★阿修羅♪ > カルト5 > 193.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
3いつから集団ストーカーを行なっていたか
(1)組織的な嫌がらせの起源
まず、例によって検索結果から見ていきます。
■Googleでの検索ヒット数
創価学会 嫌がらせ の検索結果 約1,660,000件
■YAHOO!での検索ヒット数
創価学会 嫌がらせ で検索した結果 約336,000件
検索日時:平成20年2月2日12時35分現在のヒット数
『嫌がらせ』のキーワードで検索した結果、Googleでのヒット数は166万件という極めて高い数値を弾き出します。
これは『創価学会と嫌がらせ』がいかに密接な関係にあるかを提示するものであり、また、このヒット数からいかに多くの人々が創価学会の嫌がらせを体験してきたかを示唆するに十分なヒット数とも言えます。
次に示すのは、
第126回国会 予算委員会第三分科会 第2号 平成五年三月五日(金曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0388/main.html
第136回国会 予算委員会 第22号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/136/0380/13604010380022a.html
この両審議録において、それぞれ関晴正、白川勝彦の両氏による創価学会の組織的人権侵害活動に関する質疑応答が記録されています。
内容をかいつまんでみますと、
第126回国会 予算委員会第三分科会 第2号 において、
@創価学会会員と日蓮正宗法華講会員との間に、北海道、東北、関東、関西、中部、四国、九州、中国、沖縄、全国においてのトラブル
A青森県の例として、学会員である現職警察官により、元僧侶と地元学会員を引き連れて強引な脱講運動の案内役をした件
B全国から来ている文書中において、戸をたたく、入れないと思っても、お山の方からやお寺の方から来たとかと言ってあけてみれば学会員、トイレを貸してくださいと言うのであけてみればまた学会員、一日に何度も、一カ月に何度も来る、さらに、こっちへ戻らなければ地獄へ落ちるぞ、こっちへ戻らなければ殺してやるぞとの脅迫的言辞を弄する。
C家人が帰れと言っているにも関わらず、無理やりにあける、戸が閉まらないように足を狭めて入ってくる、一人、二人どころか、四人も五人も。
D後を尾行してくる、自動車で来る、自動車のタイヤに穴をあける、ガラスを破っていく。
E警察への被害通報の有無に関する警察庁への質問
などなど。
次に、
第136回国会 予算委員会 第22号 においては、
@創価学会脱会者などに対する暴行、脅し、嫌がらせ、その他の犯罪行為まがいに関する報道
A隠し撮りの疑い
B創価学会問題について批判的な立場で言論を展開している人に対する尾行の疑い
C自分にとって好ましくない人、敵対している人を常時尾行する、追いかけ回す、見張るというような行為が、日本国の何らかの法律に、刑罰を伴う法律に違反するかの有無についての、法務大臣もしくは国家公安委員長への質問。
D普通の撮影ではない、隠し撮り的なカメラの保有は遊びじゃできることではなく、組織的に何らかの目的、指令を受けてやっている推測が可能となる。
Eある宗教団体が、みずからの組織にとって好ましからざる人物に対する組織的尾行や嫌がらせを行う場合、他人の信教の自由を守るという義務もある宗教団体、宗教法人にとって好ましいことか非難さるべきことかに関する文部大臣への質問。
などなど。
しかし、なぜかくも『創価学会と嫌がらせ』はこれほど多いのか?
先に創価学会には政治団体や宗教団体とは異なるもう一つの側面として、巨大資本のひとつとしての側面を見出すことができると指摘しましたが、ここにもうひとつ、巨大なハラスメントパワーとしての側面を付加させる必要があるようです。
これら両審議録を読んでいて感じることは、何かナチス時代のユダヤ人迫害を彷彿とさせてくることです。
また、両審議録における擬似ナチス的とも思えるような組織的な人権侵害活動の多くから現在の集団ストーカー活動と奇妙に符合する要素を見出すことができます。
@北は北海道、南は沖縄に至るまで国土全域に渡る点
A警察の関与、また被害に対して警察組織がほとんど機能していない点
Bタイヤのパンク、ガラスの破損などの器物破損が伴う点
C尾行・監視・隠し撮りまたは盗撮行為が伴う点
D組織的活動の疑いが濃厚である点
この現在の集団ストーカーの原型的とも思える組織的な嫌がらせの数々から考察していくに、創価学会と集団ストーカーに関する起源は、少なくとも平成五年三月五日以前に遡及できることがわかってきます。
つまり1993年初頭には集団ストーカーの原型とも言えるような組織的活動が全国規模で展開されていた可能性がでてくることになるわけです。
この創価絡みに関する苦情や嫌がらせについての情報は、自身の記憶から1980年代に主として雑誌メディアで度々報じられていたことを辿れます。
すると、集団ストーカーの起源は少なく見積もっても1980年代にまで遡及していくことが可能となります。
ちなみに、自身の体験を一部提示してみますと、近年明らかになってきた手法のうち、光や音響を利用した所謂ブライティングやノイズキャンペーンといった手法による挑発行為や、追跡、待伏せなどは1982〜1983年頃に遭遇しています。
また、身体に衝突する所謂コリジョンキャンペーンと称される挑発行為とも神経工作ともつくような、身体への不自然な衝突については1987年頃から主として書店内で遭遇しはじめています。
また、これも以前に記しましたがガスライティングの語源から集団ストーカーの手法が1930年代にまで遡及可能なことから、自身の体験も含めてこのような手法自体は、実は相当昔に遡れることが判ってきます。
(2)いつからハラスメントパワーの側面を持ち始めたのか
ここまで見てきて疑問となるのは、創価学会は最初からハラスメントパワーの側面を持つ組織団体だったのかという疑問です。
ここで創価学会の歴史を簡単に見ていくと、もともとは創価教育学会としてスタートし、伝えられるところによれば、当初はヨーロッパ哲学を実生活に役立てようとする一種の教育運動だったとされています。
創価学会が最初から宗教団体でもハラスメントパワーでもなかったことはこれによって明らかとなります。
するとハラスメントパワーの側面を持ち始めたのは当初の設立以降の事となってきます。
流れを観ていくと創価教育学会はその後ヨーロッパ哲学を捨て去り、変わって日蓮宗教を取り入れていきます。このときに取り入れたのが日蓮正宗とされています。
この日蓮正宗に接近しその信徒団体の一つとなるように組織を変革させた人物がいたのか、それとも時の流れとその時代の流行によってなんとなく信徒団体の一つとなったまとかは解りません。
その後、創価教育学会は、
創価学会真実史料・牧口常三郎特高調書 (特高月報抜粋)
http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/makigutityosyo.htm
上記サイトによれば、『皇大神宮に対する尊厳冒涜並に不敬容疑濃厚』のため当局に検挙されたとあります。
非合法化の共産党員のような反戦活動を行っていたわけではないようです。
また、この月報から創価教育学会信者の妻が、夫の留守中に謗法払いをしたため離婚問題が生じたとの内容を投書する者があったという件から、
既にこの時代から家庭内争議が生じるというカルト的側面が見出せますが、巨大なハラスメントパワーとしての片鱗を窺うことはできません。
こうして創価教育学会は主だった幹部の検挙・投獄によって事実上壊滅していきます。
やがて終戦を迎え戦後になると戸田城聖という人物によって組織が再建され、名称も創価学会と改められて際スタートを切ります。
大規模な折伏活動によって勢力拡大させやがて公明政治連盟を発足させ政治進出し、その後公明党となり現在に至る。
さて、この流れの中から、創価学会が巨大なハラスメントパワーとなるべく条件が作られたのは、
■第一に折伏による勢力拡大
■第二に政党創設と政治参加
この2つの出来事からではないかと推測されます。
また、この視系列から考えて創価学会指導者が戸田会長から池田会長へと変遷していることから、
戦後のどちらかの時代に巨大なハラスメントパワーの基盤が形成されたことになります。
こうして巨大なハラスメントパワーの基盤が形成されたとして、
次に考えるのは、では組織的な嫌がらせの手法を誰が、いつ、どこから取り入れたのかという点に移行していきます。
創価学会と集団ストーカーを考える場合、常に疑問として浮上してくるのは、この組織的な嫌がらせの手法、つまり、
●集団ストーカーノウハウが創価学会のオリジナルな発明品なのか、ならばこの手法を発明した人物がいることになる
●集団ストーカーノウハウが創価特性のオリジナル品なのではなく、外部から取り入れた手法であるとするなら、ここでも誰が、いつ、どこから取り入れたのか
これらが謎として残されます。
この謎となる疑問点は、集団ストーカーが
■創価学会の自前の活動
■外部機関への委託
のどちらなのかを考えていくための根本的な疑問点となると考えます。
次回は、集団ストーカーノウハウが創価特性のオリジナル品であるか否かを少し考えてみたいと思います。