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創価学会と集団ストーカーを考えるときに浮上してくる数々の疑問点は、
■疑問点1:集団ストーカーは純粋に創価学会のみによる活動か、それとも外部委託か
■疑問点2:集団ストーカーが純粋に創価学会のみによる活動である場合、その実行組織が創価学会組織内部のどこかに存在していることになる。
■疑問点3:創価学会内部に集団ストーカー実行組織が存在している場合、集団ストーカーノウハウを教授する教官及び被教育者、関係職員、施設からなる集団ストーカー訓練センター的なもの、あるいは集団ストーカーユーゲントとでも言うべき教育訓練センターが存在していることになる。
■疑問点4:集団ストーカーが外部委託である場合、それを請け負うダークサイド的な営利集団が存在していることになる。
■疑問点5:集団ストーカーを請け負うダークサイド的な営利集団が存在している場合、集団ストーカーが創価学会だけの専売特許とは言えなくなる。
■疑問点6:集団ストーカーノウハウは創価学会発明のオリジナル品か、それとも外部に存在していたノウハウを取り入れたのか
■疑問点7:集団ストーカーノウハウは創価学会発明のオリジナル品である場合、誰が、いつ、どこで、どのようにして発明したのか
■疑問点8:集団ストーカーノウハウを外部から取り入れた場合、創価学会の誰が、いつ、どこで、どのようにしてそのノウハウの存在を知り取り入れたのか
■疑問点9:集団ストーカーノウハウを外部から取り入れたとする場合、そのノウハウ自体は創価学会とは無関係に既に別個に存在していたことになる。
■疑問点10:集団ストーカーノウハウ自体が創価学会とは無関係に既に別個に存在していた場合、誰が、いつ、どこで、どのようにして集団ストーカーノウハウを考え付いた、あるいは開発したのか。
■疑問点11:創価学会と集団ストーカーがなぜ社会問題化しないのか
■疑問点12:社会問題化しないのは純粋に創価学会単独の力による押さえ込みなのか、それとも創価学会以外の外部の力の作用との合成による押さえ込みなのか
■疑問点13:純粋に創価学会単独の力による押さえ込みの場合、既に日本社会は創価学会による支配体制が確立してしまったことを意味するが、はたしてそう言えるのか
■疑問点14:創価学会以外の外部の力の作用の場合、数々の問題点を指摘されながらも創価学会を温存させ時に利用してきた政治的背景(或いは創価学会背後の政治勢力)をその外部の力の作用として考えざるを得なくなってくる。
■疑問点15:創価学会は昔から野党だったのか、それとも長年与党サイドに位置していたのか
以上ですが、これらの疑問点に正確に解答できる人がいらっしゃるかどうかはわかりません。たぶん解答できないだろうと予測します。創価学会は判っているようでいながら、いざよくよく考えていくと不明な点、疑問な点が沢山でてきます。これらの疑問等については創価学会を考える人々によってそれぞれ疑問点やその数に差異がありましょうが、とりあえずここまでとしておきます。
1創価学会はどこから来たのか。
(1)起源その1
創価学会とは何かを考えるとき、その起源を探ることになりそうですが、その起源自体がいまひとつはっきりしません。
もともとは創価教育学会と称しヨーロッパ哲学(新カント派の「価値論」)をベースとした教育運動を主たる活動とする組織だったとされています。この初期の活動年数についてはわかりませんが、かなり短い期間だったのではないかと思われます。従って宗教を取り入れたのはその後の事となり最初から宗教団体ではなかったことになります。宗教を取り入れて実質的な宗教団体と変貌したのは牧口初代会長が日蓮正宗に入信し後のことと推定できます。
ここで疑問点を提示します。この疑問点は創価学会員がよく考えるべき疑問点です。
創価教育学会初代会長牧口常三郎は日蓮正宗信徒であった。また、宗門から破門されて久しい創価学会会はこの点をどのように整合させているのか、という疑問です。
疑問@
創価学会の創設者は日蓮正宗信徒であり現在の名誉会長は破門されている。破門された者が日蓮正宗信徒であった者を創設者として崇拝することに矛盾はないのか?
これは第二代会長についても同様の矛盾を指摘できる。
疑問A
共に宗門信徒であった初代会長、第二代会長を草創期の偉人としながら、後に破門された現名誉会長が仕切る創価学会が、この草創期の初代会長、第二代会長を創価学会の歴史の中に位置づけるのは理屈に合わないのではないか?
疑問B
初代会長、第二代会長を草創期の偉人とし続けるならば、宗門から破門された現指導者らは即刻組織から放逐し、変わって新たな人材による指導部を形成し宗門との関係を修復改善するのが同義的な筋ではないか?
疑問C
現指導体制が正しいとするならば、初代会長、第二代会長は創価学会の歴史から排除するのが筋ではないか?
簡単に言えば、いかな草創期の偉人といえども敵対する宗派の信徒を創価学会が評価するのはおかしくないか?
評価するのならば、現指導層を全て組織から排除して新たな指導体制を確立させるのが筋ではないか? ということでしょうか。
さて、これについてどう思われるか、創価学会の皆さんのご意見を拝聴したいものです。
(2)起源その2
創価教育学会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E4%BC%9A
大日本皇道立教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9A%87%E9%81%93%E7%AB%8B%E6%95%99%E4%BC%9A
上記に示すウィキペディアによると、
創価学会の起源は大日本皇道立教会と称する団体に辿り着くことができそうです。
まず大日本皇道立教会については天皇制において南朝を正統とし、その皇道に沿った教育を行なうという趣旨で設立された教育団体のひとつと考えられます。要するに皇国史観を濃厚に持つ団体と言え、そのメンバーには大隈重信や華族によって構成され、さらに牧口常三郎、戸田聖城が在籍していたとされています。
メンバーに華族の名が連なっているとすれば、これはどう考えても庶民の活動組織ではなく支配層の活動組織であり、そのような組織に初代会長、第2代会長が在籍していたということは、戦前の支配層との交流なり人的パイプがあったことを示唆させています。
さらにウィキペディアによると、この大日本皇道立教会の教旨・目的を根本として国民に新たな皇道を教育する団体として、牧口常三郎を初代会長、戸田聖城を理事として創価教育学会が設立されたとある。
つまり、創価教育学会は、ヨーロッパ哲学(新カント派の「価値論」)をベースとした教育運動としてスタートしたのか、それとも大日本皇道立教会の下部組織としてスタートとしたのか、いずれかが正しいことになります。
どちらが正しいのかは正直言って判りませんが、現在の創価学会を温存する政治的背景というものを考えるとき、この大日本皇道立教会の下部組織としてスタートしたと考えるとき、数々の問題を指摘されながらも創価学会が本格的な追及をされることなく特別扱いされてきた不可解さが朧に見えてきそうです。
2創価学会の起源とその変遷
この場合、全体的な流れとしては、戦前の支配層の運動と言える大日本皇道立教会に所属していた戸田聖城が、戦後の復興期に創価教育学会を再建させ新たに創価学会として再スタートした。
ということになります。このときに大日本皇道立教会時代に面識や付き合いやのあった旧支配層とのパイプも復活したのではないかと推定します。(華族を含めた戦前の支配層は戦後に解体されことになっていますが、それは皮相的な話に過ぎないだろうと考えています。)
このパイプ、つまり民主主義時代に衣替えした旧支配層(大日本皇道立教会の元メンバーらを含む)とのパイプとそれに連なる戦後日本の支配層との人脈が、戦後の創価学会の背後の力となって問題の多い創価学会を擁護し守っていたのではないかという推定が可能となってきます。
というより、このような外部の保護力を考えないと、なぜ創価学会が今日まで存在しえたかを合理的に説明することができません。本来ならばとっくの昔に宗教法人を剥奪され、解散させられていて然るべきものと考えています。
ところが戦後の創価学会、特に池田大作第3代会長の時代から現在の創価学会に観察されることとして、どこか反日本的且つ親半島的性格が指摘されています。
例えば下記に示すサイト、
創価学会は北朝鮮宗教である
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
上記サイトによると、
戦後の創価学会はいつの間にか半島系人脈に乗っ取られてしまったとあります。
本来は国粋的な性格の創価学会が、どこか反日親半島的な正確を覗かせるのは確かに矛盾した話ではあります。
また、このサイトが正しいとすれば、本質的には国粋的であるべき創価学会が、どこかの時点で半島系人脈に乗っ取られて犯罪的成分を多分に含有する反日革命組織に変質してしまったことになります。
3大いなる疑問点
創価学会の起源を辿ることによって、このような反日的で犯罪的成分を多分に含有する革命組織をなんで今まで温存させてきたのか?
反日的で犯罪的成分を多分に含有する革命組織と連立政権を形成するという常識的または良識的には考えられない政権を作った理由はなんのか?
全ては集団ストーカーの一切を権力によって圧殺するためなのか?
このような組織による集団ストーカーがなにひとつ社会問題化しないのは、支配層の権力維持のために、反日的で犯罪的成分を多分に含有する革命組織に捧げられる生贄なのか?
この疑問に関する答えは後の歴史で明らかにされるのでしょう。