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アメリカを知るには宗教の理解が不可欠(小室直樹 日本人のためのアメリカ原論)
2007年12月20日 小室直樹(政治・経済学者)
アメリカを知るには宗教の理解が不可欠(前編)
アメリカを代表する宗教家として、まず挙げなければならないのが、クリスチャン・サイエンスの始祖、メアリー・ベーカー・エディである。
メアリーは、生まれた時は普通の女の子であった。成長してから、忽然と悟ったのである。
「この世の中には、神の意思しかない。神の意思は善だから、病気も怪我も一切存在しない。死はイエスがあがないたもうたから、存在しない。すべて、人間の幻想に過ぎない」
このことを宣伝したメアリー・ベーカー・エディのもとには、瀕死の病人がやってくる。そうした人々にメアリーは言った。
「お前は病気ではない。病気は存在しないから、一切の治療も必要としない。ためしに起きよ!」
そう言われた瀕死の病人は、起きて歩き出した。「その通りに治ったではないか!」
メアリーは、どんな重病人であっても、大怪我人であっても、あっという間に治した。まったく、イエス・キリストと同じような大奇跡を行ったのである。
ただし、メアリー・ベーカー・エディがイエス・キリストと違う点は、重病人や大怪我人をあっという間に治せば、報酬として法外な謝礼を要求したことであった。
このようにして、信者は急速に増えていき、メアリー・ベーカー・エディは、1879年、クリスチャン・サイエンスをマサチューセッツ州に設立した。信者はどんどん集まり、教祖はお金持ちになっていった。噂も広がるばかりであり、教団はみるみるうちに巨大組織となった。
メアリーの秘策を書いた『科学と健康』(Science and Health :with Key to the Scriptures)はたちまちベストセラーになり、どの図書館も買ったほどだ。多くの人も買い求めたが、「個人は一冊以上所有してはいけない」と言われ、そのためか、かえって信者は増えていく結果になったのである。
この増大する教団とメアリー・ベーカー・エディに反対するのは、唯一人を除いてはいなかった。それは、作家のマーク・トウェインである。トウェインは質問した。
「貴女は、イエスの代わりに行うと言っているが、違う点があるのではないか。イエスは、どんな重病人でも治したが、少しの報酬も要求しなかったではないか。なのに、貴女は莫大な報酬を要求するではないか」
すると、メアリーはこう言ってのけた。
「こちらが要求したら、先方は承知して払うんだから、これを受け取って、どこが悪い!」
さしものマーク・トウェインも、返答に窮せざるを得なかったのである。
最後の大失敗
クリスチャン・サイエンスは、破竹の勢いで信者を増やし、弟子も次々と現れた。
メアリー・ベーカー・エディにとって、信仰の対象は特にイエス以外に存在しなかったけれど、その弟子は他に新たな教祖を発明した。それは、特殊な能力を持ち、特殊な気体を発散するという、新たな信仰の対象の開発であった。その気体に触れれば、病気でも怪我でも治ると称したのだ。
メアリー・ベーカー・エディは、はじめこの弟子を許容していたが、間もなく「そんなインチキはやめろ!」と言って破門した。
そのことによって、メアリー自身の活動はますます盛んになった。そして、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、全米は今にもクリスチャン・サイエンスに飲み込まれそうになったのである。
クリスチャン・サイエンスが宗教だとすれば、これ以上、入りやすい宗教もない。教義もなければ、何もないからだ。この宗教のために、殉教することはあり得ないし、そうする必要もない。
教祖は絶対に誤りを犯すことがないと信じられていたが、最後に、大失敗を犯した。絶対に死ぬはずのない教祖が、ついに死んだからである。
信者の中には、必ず復活すると期待している者と、そうでない者との二派に分かれた。
クリスチャン・サイエンスは、今でも存在するが、後継者の見分け方を何も残していかなかったから、「我こそ後継者なり」と主張する人々が多く現れた。
中には、今でも大きな奇跡を起こす人もいるだろうが、信者には本当に奇跡を起こせるのかどうかはわからない。というのも、教祖は、奇跡を起こせる人と、起こせない人との識別の仕方を教えていかなかったからだ。
これでは、信者にとって区別のつけようもない。今では区別がつかぬまま、多くの分派に分裂したままである。
http://diamond.jp/series/komuro/10003/
http://diamond.jp/series/komuro/10003/?page=2
2007年12月28日 小室直樹(政治・経済学者)
アメリカを知るには宗教の理解が不可欠(後編)
そもそも一神教とは何か
クリスチャン・サイエンスのような考え方を理解するには、一神教の根源に遡ってみなければならない。
預言者の始祖はモーセといわれるが、神と交渉ができるのはモーセだけ。それ以外のイスラエル人は唯一人として、神を見た者も、神と会った者もいなかった。故に、イスラエルの人々にとって、一神教といっても、それはモーセの言うままであった。だから、一神教の内容も、その他の宗教と根本的に違うかどうかということも、モーセの言うままであった。
天地の創造の神話も、原罪論も、モーセの創作かどうかもわからなかった。故に、旧約聖書、特にはじめの五書がモーセの創作であるかどうかは、今もって明らかではない。
このような経緯から、モーセが如何に専制的であったかは想像に余りある。
モーセは、いわば宗教上の独裁官でもあった。一神教はイスラエルの民によって初めて創作されたともいわれるが、厳密にいうと、そうともいえない。
エジプト時代にも、一神教の発端みたいなものがあったが、ただ、そのように純粋に発達しなかっただけである。
純粋な一神教は、次の特徴を有する。
(1)神は一柱だというだけでなく、その神は最高絶対である。
(2)しかも、その神は人格神である。
(3)天地万物の創造神である。
その神はどこにでもいる(プレプリゼンス(prepresence))。その神は何時でも任意に出現が可能である。それ故に、この神は出現して、人間と契約を結ぶことが可能である。
この場合、神の方から契約を破ることはしないであろう。契約を破ったか、破らないかは、明確でなければならない。人間の方から契約を破れば、厳罰に処せられることを常とする。
古代イスラエルの歴史は、イスラエルの民が、神との契約を破ったが故に、厳罰に処せられる歴史でもある。しかし、旧約聖書をつぶさに読むに、イスラエルの民はなんとしばしば神との契約を破りたいという誘惑に陥ったことであろう。
例えば、「出エジプト記(Exodus)」において、如何にしばしば豊かなるエジプトから脱出したことを後悔して、もう一度エジプトに戻りたいと、神に反抗しモーセに背きたくなることがあったろうか。専制者モーセは幾度もイスラエルの民の欲望を抑えることに苦労する。望みの地に到着してからも、事情は同様である。
二代目の王ダビデからして、初めから神とモーセの教えに背きっぱなしであった。
忠勇なる部下の兵士、ウリア(ヒッタイト人)を敵の最前線に立たせて合法的に戦死させ、その妻、絶世の美女バテシバを奪ったダビデ王に、預言者ナタンが神の言葉を伝えた。
「バテシバとの最初の子は、ウリアの命と引き換えに神が召す」
ダビデ王は大いに恐れた。神は、嘆き悲しみ反省したダビデの心の中を見て「今度授かる子供は、王の中の王といわれて名を残すであろう」と言った。その子供こそ、のちのソロモン王である。
ソロモン王の時代に、イスラエルは極盛時代を迎えた。ソロモン王は世界最高の賢者といわれ、神のための宮殿と自らの王宮も造った。神の神殿は、微細の点に至るまで、神の命じたもうたまま、寸法も資材もそっくりに造った。
その他に、王宮も造った。その絢爛豪華さは並ぶものがないほどで、多くの国の王侯も訪ねてきたが、その中にはシバの女王もいた。
ソロモン王には妻が700人、妾が300人いたそうだが、そのくらいのことでは神は怒らなかった。しかし、多くの妃どもが持ち込んだ異教の神々をソロモン王が信じた時、ついに神は怒りたもうた。そして、イスラエルは、ソロモン王亡き後、2つに分裂したのである。
イスラエル王国とユダ王国に分かれたが、その後、イスラエル王国も新バビロニア王国のネブカドネッサル王に滅ぼされて、イスラエルの民はバビロンに捕囚された。その中から、新たなる宗教ユダヤ教が起き、イスラエル人はユダヤ人と呼ばれるようになっていった。
しかし、ユダヤ人には依然として王国はなかった。国家はなくても、宗教と民族だけは残った。すなわち、ユダヤ教を信ずる人々は、人種にかかわらずユダヤ人と呼ばれるようになったのである。
アメリカを考えるのに、なぜこのようなことを見てきたのだろうか? それは、キリスト教の「原罪」を元に考えてみる必要があるからである。
ファンダメンタリストなるクリスチャン・サイエンスは、原罪のイエス説をそのまま受け入れて、「原罪」はイエスがあがないたる故に消されて、人は死ななくなるとした。
人間モーセと一神教では、モーセ五書のみに重点を置き、原罪は無視することにした。ただし、いずれも原罪を中心に考えていることが重要なのである。
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