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4なぜ集団ストーカーを行なうのか
創価学会が集団ストーカーを行なう目的を、いままで見てきたことから考えることによって、いくつかの複数の目的を見出すことが出来ます。
(1)自己正当化の目的
創価学会には正統な宗教団体の側面というよりは、むしろカルト的な側面を多分に持っていますので、この側面から考えて見ます。
まずカルトについて。これは一説によればその原型的なものは16〜17世紀のヨーロッパに存在していた『山師』に辿れるとされています。
今日におけるカルトは数百年前のヨーロッパを徘徊した『山師』達が苦心惨憺して編み出してきた『からくり』、あるいは『騙しの手口』、あるいはその古風なノウハウを、現代風にアレンジし直し、且つ、科学的に組み立て直した『ペテンの科学』であると考えることができます。
つまり、カルト自体は何も目新しいものなのではなく、何世紀も前の山師達が完成させた効果が証明済みのノウハウを、現在でも多くの山師達が意識的、あるいは無意識的に利用していると考えることができます。
このペテンに共通している要素に以下に示すものがあり、
@信者が増えれば増えるほど騙すのが容易になってくる。
A個人は群集の熱意・情熱に飲み込まれやすく伝染させる媒体になりやすい。
B嵌った者は疑いを持つ者を敵視する。
このほかにもあるのでしょうがそれはさておき、これらは何百年も前のヨーロッパを徘徊した『山師』達によって見出されてきたものとされています。
この山師達が編み出したカルト形成法には、
@期待感と曖昧な言葉
大衆を注目させ、何かの変化を期待させるようなことを曖昧な言葉で聴衆を魅了させ幻惑させる
A感覚の幻惑による思考力抑制
自分の周りを贅沢品で囲み幻惑させ、それを信者の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感にも楽しませ余計な思考が働かないようにする。
※これを現代風にアレンジすると、カラフルな表やグラフ、ビデオなどで視覚に訴え、芳しい香で嗅覚に訴え、ヒーリングサウンドで聴覚に訴え、高級な食器に高価なワイン、コーヒー、紅茶、菓子で味覚に訴え幻惑させ余計な思考が働かないようにするなど。
B組織化と威厳、神聖さの利用
人々が集まると組織宗教に組み立てなおし宗教の威厳と神聖さを利用する。宗教的な意味の階級、肩書き、名前を信者に与え階層性を取り入れなが、その一方で自分は預言者やシャーマン、グルのように振る舞い宗教的に幻惑させ自分の狙いを隠す。
C資金源を悟らせない
組織化によってカネが集まり始めてもカネへの渇望を悟られてはならない。自分に従えばあらゆる御利益に預かれることを、贅沢品で身を包んだ自分を見せることによってその信仰が正しい証拠であるかのように幻惑させ、間違ってもその贅沢品が信者のカネで得られていることを考えさせてはならない。
D組織維持のために外部に敵を作る
大きくなった組織を維持するためには外部に敵をつくり、組織内の不満は全て外部の敵にあるという考えを捏造してそれに矛先をそらす。敵がいなければでっちあげる。
この組織のカルト的な本質を暴き追求する者は全て悪の手先であり、自分たちを滅ぼそうとする悪の組織の攻撃だという考えを作り出して信じ込ませる。
ざっとこの5段階からなるとされています。
ここで創価学会に話を戻すと、現在の創価学会はカルト形成法の5段階『D組織維持のために外部に敵を作る』を当てはめて考えていくことができそうです。
創価学会の信仰を信じない者や、それを棄てて他宗へと改宗する者、逆らい、刃向かい、批判し、さらには悪事を追及し暴こうとする者、その他好ましくない者、
これらは全て悪の手先であり、『魔』であり『三章四魔』であり、当然『仏罰』を加え『地獄へ落す』べく憎むべき『仏敵』であるとした場合、
これら『仏敵』に対して、人為的に『仏罰』を加え『地獄へ落す』ことができれば、相対的に自分たちが正しいことを立証できることになります。
もう少し正確に言うと、自分達組織指導層の指導が正しいことを下々の組織構成員に対して立証できることになるわけです。
こうして集団ストーカーを行なう理由を考えていくと、創価学会指導部は自分たちの指導なり唱えごとが正しいことを下々の組織構成員に立証し、さらに下々の組織構成員は一般社会に対して自分たちが正しいことを主張できることになります。
結局のところ、これは創価学会は正しい信仰であり無謬であり、これを信じない者、拒む者、入信しない者、機関紙購読をしない者は、不幸になって地獄に落ちることを一般社会に対して暗示的に示せるという、自己正当化の目的を見出すことができます。
(2)負い目を利用した組織結束の目的
次に、集団ストーカー活動に現地の創価組織構成員を参加させることによって、人権侵害活動に手を貸したことを意識させ、組織構成員に共同正犯的な負い目を植え付けることによって、内部批判を起こさせない目的が見えてきます。
悪事に手を染めさせることによって上のやることにいちいち文句、批判を言わせない、いざとなったら『お前らも手を貸しただろう』といって黙らせることでできるわけです。
(3)見せしめを利用した脱会防止の目的
次に、集団ストーカー活動に現地の創価構成員を参加させることによって、ターゲットがいかに酷い眼に合わされるかを目の当たりにさせることによって、組織を離脱すればどうなるかを徹底的に押し込む目的を見出すことが出来ます。
(4)闇産業の維持の目的
暴力団なり闇社会なりが、なぜ完全に壊滅させられないのかを考えたことのある人々は多いと思います。
壊滅させられない理由は彼ら犯罪者にも人権があり生存権が有るからだなどというのは論法のすり替えでしょう。
このようなダークサイドが温存している理由は、政治的な利用価値があるからだとしか考えられません。
法的、制度的に根拠が不明であったり打つ手が無く、時間的にどうにもならないような場合に政治的判断を下すということがあります。
この政治的判断のひとつにダークサイドの利用が十分に考えられるし、実際にそのようなことは行なわれてきたわけです。
例えばバブル時代の地上げに伴う住居立ち退かせや、企業など誘致における反対勢力の対処、墓苑建設における反対勢力の対処などなど。
その利用価値ゆえにダークサイドを温存させるために仕事を与える。
その一つが集団ストーカーではないかとも考えられるわけです。
以上から、なぜ集団ストーカーを行なうかを考えていくと、これは少なくとも自分たちの信心の正しさ素晴らしさを際立たせると同時に、組織維持と脱会防止を含めた組織防衛の一環ではないかと思えます。
つまり集団ストーカーは、その活動に訴えなければ自己の正当性も組織維持できなくなっていることの裏返しではないかとも思えてきます。