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2007年11月10日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.452 Saturday Edition
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』第328回
「腹芸の時代」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』第328回
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「腹芸の時代」
11月も半ばに差し掛かりました。野球に関して言えば、すでに2007年のシー
ズンは歴史の彼方に過ぎ去り、アメリカの球界は2008年へ向けて「ストーブ・リ
ーグ」に突入しています。その中でも大きな「事件」は、今季まで12年間ヤンキー
スの指揮を執っていたジョー・トーリ監督が、ロサンゼルス・ドジャースの監督に就
任したというニュースでしょう。見慣れた縦縞(ピン・ストライプ)ではなく、白地
に青の文字も鮮やかな「ドジャー・ブルー」のユニフォームに身を包んだトーリ監督
が、ヤンキース時代と同じ「背番号6」をつけて現れたシーンは、ヤンキースファン
には何とも複雑なものがありました。
ドジャースとヤンキースは、それぞれに伝統球団として長い歴史がありますが、因
縁も浅からぬものがあるのです。1950年代以前、ドジャースがニューヨーク市の
ブルックリン区を本拠としていたときは、ナリーグとアリーグの雄としてワールドシ
リーズで対戦、両者の対決は、元祖「地下鉄シリーズ」として人気を博しました。ド
ジャースが大騒動の挙げ句にロサンゼルスへ移って行った後も、ライバル関係は続き、
特にラソーダ監督の指揮下でドジャースが黄金時代を迎えた70年代から80年代に
は、何度も歴史に残るワールドシリーズでの対決を繰り広げています。
トーリ監督が、そのドジャースの監督に就任するというのは、ある意味では「ワー
ルドシリーズで対決してヤンキースを倒す」というドラマチックな可能性が出てくる
わけで、それが過去のライバル関係という歴史と重なることで、実に興味深い出処進
退と言えるでしょう。言ってみれば「そこまでしてヤンキースを倒したいのか」とか
「究極のライバルチームへの変節」という印象を与えても仕方がない判断です。
では、口うるさいヤンキースのファンは「ジョー・トーリの裏切り」に対して怒り
や失望を抱いているのでしょうか。必ずしもそうではないのです。何となく納得して
いる、あるいは仕方がない、そんな受け止め方が多いのです。そうした「理解」の背
景にあるのは「やっぱり監督とオーナー父子の間では相当な確執があったのだろうな」
という推測であり、更に言えば「あそこまでオーナーに言われたら契約しないという
のも、ライバル球団に移るというのも納得できる」という考え方です。
では、ヤンキースの名物オーナー、ジョージ・スタインブレーナーと、その息子達
はトーリ監督への批判や不満を口にしたのかというと、そうしたコメントというのは
決して表には出てこないのです。せいぜいが、地区シリーズでインディアンズに二連
敗したところで、オーナーが「このままインディアンズに負けたら監督人事は白紙」
というコメントをニュージャージーの地方紙に語り、その時点ではかなりの衝撃を与
えたということはありました。ですが、以降はそのようなコメントはなかったのです。
そんな中、漠然と「監督更迭?」という「空気」が広がり始めました。そして、敗
戦によってヤンキースの今シーズンが終わると、スタインブレーナー一家の住むフロ
リダで、キャシュマンGMを交えての「幹部会議」が延々と行われ、最終的にはトー
リ監督との契約延長は破談になったという発表に至っていますが、最終的に1年契約
+出来高インセンティブという球団側の提示した条件をトーリ氏が蹴ったということ
以外は、会議の詳しい経過は公にはなりませんでした。
これを受けて、10月18日にはトーリ監督による単独会見がNY郊外(コネチ
カット州ライブルック)のホテルで行われたのです。既に「球団の人間ではない」と
いう理由から、ヤンキースの広報は一切関わらないという位置づけの会見でしたが、
さすがにNYの主要なメディアは勢揃いしましたし、スタインブレーナー一族の経営
するヤンキース専門のケーブルTVはライブ特番で中継をしています。
この会見は、前後にWFANラジオが「マイク&マッドドック」という番組の枠内
で解説の特番を組んでいた中で「ジョー・トーリという人間の品格を示したワンマン
ショー」と絶賛したように、極めて好意的に受け止められています。では、その「品
格ある(クラッシー)」とまで言われたのはどうしてなのでしょう。それはトーリ監
督が、スタインブレーナー一家に対して激しい怨念を抱きながらそれを一切口に出さ
ず、淡々とした語りに徹したからでした。
冒頭、トーリ監督は「まず最初に12年間このような経験をするチャンスを与えて
くれた、ミスター・ジョージ・スタインブレーナーに感謝の念を申し上げたい」と
言っているのです。その約3分間の短いスピーチの後は延々と各記者の質問に答え、
その質疑応答は一時間10分に及びました。その中でNYのクセのあるスポーツ記者
たちは、手を変え品を変えてオーナー批判を引き出そうとするのですが、トーリ監督
のガードは堅く、ハッキリした「恨み節」は一切なし、ただ「私としては勝利への動
機付けというのは当然のことであって、インセンティブという発想は屈辱だった」と
いう部分などから、心の中を推し量るしかない、そんな不思議なやりとりが続いたの
です。
一カ所だけトーリ監督が言葉に詰まったのは「2009年に新球場がオープンする
際に、セレモニーに呼ばれたらいらっしゃいますか?」という質問が出たときでした。
どんなに厳しい「突っ込み」にも微笑みを絶やすことなく淡々と答えていたトーリ監
督は、表情をこわばらせ「申し訳ないが、その質問に答えるだけの心の準備はできて
いないので」と言葉を濁したのです。場内は一瞬静まりかえり「1年契約の提示とい
うのは、新球場での指揮を執ることは保証しないという意味で、だからトーリ監督は
自分のプライドがズタズタにされたと感じて球団を去る決意をしたのだろう」そして
「だが、それはきっと無念なんだろうな」という「空気」に包まれたのです。
この日の会見で注目すべき瞬間は、この二カ所ぐらいで、後は「他球団で指揮をと
る意志があるのか?」という質問には「ええ、お話があれば」とハッキリ答えていた
こと、この会見の少し前、インディアンズに敗退した際の会見で「ヤンキースの12
年間は、まるで一瞬だった」と過去形で語っていたこと、そうした発言を総合する中
で「降板やむなし、ドジャース移籍もやむなし」という「空気」が確立していったの
です。そこから僅か二週間で、LAという白地も鮮やかなドジャーブルーの帽子に背
番号6というジョー・トーリ氏の姿が登場したのですが、そのショックはそれほどで
もなかった、それはこの「空気」のせいであり、またその「空気」を醸成していった
のは他でもないトーリ監督の「腹芸」でした。
明らかにオーナー一族と激しくやりあったにも関わらず、そうした確執は一切語ら
ず、言葉にならない行間にホンネをそっと隠しながら「品格」ある語りに徹した、こ
れは正に「腹芸」の真骨頂です。それゆえにヤンキースのファンは、そしてNYの街
は「ジョー・トーリ」という巨大な存在が去ってゆく、しかもLAという大陸の反対
側に位置し、歴史的なライバル関係にあるドジャースの監督に就任するというショッ
クを受け止めることができたのでした。
この「腹芸」に比べると今回の「大連立構想と小沢辞任撤回騒動」における、福田
康夫首相と小沢一郎民主党党首の繰り広げた「腹芸」は何ともお粗末に見えてなりま
せん。お粗末というのは、何といっても小沢氏のほうで、私の見るところ福田首相の
繰り広げた老獪なコミュニケーションのテクニックの前に、右へ左へと大きく振り回
されて「ヘロヘロ」になっている、そんな印象があります。
今回の騒動に関しては「ナベツネ」氏や中曽根元首相が暗躍したとか、与謝野前官
房長官が囲碁の対戦の際に何かを囁いたとか、色々なことが言われていますが、どう
やら全てを主導していたのは福田首相本人のようです。今回の政治ショーにおける福
田首相の意図は2つあると思います。それは(1)会期延長を円滑に行う、(2)民
主党に公明党への「手を突っ込ませない」、という単純な二点だと思います。
まず(1)について言えば、これからの国会運営で「民主党にイニシアティブは渡
さない」一方で「民主党の顔も潰さない」という微妙なバランスを「福田ペース」で
進めよう、そのためには「会期延長」「予算」「給油」の三つの中で「3分の2再可
決」は一回しか使えないだろう、そんな計算があるのではないでしょうか。そして恐
らくは福田首相の計算としては、民主党が腰砕けになる中で「会期延長」を通し、
「予算」は民主党と何とか合意を探る、その中で民主党が乗るなら消費税率アップも
やり通す、その代わり「テロ新法」は「3分の2」をやっても通す、そんな見取り図
を持っているのではないかと思います。
実はこちらの方が本筋、私にはそう見えます。大連立とか中選挙区制というのは壮
大な「腹芸」であって、それを使って民主党を揺さぶりながら、公明党に猜疑心を抱
かせないようにして政局の主導権を握ろう、どうやらそういうことなのではないで
しょうか。どうして民主党に対する揺さぶりになるのかといえば、政権参加をちらつ
かせてしまえば、相手は「政権のチャンスから逃げれば無責任」、乗る姿勢を見せれ
ば有権者からは「談合で政権批判を取り下げた」と言われ、どちらに転んでも勢いを
失うからです。また、何故、消費税の議論を含む予算審議では強硬に行かないかとい
うと、政権として強行突破に行くと選挙で負けるからであり、では安保問題ではどう
して最終的に強硬に行く選択があるのかというと、豪腕を発揮できれば党内基盤が固
まって長期政権への道筋が見えてくるからに他なりません。
それにしても、内閣総理大臣が自らこうした「腹芸」を駆使して「寝技」を連発し
ているという構図は、戦後政治では例を見ないのではないでしょうか。戦前でも、そ
こまでやっていたのは原敬ぐらいで、憲政史上希に見る事態なのではないかと思いま
す。これは福田首相を決してほめているのではなく、私としては半分呆れて見るしか
ないというのがホンネです。
ではトーリ監督にしても、福田首相にしてもどうして「腹芸」に走ったのでしょう。
その理由は明快です。トーリ監督はオーナー批判を「言葉」にはしたくなかったので
す。自分からスタインブレーナー父子への反感を口にしてしまうと、一瞬にして品格
を失ってしまい、周囲からの視線は冷たいものになるからです。それを口に出さずに
いるから、あの気難しいNYの世論も受け入れたし、むしろ「品格ある会見」という
賛辞まで出たのです。
福田首相の場合も同様です。消費税率アップであるとか、給油問題について徹底的
に世論とコミュニケーションする、あるいは民主党と論戦で対決するということは、
できるだけ回避したかったのです。何故ならば、前回参院選のマニフェストを見れば、
民主党に勝利を与えた民意は今でも有効であり、それは自民党の現在の政策とは逆で
あることには変わらないからです。「憲政の常道」に照らして言えば、ここで衆議院
を解散するのが筋ですが、その場合は下野するリスクを冒すことになってしまいます。
そうではない道、つまり「腹芸」を使って民主党のモメンタムを骨抜きにしながら、
自公政権の枠組みで懸案を通す、そのためには「寝技」しかないと判断したのでしょ
う。
トーリ監督と福田首相、「言いにくい」ことの明言を避けながら必要なコミュニケ
ーションを続ける、そんな腹芸が横行するのにはどんな背景があるのでしょう。それ
は、複雑化する社会の中で、錯綜する利害関係やメンツを調整しながら「落としどこ
ろ」に持ってゆく、そのためには「全てを明らかに語ってしまうと傷つく人間が出る」
ということなのだと思います。事実関係の明言を回避しても、勿論そのウラで進行し
ているコンフリクトが消えたわけではありません。ですが、最低限それを口にしない
ことで対立する相手の顔を立てて物事を進める、そうするしかないということなのだ
と思います。
では、それで本当に良いのでしょうか。私はそうした腹芸というのは逃避であり、
成熟社会の脆弱さを示しているのだと思います。トーリ監督も、一見するとプライド
を守り通したのであり、仮に2008年にワールドシリーズなり、交流戦(恐らく興
行面からも、この対決は組まれるでしょう)でヤンキースへの復讐を遂げれば、一種
の人間ドラマということになるとは思います。ですが、オーナー一家の専横や、品の
ないジャーナリズムが線の細い選手や監督を潰し続ける悪弊は、それでは永久に直ら
ないでしょう。ドジャース移籍というショッキングな結論をお腹で考えていたのなら
ば、せめてオーナーに対して言葉で一矢報いることがあっても良かったのではと思い
ます。今のやりかたは、やはり密室であり、陰湿さを否定することはできません。
日本の政局も正にそうです。給油への賛否、消費税率のアップの賛否などを、誠実
に世論と対話する、そのために対立軸を整理して選択肢ごとのメリット・デメリット
を示すという作業、一見すると大変なこの作業を政治家とジャーナリズムは手間ひま
をかけてもやり抜くべきです。腹芸に走る政治家と、それに振り回されて政策の決定
プロセスを人間の心理ドラマに矮小化するジャーナリズムの組み合わせは、社会の意
志決定能力を傷つけるだけだと思います。
アメリカの政治にも「腹芸」は横行しています。例えば、民主党の大統領候補選び
がそうで、イラク問題にしても個別の政策に関しても、「ブッシュ政治」からどこま
で離れて良いのか、個々の候補者は世論の「空気」を気にして政策を本当に具体化す
るのは先送りにしています避けています。もっと具体的な例では、テロ対策のためだ
として行われている「イスラム過激派」への「拷問」がそうです。例えば「水責め」
ということが実際に行われているのか、などの問題に関しては政府は口を濁したまま
です。「国際法で禁じられているが、治安のためには必要だから、やっているとも
やっていないとも明言しない」という、これも非常にお粗末ではありますが「腹芸」
の一種でしょう。
こうした「腹芸」というのは一種の共犯関係に似ています。「何もそこまで口にし
なくても」という「明言を避ける空気」に相手が乗せられることで、しかも「本当は
言葉でしっかり対象に向き合わなくては」と分かっていても、その「言語の外にある」
心理ドラマに引きずられてしまう、そこに「腹芸」のメカニズムがあるのだと思いま
す。まずは、ジャーナリズムがそれに乗せられないということが、社会を正常化する
第一歩だと思うのはそのためです。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media] No.452 Saturday Edition
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【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】 <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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