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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu160.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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概ね19世紀まではキリスト教の真理と人種差別はまったく自明のもの
であった。 母なる地球>クジラ>白人>黄色人種>黒人>霊長類・・・
2008年1月21日 月曜日
◆捕鯨問題 YouTubeで"炎上"(2008.01.15) 動画 2分45秒
http://www.youtube.com/watch?v=oFagGduDgbs
◆ワシントン支局長・山本秀也 覚悟問われる日本の捕鯨 1月20日 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080120/trd0801200253000-n1.htm
≪盟友たちの反発≫
年々薄くなっているという南極あたりの氷は、実のところ、逆に厚さを増している−。
南極海での日本の調査捕鯨を取り巻く国際環境の厳しさを考えると、こんなふうに、進行する地球温暖化の現実とは正反対の光景さえ思い浮かべてしまう。
日本の調査捕鯨船団が、昨年11月18日に下関港を離れた。だが、予定海域に到達する前に、今年から予定していたザトウクジラの捕獲を断念することになった。
厚い氷に阻まれ、捕鯨船団が立ち往生したわけではない。日本政府による「1、2年の見合わせ」の決定のためだが、背後には米国、オーストラリアの強い反発がある。米国務省のマコーマック報道官は、船団出港の翌日、「日本が今年の捕鯨を自粛するよう呼びかけたい。とりわけ、ナガスクジラとザトウクジラには配慮を求める」と、米政府の具体的な要請を表明していた。
この後、11月24日投開票の総選挙で政権交代があったオーストラリアでは、かつて日本の調査捕鯨阻止に「軍艦の派遣も辞さない」と息巻いたラッド労働党党首が新首相に就いた。さすがに海軍艦艇への出動命令は控えたが、豪税関の監視船が日本船団の追跡に乗り出した。
年が明けて今月15日、豪連邦裁判所は、調査海域が豪州独自に設定した「クジラ保護海域」にあたるとの理由で、日本の捕鯨差し止めを命じたのである。
≪凍結された法的権利≫
差し止めを求めたのは、野生動物保護を叫ぶオーストラリアの環境保護団体だ。日本側は「公海上での活動」として判決を拒む構えだが、司法の衣を着た政治的な圧力は、活動家による海上抗議などより、ある意味では対応が難しい。司法までもが「捕鯨反対」を支持したことで、今後の影響はオーストラリア国内にとどまらない懸念がある。
日本にとって悩ましいのは、米国、オーストラリアといった安全保障分野での重要な同盟国が、またも日本を標的に「捕鯨反対」を声高に叫びだした点である。
豪連邦裁の判断はいうまでもなく、IWC(国際捕鯨委員会)で認められた調査捕鯨の法的権利が、このところ事実上凍結されているようにすら思える。マコーマック報道官も調査捕鯨に関して「日本の法的権利は認めるにせよ」と前置きしつつ、「クジラの生息数に関するほとんどすべてのデータ収集は、非致死性調査が技術的に可能だと指摘しておく」と踏み込んでいた。
この主張をかみくだけば、「調査の権利は認めるが、クジラを殺すな」ということだろう。言葉にこそしないが、「副産物」の鯨肉が調査後に日本の水産市場に流通する現状を想定すればこそ、「非致死性」というくだりに力も入る。日本がよって立つ科学的反証は一顧だにされない。ニューヨーク・タイムズ紙の社説(昨年4月1日)は、クジラの解体、販売をともなう捕鯨に「調査」の名を冠することを「世界中の生物学者が恥ずべきこととしている」と切り捨てたことがあった。
米議会関係者によると、かつて民主党の大統領候補にもなったケリー上院議員ら米与野党議員は、マコーマック談話に続いて加藤良三駐米大使に書簡(11月29日付)を送り、「差し迫った約1000頭もの捕鯨を見合わせよ」と迫っている。
≪慰安婦問題との類似性≫
捕鯨問題への賛否議論を見渡すと、慰安婦問題に関する米下院の対日非難決議といった歴史責任の議論にも似た構図がみえてくる。論争のキーワードを「史実」(慰安婦の実態)から(調査捕鯨の)「科学的根拠」に置き換えると、浮かび上がるのはかみ合わない議論と不信に満ちた感情論だ。
まして対日非難の出所は、近隣の中韓ではなく、米豪や英国などだ。高飛車に来られると、日本人の体内時計は昭和20年に針が戻り、敗戦の古傷が痛む。日米豪の3首脳が、シドニーでの会談(昨年9月8日)で、アジア・太平洋地域での安保協力を誓ってわずか4カ月でこの捕鯨問題騒動である。ああ、寒い光景だ。
鯨料理も食文化の一つととらえる日本に対し、米豪の捕鯨反対論の根底には、クジラという高等動物を食べること自体が野蛮だという思いがある。
南極海を航行中だった日本の調査捕鯨船には先日、反捕鯨派の米環境保護団体のメンバー2人が侵入し、激しい妨害行為を行い、波紋を広げた。
たかが、クジラ。されど、クジラ。日本が「国家の意思」として捕鯨を維持する覚悟なら、「科学」と「法理」を武器に、対日包囲網の中でも堂々と主張し続けるしかあるまい。(やまもと ひでや)
◆ガイア教の天使クジラ その1 神は細部に宿り給う
http://tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-303.html
最近IWCの総会があった関係でいくつか反捕鯨問題のニュースを見かける。
痛いニュース(ノ∀`):“日本の怒り爆発!” 「国際捕鯨委員会(IWC)脱退も」 日本政府表明…新機関設立も
痛いニュース(ノ∀`):【捕鯨問題】「日本の対応は子どもじみたかんしゃく。母親は子供のかんしゃくを認識するものだ」…オーストラリア環境相
他にも探せばいくらでも出てくると思うが、議論はたぶん私が初めてこの問題に興味を持ちだした十年以上前からまったく変わっていないだろう。賛成派は「欧米白人キリスト教圏の文化帝国主義反対!」と叫び反対派は「水産庁の役人利権に利用される民族主義者キモイ! グローバルスタンダードに逆らって国益を損ねるな!」と叫ぶ。
LinuxとかperlとかFXとか - そんなにみんなクジラ食いたいんだろうか?
そんな中で上のページの人の「訳が判らない。」という素直な感想は貴重に見える。確かにこれはわからなくて当然と思う。私はおよそ主要な社会問題の中でこれほど理解の難しいものを他に知らない。
私が初めて反捕鯨問題に興味を持ち始めた頃に一番驚いたのは、過激な捕鯨反対派の著作の中に、単に「鯨は知能が高い」というだけでなく「鯨は人間よりも知能が高い」という意見がしばしば登場することだった。
それはもちろん反捕鯨派の主張としても主流というわけではなかったが、かといって少数の異常な例外として無視できるほどマイナーでもなかった。しかも彼らにとってそれはただの運動の口実などではなく、心の奥底からそれが真実であると(あるいはあって欲しいと)思っていることは確実だった。
これは私にとって直感にも理屈にも真っ向から反する不思議なことだった。確かに他の条件が同じならば、知能が高い動物の方が可愛いと感じることは人類にある程度普遍的な傾向と思われるので、捕鯨反対派が鯨の知能を高く見積もりたがるのは不思議ではない。しかし人間よりもとなるとまったく話は別だ。
人種差別の思想にとって「人間が最も頭の良い生物であること、そして白人がその他の人種より頭がよいということ、そしてそれが偶然ではなく必然であること」はまさに中心教義であり、そのことを真理として“証明”するために途方もない努力が傾けられてきた。
捕鯨反対運動と人種差別感情に強い結びつきが、少なくとも相関性があるのは明白に思えた。だがそうするといくら反捕鯨運動の主張としては都合がいいからといって、もう一方の中心教義を全否定してしまうような信念が、過激派にとりわけ好まれるなどということが本当にあり得るだろうか?
明らかに何かが間違っていた。例外は法則を試すというが、このことが納得できるようになった時には、私はこの世の何事かについて、何か重要なことを理解できるはずだと直感的に思った。しかし、その時はいくら頑張ってもそれ以上理解は進まなかった。私がこのことをやっと納得できるようになったのはずっと後になってからである。
それは反捕鯨問題とはまったく関係なしに、宗教や哲学の歴史を勉強している時に予想外の方向からやってきた。結論から言うと捕鯨反対運動は人種差別と結びついているわけではないし、宗教じみているのでもない。現在の反捕鯨運動の精神はかつて人種差別に科学的根拠を与えてきた自然神学の残党であり、宗教じみているのではなく最初から宗教そのものなのである。
もちろんいきなり言われてもなんのことかわからないだろうから、これから何度かに分けて説明していくけれども、冒頭の痛いニュースや、おそらく2ちゃんねる等で捕鯨反対派に対し強烈な反発を表明している人たちに、私から是非とも伝えたいメッセージが1つだけある。それは何も怖がる必要はないんだよってことだ。
反捕鯨運動は君らが恐れているようなここ二、三十年で急速に台頭し瞬く間に日本の伝統文化の1つを壊滅に追い込んだ恐るべき勢力……なんかじゃあない。逆だ。かつて社会の指導原理として人類総てに神の恩寵を与えていたもの、かつて地球を股に掛けて先住民をスポーツハンティングし、奴隷船を駆り、断種手術を指揮し、絶滅収容所を経営していたものの、もう見る影もない哀れな成れの果ての姿なのであって、恐怖に怯え「弱い者いじめはもうやめてくれ!」と叫んでいるのは実は君ら以上に彼らの方なんだってことだ。
◆ガイア教の天使クジラ その2 神は細部に宿り給う
http://tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-305.html
21世紀の現在では想像するのも難しいが、概ね19世まではキリスト教の真理と人種差別はまったく自明のものであった。全知全能の神をトップに戴く一次元的な階層構造があった。
そういうものを書き表すのにおあつらえ向きな不等号厨メソッドを使うとこうである。
古い存在の大いなる連鎖(各階層の差を作り保証しているのは神)
全知全能の父なる神>>>(全知全能の壁)>>>天使>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>鳥獣>魚>地を這うもの>草木>無生物>塵芥
進化論を筆頭とする科学の進歩によって、この美しく居心地の良いヒエラルキーを維持するのはだんだん難しくなっていった。もはや人間は動物とは違って神によって特別に創造されたと信じることは難しくなってきた。この“危機”に際しての対応は大きく2つの方向に分かれた。
1つは今でもID論を推進しているような、単純に用語をキリスト教的でないできるだけ科学的なものに置き換えるだけで、基本的にキリスト教の教えをそっくりそのまま守ろうとする方向。もう1つは進化等の科学的事実は認めるものの、今度は自然科学そのものに神の意志や人間への愛を見て取ろうとする自然神学の方向である。
存在の大いなる連鎖修正版(各階層の差を作り保証しているのは進化)
神≒やがて人間が進化するべき究極の知性>>>(超未来の壁)>>>より高度に進化した人類>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>哺乳類>鳥類>は虫類>両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>無生物>塵芥
全ての生物が人間に向かって一直線に進化の階段を「向上」してきたこと、そして白人が全ての人種の中で最も進化した人間であることを示すために、ありとあらゆる努力が傾けられた。この方向性はヒトラーの絶滅収容所に象徴される20世紀前半にピークに達し、その反動で一気に衰退した。
存在の大いなる連鎖は再び修正を迫られることになった。この“危機”に対する反応は前回よりももっと深刻で四分五裂することになったが、ある一派はフェミニズム・公民権運動・反帝国主義・自然保護運動その他諸々の思想状況の変化を目一杯取り込んで比較的魅力的な以下のような形に再構成することに成功した。
存在の大いなる連鎖最新版(各階層の差を作り保証しているのはラブリーでスピリチュアルな何か)
母なる地球ガイア>>>(超科学の壁)>>>クジラ・イルカ>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種≧黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類≧哺乳類≧鳥類≧は虫類≧両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>>>無生物>塵芥
これが新しい存在の大いなる連鎖である。クリスチャン・ラッセンの絵が新しい宗教画である。計画性のない焼き畑で森林を破壊し、援助物資を内戦や子作りに浪費し、賢く可愛いチンパンジーやゴリラを迫害し、気高く罪のない鯨を殺害する愚かで野蛮な土人どもは、やはり自然を愛する我々が保護し導いてやらなければならない。新しい「白人の責務」である。これらは昔と比べると随分いい加減で格好悪くなってしまったけれども、それでも何もないよりはずっと安心だ。
ここまで来てやっと過激な捕鯨反対派の中に「クジラは人間よりも知能が高い」という主張をするものがいることの意味がわかってくるだろう。古い存在の大いなる連鎖では「天使」、少し前の版では「より高度に進化した人類」がいた地位に相当するもの、自分たち白人のすぐ上にあって究極の存在との仲立ちをしてくれるものが、新しい大いなる存在の連鎖にも必要だったからだ。その地位に担ぎ上げるのに一番適していたのがクジラ・イルカだったのだ。
(今回の話にはあまり関係ないので深く追究はしないが、実在の宗教とその歴史を見る限り、どうも人にとって全知全能の神などの概念だけを信じろというのはとても難しく、天使や精霊といったそれとの仲立ちをしてくれる概念を必要とするようである。)
私はもちろん白人ではないけれども、神の似姿からサルの同類に転落してしまった無念と恐怖を理解できないふりをすることはできない。反捕鯨派の主張が非科学的だと言って非を鳴らすのは簡単だがそれは何も解決を導くことはできない。問題はそこにはないからだ。もし本当に何か進展が必要だと思うのなら、少なくとも彼らの叫びをまともに受け止めて答えることができるようにならなければならない。
「お前らはこれ以上いったい何を要求する気だ? 珍味だか伝統文化だか知らないがそんなもののために、棺桶に片足突っ込んで思想の墓場に運ばれる時を待っている老人の最後のわずかな希望まで奪おうとしないでくれ! クジラがカバに近縁の哺乳類の一種に過ぎないと認めてしまったら、いったい誰が俺たちをお前たち劣等人種と違って神の御心にかなう者であることを保証してくれるというんだ!?」
(私のコメント)
アメリカ・イギリス・オーストラリアにおける反捕鯨活動は主に日本を目標としている。捕鯨を行なっている国は日本だけではないのですが、反捕鯨活動は一種の宗教活動であり、クジラの生息の実態調査をして科学的な反論をしても、一種の宗教活動なのだから何の効果も無いようだ。特にオーストラリアで左翼政権が発足して日本の調査捕鯨活動に対してオーストラリア海軍の出動すらさせようとしている。
クジラが絶滅しかけているという反捕鯨活動家の意見は正しいのだろうか? クジラといっても多くの種類がいて、クジラの中にはミンククジラのように増えすぎて漁業に影響も出ている事もあるようだ。ミンククジラはサンマやイワシを大量に食べるから、ミンククジラが増えすぎればサンマやイワシが捕れなくなる。
最近では日本食ブームで魚料理が世界的に増えて魚資源の高騰が問題になり、マグロなどは捕獲制限も行なわれるようになった。牛などの畜産では狂牛病や成長ホルモンなどを使った薬物汚染が問題になり、魚料理に切り替える人が増えた為だ。クジラなども乱獲によって減少しているのなら保護すべきですが、増えているのに反捕鯨活動の意味が何なのだろうか?
産経新聞によれば差し止めを求めているのは野生生物の保護を求める環境保護団体のようですが、IWCでも認められた調査捕鯨をも認めない。日本ではクジラは昔からとって食していたのですが牛や馬などは食する事はなかった。逆に西洋では牛や豚を食べてクジラなどは脂を取るだけだった。だから西洋の食文化を日本に押し付けるものであり、一種の食文化帝国主義なのだ。
だから反捕鯨活動は文化戦争でもあり、反捕鯨を主張する国がアメリカやイギリスやオーストラリアなのはなぜなのだろうか? 過激な反捕鯨団体の中にはクジラは「人間よりも知能が高い」という人がいるが科学的な根拠があるのだろうか? イルカなどはある程度の芸はするが人間より高い知能があるとは思えない。イルかが国家を作り海洋に大都市を作って生活しているとでも言うのだろうか?
「神は細部に宿り給う」というブログでは、反捕鯨と人種差別との深い関係を述べていますが、歴史的に彼ら白人が犯してきた罪の大きさに彼ら自身が発狂せんばかりに罪の意識にさいなまれているのだ。19世紀まではキリスト教と白人優越主義は自明のものとされて、アメリカでは先住民族が虐殺されて、オーストラリアではイギリスから移住してきた白人がタスマニア人を絶滅させ、大陸のアボリジニをスポーツハンティングの対象にされた。
しかし20世紀の大東亜戦争によって白人優越主義は否定されてアジア・アフリカ諸国は白人による植民地支配から解放される事になった。だから白人にとっては白人優越主義を打ち破った日本は恨みの対象であり、キリスト教徒でもなく白人でもない日本に対して歪んだ形で恨みが反捕鯨活動となって現れてきているのだ。
彼らの論理によれば、全知全能の神と白人との間にはクジラという人類よりも高い知能をもつ存在があり、そのクジラを捕獲して食べる日本人は野蛮人だという教義だ。いわゆる神と人類との仲立ちをするのがクジラであり、クジラこそ一種の超人類だとする宗教なのだろう。
白人はかつてはキリスト教布教のためと称して有色人種を虐殺の対象として植民地支配してきた。そのキリスト教をクジラに置き換えれば、反捕鯨活動は神に成り代わって地球という自然環境を守る正義の行いとなり、クジラを食する野蛮な日本人を文明化させるための聖戦なのだろう。そうする事で歴史的に彼らが犯してきたキリスト教による白人優越主義の罪から逃れようとする行為なのだ。
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