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【不思議の国アメリカ】何でもありの返品制度が築くゴミの山
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070704/276716/?ST=biz_shin
上田 尊江
TransAction Holdings, LLC.
CEO Founding Partner
もう何年も前のことだが、後に主人となるアメリカ人から初めてプレゼントを手渡された。その場で包装を解き、プレゼントを確認した私は感激した。中身を取り出した後の紙袋の中に小さな封筒が残っていたので、私は主人からの手紙だと思い、更なる感激と共に封筒を開けた。
ところが!
中から出てきたのはレシートだった。
まだ米国へ移住する前の出来事であったが、私は随分驚いた。誰かにプレゼントをする際、大抵の日本人はその物の価格を贈る相手に伝わらないようにする。それが日本のマナーであり、店頭でもわざわざ値札を取るサービスが施される。プレゼントの袋から出てきたレシートを繁々と見つめていると、主人からさらに私を驚かせる言葉が発せられた。
「気に入らなかったら、返品すればいいよ」。
もらった物を気に入らない場合、日本人であればどうするか。受け取ってくれる他の人にあげてしまうことが多いと思う。リサイクルショップに転売したり、最近ではネットオークションに出品することもあるだろう。だが、その贈り物が買われた店に返しに行き、返金してもらうという話はほとんど聞かない。返品に対する心理的な壁は高いし、小売店側の返品受付条件も厳しいからだ。そもそも贈り物にレシートが付いていることは少ないから、返品はまず不可能である。
これに対し、アメリカでは、贈り物にレシートを付けることが当たり前だ。クリスマスの後には、贈り物の返品ラッシュが起き、どこの店にも長い行列ができる。贈り物であろうと、自分用に買ったものであろうと、アメリカにおける返品は非常に広範かつ頻繁に行われる。「いつでも(店によっては購買後90日などの期間設定はあるが)」、「どんな理由でも」、「どの商品でも」、返品できる。この認識は消費者の中に浸透している。米国に移住した後、返品制度が日本人には到底考えられないレベルで実施されている現状に私は驚愕することになる。
1年使った後でもかまわない
まず驚くのが返品の理由である。例えば、代表的なチェーンストア、ウォルマートへ行くと、カスタマーサービスカウンターに長い列ができている。大半が返品のリクエストだ。ある時、何をどのような理由で返そうとしているのだろう、と気になり、興味本位で聞き耳をたててみた。「もう要らなくなった」「気が変わった」「お金がなくなったから返す(だから商品代金を返して欲しい)」という理解に苦しむものばかりであった。
日本にも返品制度はあるが、アメリカ人のような理由で返品しようとする人はまだ少数派だろう。返品の理由は、間違ったサイズを選んでしまったので他のサイズに変えたいとか、商品に欠陥があったなど、妥当な理由がほとんどである。そして、購入して間もない、新品同様の商品のみが返品の対象である。
そんなことは当然と思われるかもしれないが、アメリカでは違う。こちらに来て、驚かされるのは、返品理由もさることながら、返品される物の状態だ。明らかに何度か使った物であっても、顧客は平気で返品してくる。店側は文句も言わず、さっさと返品処理をする。先に書いたように、この国では「何でも」返品できてしまう。
消費者にとってこれほど都合のいい制度はない。とりあえず購入して、気に入らなければすぐ返す。購買直後でなくとも、使用してみて使用頻度が下がってきたら、買った時のレシートを探し出して返品すればいい。次のようなひどいケースもある。電動歯ブラシを購入、1年ほど使用したら故障したので、新しい電動歯ブラシを買い込む。真新しい商品の箱に、古い壊れた歯ブラシを入れ、それを新品を購入した店へ持っていき、返金してもらう。こうすれば、消費者は新しい商品をタダで手に入れられる。一見、詐欺ではないかと思われる行為が合法として行われるのだ。
顧客満足追求の果てに...
この恐るべき、「制約なき返品制度」を最初に開始したのは、世界に名立たるウォルマートだ。創業者であるサム・ウォルトン氏が最高の顧客満足度を追求する過程で、自ら個人保証をして返品制度を始めたという。小売市場の競争は過酷なため、最大手ウォルマートが行うことについて競合他社は「右に倣え」であり、返品制度も浸透していった。ジュピターリサーチが2006年に調べたところによれば、「返品制度が緩めの店を購買先として選ぶ」という消費者は全体の92%に達する。つまり、「なんでも返品制度」を採用しない小売業者は稀なのである。
消費者第一主義の高貴な考えのもとに生まれた制約なき返品制度であるが、どう考えても誰かが痛手を負っているはずである。不良在庫や追加発生する送料など、返品にかかわるリスクは一体誰が負担しているのであろうか。
消費者から商品が送り返されたとする。まず、小売店舗は、返品された商品に「欠陥品」と札を付け倉庫に保管する。そして同社が持つ返品処理センターへ、返品された商品を輸送する。返品処理センターには、チェーンの各店舗から膨大な数の返品商品が送られてくる。センターは、各商品の返送業務、代替の新商品の手配と配送、各種のアカウンティング処理などを執り行う。
返品商品を製造業者や卸業者へ送り返し、新しい商品をまた小売店舗へ送るとなると、送料だけで、商品の代金を上回ってしまうこともある。返品を受け入れている小売業がこの膨大な費用を負担する訳がない。返品を受け取るが代替品は補充せず、単純に売り上げと相殺してしまう。新しい商品を発送する場合は、その送料をサプライチェーンの上流、すなわち商品を納める製造業者または輸入・卸業者に負担させる。どちらの場合も、小売業の負う傷はごくわずかだ。
客が店に来るなら何でもいい
返品によって発生するコストは製造業者や輸入・卸業者へ押し付ければよいのであるから、小売業にとって「制約なき返品制度」は喜ばしいものとなる。返品を何でも受け付けることで、消費者が店舗を訪問する機会を増やせるからである。カスタマーリテンション(顧客のつなぎとめ)の向上は、アメリカの小売業にとって極めて重要であり、そのためなら何でもやる。「10個で1ドル」といった極端な安売りもその一つだ。アメリカの小売業者は常に大量購買の仕掛けを考え、いかに多く売るか、という販促に躍起になっている。
一方、乱売と返品によって急増する不良在庫を負わされる製造業者や輸入・卸業者は堪ったものではない。ただでさえ市場競争の過熱と小売業者からのプレッシャーにより商品価格を引き下げられ、製造・仕入コストをいかに抑えるかで日々四苦八苦している上に、せっかく販売した商品が妥当な理由なくして、しかも再販不能な状態で次々と返品されてくるのである。
返品に応じて商品を供給する場合、その商品のコストが嵩むし、新品交換によって輸送費も増える。売上相殺・返金処理によるキャッシュフローへのダメージもある。製造業者と輸入・卸業者は「商売あがったり」の状況に追い込まれながらも、販売力がある小売業に従わざるを得ない。こういう辛辣な現実が存在する。そして小売業や製造業、輸入・卸業を問わず、資金力が豊富な大手企業が勝ち残り、中小企業が育ちにくい環境が自然と出来上がっていく。
ジュピターリサーチによると、2006年の平均返品率は小売市場全体の20%程度、金額にすると4600億ドル相当にもなる。日本の返品率3%前後と比べると信じられない返品率の高さである。こんな面白いデータもある。衣類部門の返品率は市場全体と同じ20%であるが、水着に的を絞ると、返品率はなんと60%にまで跳ね上がる。おそらく、夏の間に使った水着を夏が終わる頃に返品する消費者が多数存在しているはずである。
「もったいない」はやはり美徳
返品によって築かれた不良在庫の山は一体どうなってしまうのか。大手量販店は積み重なった不良在庫を処分するために、密かにオークションを行っているという。チャリティを謳ってみたり、ホールセール業者を集めて彼らに再販したり、従業員や関係者向けの催しにしてみたり、あの手この手の大安売りが開催される。
オークションをしても売れ残った不良在庫はゴミの山と化す。昨今声高に議論されている環境問題の根の一つはここにある。消費者への押し売りの結果、不必要な大量消費、つまり浪費が起き、返品制度と相まって、大量の商品が右往左往し、最後にゴミが残る。これがアメリカニズムの実態だ。公には議論されないが、巨大小売業が生み出すこの無駄なコストは、これら大手小売業との取引を行うために納品業者が支払わされる。当然、利益と生産性の相当な圧迫を伴う。まさに“キャッチ22”的ジレンマと言える。
この状況を変えることはできるのか。“カスタマー・イズ・キング”であり、その王に仕える小売業者が二番目に偉い。となると消費者と小売業者のマインドセットを変えない限り、あるいは何らかの方法によって、全体のサプライチェーン構造を変えない限り、チェーンの上流にいる製造業者、輸入・卸業者、そして地球環境は、負け犬として我慢し続けるしかない。
アメリカに住んで痛感したのは、一時話題になった日本人の「もったいない」という精神と文化は美徳であるということだ。一般に日本の消費者は比較的、計画立った買い物をする。特に、都市部になるほど、買い物に徒歩、自転車、電車といった交通手段を使うため、必要なものを必要なだけ必要なときに買っていたと思う。冷蔵庫も一家に一台だけあるのが普通だ。
これに対し、アメリカではほぼ百パーセント、買い物に自動車を使い、一度の買い物で車が一杯になるまで物を買い込む。冷蔵庫は一家に複数台あることが多く、しかもそのサイズは巨大である。こういう状況のため、アメリカの消費者はあまりよく考えずに物を大量に買い、後で気に入らなかったら返してくる。英語にアカウンタビリティという言葉がある。自分が関わった行為の結果について責任をとることを指す。この国の消費者にはアカウンタビリティが少々欠けているのではないだろうかと考えざるを得ない。
私は今、アメリカで零細の輸入・卸業を営み、毎日のように返品と格闘している。その思いが本原稿に出ていると思うが、誇張して書いた点はないし、連載一回目で述べたように、アメリカを否定するつもりは毛頭ない。アメリカで確立している、大量生産、大量販促、大量購買、大量消費(浪費)、大量返品、大量廃棄という流れは良くも悪くも圧倒的なものである。確かに、このダイナミズムがアメリカに豊かさをもたらしたのであるし、日本もその恩恵を被ってきた。
ただ、環境を気遣う一消費者として、いつかこの国の人々や企業が、地球上の資源は限られていること、また、返品制度に代表される、顧客満足主義を言い訳にして横行する、度を越した業者への圧力が産業構造全体に悪影響を及ぼしていること、に気づいて欲しいと祈っている。
上田 尊江(うえだ たかえ)
慶応大学商学部卒。A.T.カーニーにてコンサルタントとして、金融機関や製造業などのプロジェクトに参加。その後、DLJディレクトSFG証券(現・楽天証券)マーケティング部にて、ブランディング、PR、CRM戦略を担当。ジャパンエントリーコーポレーションで海外ベンチャー企業の日本参入コンサルティングおよびエグゼクティブサーチに従事後、独立してフリーのマネジメントコンサルタントとして活躍。2006年より渡米、TransAction Holdings,LLC.を設立し、輸入事業および多岐にわたるコンサルティング事業を行っている。
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