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今の「しんぶん赤旗」からは想像できない挿話。 =>
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http://blog.so-net.ne.jp/igajin/2007-11-30 から転載。
11月30日(金) 朝鮮戦争勃発2日後の『アカハタ』は「3種類」あった [政党]
一昨日は月例研究会での報告、昨日は戦後社会運動史研究会で市ヶ谷キャンパスまで出向き、明日は日本科学者会議東京支部での特別講演があります。相変わらず、忙しい毎日が続いています。
昨日の市ヶ谷での研究会で、皆さんに珍しいものを披露しました。日本共産党機関紙『アカハタ』の1950年6月27日付です。
これがどうして珍しいのかというと、その理由は二つあります。
その一つは、6月27日付という日付です。1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発しますが、それ以前の6月6日、マッカーサーは共産党中央委員24人の公職追放を指令し、戦争が始まった翌日の26日、朝鮮戦争についての反米的報道を理由に『アカハタ』の30日間発行停止を命じました。
ということはつまり、この27日付の『アカハタ』は、発行停止が命じられた翌日の日付だということになります。しかし、この紙面を見ても、発行停止命令についての記事は出ていません。
この命令を無視して、『アカハタ』は発行されていたのでしょうか。それとも、その命令自体、この時点では共産党に届いていなかったのでしょうか。
もう一つは、この『アカハタ』には「3種類」あるということです。そもそも、私がこの『アカハタ』を知ったきっかけは、研究所の資料係から「同じ日付なのに紙面が異なる新聞が三つもあるのですが……」と相談を受けたためでした。
よく見ると、一面の左上の欄外に小さく、それぞれ「1版」「2版」「3版」と印刷されています。日付が同じでも版が違うために、紙面が変わっていたのです。
つまり、この当時、『アカハタ』は3版までの印刷体制を取っていたこと、同じ日のものであっても版が異なれば記事の内容や割付を変えていたことが分かります。
それでは、この日の紙面はどう変わっていたのでしょうか。一面の右肩トップ記事の見出しを紹介しましょう。
まず、1版では「全面的反撃を命令 朝鮮共和国軍 韓国軍の侵入撃退」となっています。朝鮮民主主義人民共和国内務省の発表に基づいて、「韓国軍の侵入」によって戦争が始まり、「朝鮮共和国軍」が「反撃」を開始したという記事です。
2版では、「朝鮮共和国軍の進撃続く 数都市すでに解放 全線で韓国軍を撃破」となっています。内務省の「第二次発表」に基づいて、1版で報じられた以降の戦況が伝えられています。
そして、3版の見出しは「金日成首相が重大声明 祖国統一の時到る 全力量あげて李承晩一派打倒へ 勝利は人民の側にあり」というものです。この声明は、「26日9時平壌中央放送局のマイクを通じ全朝鮮人民によびかけ」られたものだと書かれていますが、この「9時」は午前ではなく午後9時のことだと思われます。
実は、この3つの版を通じて、もっとも扱いが変化しているのが、この金日成首相の重大声明でした。その変化が大きかったために、資料係は3つの版の違いに気がついたのでしょう。
この声明は、1版では「金日成首相重大声明」という見出しの下に、「建設通信によれば平壌放送局は26日9時の臨時ニュースで次のよおに発表した。金日成朝鮮民主主義人民共和国政府首相は26日夕刻今回の事態に関し同政府を代表して全朝鮮人民にむけ重大な声明を行う」という、たった4行の予告記事が掲載されているだけです。
先に、「午前ではなく午後9時のことだと思われます」と書いたのは、この記事にこう書かれていたからです。26日の朝9時に重大声明の発表が予告され、夜の9時に放送されたものの、その声明の内容については掲載が間に合わなかったということでしょう。
ところが、2版には、「敵武装勢力掃蕩せよ 金日成首相・重大声明」という記事が、声明の内容や写真と共に掲載されています。記事は2段組になっています。
しかし、これも全文の訳出が間に合わなかったのではないでしょうか。最後にカッコして(続く)となっていました。
3版では、当然、この続きも掲載されています。すでに紹介したように、場所が一面の右肩に移り、分量も7段組と大きく増え、写真も2版の9倍ほどになっています。
このように、同じ日の新聞でありながら、これほど大きく内容が異なるという例は少ないでしょう。最初に私が「珍しい」と書いたのは、そのためです。
それだけ、このときの『アカハタ』編集部が金日成の「重大声明」を重視し、その翻訳と掲載を急いだということなのでしょう。また、それを可能にするような編集・出版の体制があったということも注目されます。
このような事実と、マッカーサーによる発行停止処分が下された翌日であったというタイミングとは何らかの関係があったのでしょうか。少なくとも、大変興味深い歴史のエピソードであるということは確かでしょう。
もう一つ、「謎」があります。
通常、版が違う新聞が発行されても、読者の手元に渡るのはそのうちの1種類です。どうして、3種類の版の新聞が同一人物の手元に保存されていたのでしょうか。
実は、この『アカハタ』は村田陽一さんから寄贈していただいた資料の中から出てきました。村田さんは、何故、どのようにして、この3種類の『アカハタ』を入手され、保存しておられたのでしょうか。
以上の記述について、何かご存じの方がおられましたら、是非、大原社会問題研究所の五十嵐宛、ご一報いただきたいと思います。今後、何か分かりましたら、このブログなどで紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。
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