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(回答先: Re: れんだいこのカンテラ時評336【柳原白蓮考】 投稿者 こげぱん 日時 2007 年 11 月 06 日 23:44:45)
「孝明天皇は薬物死?、宮廷医のカルテを発見(歴史読本、1975年7月号、290頁)
この記事は、冒頭に[サンケイ]とあり、文末に(4.4)ある。サンケイ新聞の4月4日号の記事紹介と思われる。
以下はその内容:
孝明天皇はやはり“毒殺”された疑いが強い。明治維新史の中で、最大の謎とされている孝明天皇の急死の原因をめぐって“暗殺説”を裏付ける幕末の宮廷医のカルテが滋賀県近江八幡市の開業医の倉から発見され話題をよんでいる。孝明天応は討幕運動に反対する公武合体派として知られ慶應2年(1866)天然痘で死亡されたとされているが、歴史学者の間には暗殺説を唱える人もあった。問題のカルテを発見したのは同市十王町の伊良子光孝博士。伊良子家は南蛮外科医術の流れを汲む医学者の家系で、発見されたカルテは四代前の伊良子光順意思が書き残した物。この光順医師は孝明天皇の主治医を務めた人。日記形式のカルテには孝明天皇の発病から死に至るまでの経過が詳しく記録され表紙には「他見をゆるさぬ」と書かれていた。それによると、孝明天皇は死の直前、約十日間天然痘にかかっている。その後、一旦病状が回復、安心したという。ところが二日後の慶應2年12月24日の夕刻突然吐血、まる一昼夜苦しんだ後、翌25日の夜死亡した。光順医師は死因については何も触れていないが死の模様を「吐しゃ、うわごと激しく、折々お漏らしになり非常にお苦しみになった」と、暗に「薬物中毒」を想像させるように描写している。
医学史学会員成沢邦正さんらはこのカルテ、「拝疹日記」を分析、
(1)天然痘に感染しにくい宮中で孝明天皇一人だけが罹ったのはおかしい;
(2)吐血、苦しみ方が薬物中毒の症状に酷似している;
(3)天皇の死後、光順医師は理由もなく突然解雇されている。
等の点から毒殺の疑いが強いと推測している。
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