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5なぜ社会問題化しないのか
集団ストーカーによる被害が社会問題化しない理由については各人各様のものがあるかと思います。
特に創価学会と集団ストーカーについては、その前身とも言えるような創価学会と組織的な嫌がらせについて、このような問題が何度が国会で取り上げられたり、実際にこの問題に取り組む市会議員もいました。にも拘らずその責任の所在に関する社会的追求が十分になされてきたとは言えないようです。
これはなぜなのでしょうか?
これを紐解くにはどうやら創価学会と政治を考えていく必要があるように思えます。
それは創価学会と時の政権与党との関係を考えるものとなるだろうと思います。
(1)創価学会と時の政権与党との関係
いまさらこんなことを書くのもなんですが、創価学会と公明党は形式的には別組織となっています。だからこれで良しとする方もおられるでしょうが、個人的にはこれで良しとは考えません。
創価学会と公明党は、創価学会とその政治局であるという見方をしています。その理由として公明党から創価学会員を全て除去したときに何が残るかを考えるからです。何か残るでしょうか。
もしこの記述を読んでいる創価学会員の方がおられるならば、何が残るかをぜひ教えてください。
創価学会は政治参加して久しいのですが、現在の自民創価連立政権だけが創価学会が与党となった時代と考えるのか、それともそれ以前のかなり昔から創価学会が与党的な位置、あるいは与党サイドにいたのか、このあたりがどうにも曖昧です。
例えば東京都政においては、長いこと創価学会は与党となっています。これは他の地方議会でも同様ではないでしょうか。
すると国政においても表面的には野党だったが実態的には与党側に位置していたのではないかと推測することができます。
また、現在の連立政権において自民党を支えているのは創価学会の票であることに間違いはない。
このような図式が実はかなり昔、それも冷戦構造の早い時代から水面下においてそのような図式ができていたとしたら、創価学会と組織的な嫌がらせが本格的な社会問題として追求されない理由が漠然と見えてきそうです。
(2)創価学会を温存する背後の力
創価学会は野党的なポーズを取りながら実際は常に時の政権与党サイドに位置していたとするならば、ある程度のことは政権与党の政治権力によって押さえ込むことが可能となっていたと考えるのが自然ではないでしょうか。
創価学会と時の政権与党の関係は、互いに利用する持ちつ持たれつの関係だったのではないかと思います。
冷戦時代を例にとって考えるならば、時の政権与党側とその有力支持層内部において、創価学会を反社会的なカルト組織として潰してしまうよりは、日本の共産化を阻止するために利用したほうが賢明であるという政治的判断が優先していたのではないかと思います。
その目的のため創価学会を保守陣営に組み入れ協力させ時に支援させるが、その代わりにある程度のことは目をつぶる、創価学会が問題を起こしてもあまり創価学会を追求したり攻撃しないようにマスコミを抑制する、時に尻拭いをもする。
また、日本の共産化の阻止という目的は同時に治安問題にも関係するため創価学会と警察との『良好な関係構築』を許容してきたのではないかとも思えます。
こう考えないと創価学会員が警察や公安警察に採用される理由を説明できません。
このように書くとそれは公的機関の人材採用において、宗教や主義思想を理由に排除するのは憲法違反だからだとする反論がきそうですが、ならば、社会党員や共産党員が警察や公安警察に採用されて然るべきでしょう。
このように創価学会と組織的な嫌がらせの本格的な追及が成されない、創価学会と公明党の政教分離がきちんと議論されてこない、最高裁判所が憲法判断をしない、創価学会と課税上の問題が追及されない、これら諸々の追及がきちんと成されない理由が、
創価学会だけの単独力によるもなのではなく、その背後に控える力の作用によるものではないかと思えてなりません。
つまり創価学会を温存する背後の力の作用が、創価学会の存在を許容し、その問題性の追及の抑止力として作用し続けているのではないでしょうか。
この力の作用が現在の集団ストーカーを社会問題化させない元凶なのではないかと思えてなりません。
(3)集団ストーカーは創価学会だけの力で可能なのか?
集団ストーカーについては確かに創価学会で説明はできるようです。(但し、純粋に創価のみの活動なのなか、それとも外部委託なのか、その混合形態なのかの疑問は残ります。)
ところが、そのような活動が何一つ社会問題化しない現状を全て創価学会だけの単独力で説明可能となるのか、それとも創価学会以外の力の作用が合成された複合的パワーの成せる業と考えるのか、
これは正直言って解りません。わかる方がいらっしゃるのならぜひ教えて欲しい。
先にも指摘しましたが、集団ストーカーノウハウが創価学会のオリジナルな発明品というよりは、むしろこれは既に存在していたノウハウを外部から取り入れた可能性を疑います。
さらに、このノウハウをどのようにして取り入れたのか。
■選出された組織構成員にノウハウを習得させるべく『外部機関』への研修
■『外部関係者』を組織内に招聘し選出された組織構成員へのノウハウの伝授及び技術指導
取り入れたとするならば上記のいずれかになるでしょう。
このいずれかによって全てのノウハウをマスターした人材による基幹組織が形成され、それが組織内部に存在していると考えるならば、
集団ストーカーは創価学会のみによる活動、つまり自前の活動として説明できることになります。
もし上記のいずれにも該当しないならば、集団ストーカーは外部委託が基本であり、後はその支援、援護という説明となります。
もうひとつは、自前と外部委託の混合形態を考えることもできるかもしれません。
そして最後にもう一度示しますが、
集団ストーカーノウハウが創価学会のオリジナルな発明品でないなら、そのノウハウを創価学会以外の何者かが目をつけそれを取り入れ、あるいは利用しているという疑いを消し去ることはできません。