>自体の問題(人間観)です。