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牛食いの歴史を紐解くと古くは安政年間に彦根藩が将軍様へ牛肉味噌漬けを
献上したことから始まります。
その後、文明開化を迎え牛肉が現在の日本食文化の一翼を担うまでに発展した中に
5人の牛食い文化の伝道師が登場いたします。
一人目は、中川嘉兵衛。
文久3年本格的な牛肉食料店を横浜に開業し牛肉の等級や部位別の料理法を新聞にて広告し、ただちに芝白金今里村に最初の屠場を開設し安全な牛肉の供給を整えます。
二人目は、福沢諭吉。
ハイカラちゃきちゃきの先生が幕府の遣欧使節団より帰国後
「牛肉は世の明けるに従い誰でも食用にするようになる」
と説き自身も大の肉好きであったようである。
三人目は、仮名垣魯文。
流行先読人の仮名垣は牛鍋屋に出入りする粋人を風刺画で表した「安愚楽鍋」
(http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/pdf/kanagakirobun.pdf)
を明治4年に発刊、されるや否やベストセラーになり牛鍋ブームが到来します。
四人目は恐縮ですが。
当社の先々代の店主高岡元一。
彼は牛鍋をすき焼きに発展させ庶民の晴れの食と体系付けてゆきます。
昭和29年に日本橋の白木屋屋上に近江牛を引き連れ公開競り市を開催、
優秀牛は力動山以上の人気者になり国会議事堂前にて堤衆議院議長より
レイを授与されるほどでした。牛肉が庶民の御馳走となるきっかけの出来事でした。
そして主役は、畏れ多くも明治天皇であられます。
明治5年1月24日
宮中にて
1200年間禁止されていた牛肉を召し上がり、
なんと同年
「僧侶も率先して牛肉を食するように」
と勅令を出されたのです。
これにより一気に牛肉文化が定着してきたのです。
時代を創った当時の心意気を牛肉に舌鼓を打ちながら思いをはせるのも
一興かと存じます。ごゆるりとお食事をお楽しみいただければ幸いと存じます。
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