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店のない辺鄙な地域で育った。昔は自給自足に近い形で生活していたし、それを補う形で何人もの行商人が食料や衣料品を売りにきて、大きな町で売っているようなしゃれた洋服も頼めば選んで持ってきてくれたりした。初めは歩いて行商していたSおばさんは、私が小学生の頃にはバイクに荷物を積んで周1回くらいやってきて、行商仲間でも一番最後まで仕事を続けていたが、年には勝てぬと数年前に引退した。もう八十何歳だろう。
夫を亡くし、二人の男の子を行商しながら育てた男勝りのSおばさんは熱心な創価学会の信者でもある。「富士山にも登った。貴重な体験だった」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416672359
と話してくれたその時は「なぜ、富士山?」と思ったものだけど・・・
人はいいし商品を見る目もあったから、行商にやってくるおばさんたちのなかでも、母はひと際ひいきにして特別な注文も頼んだ。困った事は、学会への勧誘と公明党への投票をお願いされることで、母は学会に入らなくても投票ぐらいならと考えていたのか時折協力していたのだ・・・と最近になってその事に気づいた私である。
Sおばさんが昔の貧乏について話してくれたことがある。
戦前戦後の食料も着る物も十分でなかった頃、下着の着替えもないから洗濯もしないでボロボロに擦り切れるまで着続けたが、昔の日本の衣料品は粗悪で破れやすく縮みやすく長持ちがせず、だからと言って替えがないから汚れで肌が擦れて痛みを感じるくらいでも我慢して着続けたという。それでも洗濯する時はマンガ『夕凪の街』に出てくる主人公の母親のように乾くまで布団に包まっていなければならなかった。田舎には銭湯のような共同浴場もなく、個人の家に風呂はあっても大抵は母屋の外にあって、露天か掘っ立て小屋のような屋根の五右衛門風呂で、水は川から汲んで薪で沸かすのだが、薪は貴重な燃料なので食事の煮炊きに優先されて風呂のための薪は後回しなのであった。夏になると大人も川で水浴したのは、入浴と洗濯の代わりでもあったという。話を聞くだけで身体がピリピリするような錯覚に陥る。今の日本では想像もつかないような貧しい生活である。
『現代日本の底辺 第1巻 最下層の人びと』(1960年第一版発行)には、戦後の貧しい人々の生活が記されており、全国あちこちに貧民街が存在していたことや当時も生活保護の受給要件が厳しかった事や被保護者への差別がひどかった事など、職業や地域など調べあげた対象の人数もあり、現代とはまた異なった世界の階層社会である。
どの時代でも人の不安や弱みに付け込んだ不当商売や新興宗教への勧誘などがあるものである。まあ昨今は小金を持っている人々の欲を利用したものが多いけれど、当時は底辺であえぐような生活をしている人々を狙った動きが活発であったのだ。
食い込む新興宗教の項から引用
現世の御利益をうたって貧困者や病弱者に食い込むのは、新興宗教の一つの特徴である。とくに、被雇用者になることを得ないクズ屋、行商人などの自営業主のなかには、立正佼成会や創価学会の信者が多いと言われている。その数は明らかではないが、猛烈な勢いで蔓延しつつあることは確かである。われわれが調べた仕切場にも大抵一人や二人の信者が見受けられた。なぜクズ屋がねらわれ易いかといえば、低所得に加え、運不運が大きくものをいう仕事だからである。朝の1時間で千円かせげるものも偶然による場合が多く、1日百円しかならないとしてもその人の能力不足や怠慢が原因とは限らない。むしろ、儲けの多い日ほど骨を折っていないのが通例である。そこで、測りがたい運不運を神仏と結びつけて“入信により御利益”を説くことが比較的容易となり、陥落する人も多いというわけだ。
先にあげた東京・新宿の仕切場にいた左手のない男は、創価学会の信者であった。
「四つ角へ立って右へ曲がろうか左へ曲がろうかと考え、右へ曲がったお陰で儲けたとしますね。そのとき、左へ曲がっておれば買えなかったでしょう。ところが、右へ行くか左へ行くかは全くの気まぐれなもんでしょ?しかし、御仏を抱いていれば、どっちへ行ったらいいか不思議とわかるんですよ。仏さまが教えてくれるのです。これが“仏智”というものです」
こういって、この男は熱心に信者獲得につとめている。クズ屋には、町内公園とか神社の境内とかいう休息所があり、昼ごろになると三、四人の仲間たちがそちこちの露地から集まってくる。彼はそうした機会をのがさず、“仏智”を説きまくる。彼が沢山買っていて、相手が買えないでいる場合には効果てきめんである。彼は「1年間に20人くらい導きました。その人たちはみんな良い成績をあげています」と自慢する。勧誘成績をあげればあげるほど、彼の地位もあがり、御利益も多くなるというのが創価学会の仕組みである。そして、彼はなるたけ具体的に話を進め、どこの仕切場で月収いくらあげている男が、以前は買えなかったが現在はこうだと極めて現実的な説明をし、「とにかく会に入ってみなければわからない。理屈など言わずにやってみなさい」とさそう。
入信者の収益が増えたというのは、ある程度事実ではあるようだ。つまり、「必ず買えるんだ」と信じ込んで、くさらず歩き廻り、熱心に家庭への飛び込みをやれば1日に3軒や4軒は払ってくれるものだ。その人の努力が“仏智”にすりかえられるだけなのだが、こうして収益があがればあがるほど“仏智”の効用は高まっていくのである。そして、それでもなお買えない者に対しては、「信心が足りないんだ」ということになる。
東北の農村に行くと、創価学会のことを「貧乏人と病人が拝む神さまだんべ」という。そして事実、日雇いとか行商人のいる被保護世帯が信者の90%をしめているのである。このことは、農家では“仏智”の効用らしきものが即座に現れることがなく非現実的な説明にならざるを得ないからであろう。つまりは、賭博か神仏にたよらなければ、クズ屋はこの社会では救われないということなのかもしれない。
Sおばさんが創価学会に入信したのは、そういった理由からではなかったろうか、といま考える。少ない稼ぎの中から上納し勧誘活動もしてきたであろう。おばさんが貧乏でなかったら、学会に入っていなかったのではないかと考えたりする。当時入信した人の家族や関係者にまで、半世紀たったいまでは信者が広がっているのだろうか?現代の社会的地位の高い人の中に多い学会員はどういった動機で入会したのだろうか?外国ではカルトに分類されているという創価学会が国の行方に力を発揮していることが、末おそろしく感じられる。
貧乏は人を卑屈にし心を弱くする。他人に付け入る隙を与えたり、他者へのひがみが歪んだ考えや行動につながることもある。年配の人が「自分を卑屈にさせる貧乏は経験しないほうがいい」というのはそれが分かっているからであろう。
いま日本は官民共に底辺に生きる人々の層を増やそうとしている。このままでは「社会のせい」にしたがる人が増えるだろうと思うのである。