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松代象山地下壕 〜大本営・皇室の極秘移転計画
先日、長野県松代町山中に残る地下壕の見学に行ってきました。
数年前に地元出身の方より、第二次世界大戦末期に天皇家を疎開させるために
極秘で掘られた地下壕が残っているとの話を聞いて興味をひかれたのが
きっかけでした。 但しこれ自体はいかにもあり得る話で、他にもそのような
場所があっても不思議ではないと思いました。
しかし実際に訪れてみると、硬い岩盤を削岩しながら碁盤の目状に掘り進められた
壕の埃っぽい内部は想像以上の規模であり、計画は天皇家・皇室のみならず、
大本営・政府各省移転を意図されたものとのことです。
敗戦色濃く、民間人が多大な被害を蒙り始めたこの時期においてもなお、大本営の
頭には総玉砕・徹底抗戦が存在していたことにも少なからぬショックを受けましたが、
この”あまりに愚かな計画’が机上の空論に終わらず、巨費と莫大な労力を投じて
終戦の日まで続けられていた事実を目のあたりにして愕然といたしました。
極秘計画とありますが、おそらく情報は筒抜けだったとみえ、近隣村落は
空爆を受けたそうです。
国民にそれほどの犠牲を強いてまで軍部が守ろうとしたのはいったい何だったの
でしょう?
調査・検証が進められるべきだと思います。とりわけ、強制労働に借り出された
方々の追跡調査は早急に。
入り口脇に併設された資料館のような建物は残念ながら閉鎖中でした。
・・・・・・・・・・・・・・
以下はパンフレットからの引用です。
太平洋戦争の遺跡 松代増山地下壕
見学できるのは、西条口(恵明寺口)から約500mの区間です。見学者の
安全のため照明や柵、落下防止の志保工などが施されています。壕は
素掘りのままです。
入場料=無料 午前9時〜午後4時まで
休み:第3火曜日と年末年始(12/19〜1/3) 但し、点検等による臨時
休業があります。
ご照会は 長野県観光課
壕内の主な遺物
・岩につきさささったままの削岩用ロッド
・岩に残る削岩用ロッド跡
・壕の東西、水平を測った側点
・ずりを運んだトロッコの枕木跡
松代象山地下壕とは
松代象山地下壕は、第2次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点
として極秘のうちに、大本営、政府各省等を松代に移すという計画の下に
構築したものです。 着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の
終戦の日まで、約9ヶ月の間に当時の金で約2億円の巨費とおよそ述べ
300万人の住民および朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され1日3交代
徹夜で工事が進められました。食料事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を
強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
松代地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測所)を中心に皆神山、
象山の3箇所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10キロメートル余
にも及んでいます。全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止されました。
戦後は訪れる人も少なく忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の
遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため平成元年から見学
できるように整備したものです。
松代象山地下壕の現況 総延長:5,853.6m
概算掘削土量:59,635㎥
床面積:23,404u
なお、松代象山地下壕は、平成15年10月に文化庁による「近代遺跡詳細
調査」が実施されました。 その調査結果を待ち、今後における地下壕の
保存方法などを再検討していく予定です。
防衛庁(原文ママ)に当時の設計図が保存
防衛庁・防衛研究所戦史部に保存されている松代倉庫(象山地下壕)
新設工事設計書。(*写真)
地下壕の断面は、底長4メートル頂長2.7メートル。20メートル間隔で
掘削されており、50メートルごとに横の連絡坑がある。
壕は倉庫と予備、イ号(象山)ロ号(舞鶴山)ハ号(皆神山)の
3ヵ所で掘削された。
・・・・・・・・・・ 終わり
解説と鮮明な写真・図がみられる頁
ねこまた重工株式会社HP
http://homepage2.nifty.com/nhi/MAIN.html
松代象山地下壕
http://homepage2.nifty.com/nhi/MATSUSHIRO/MATSUSHIRO.html
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