★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ51 > 181.html
 ★阿修羅♪
JMM [Japan Mail Media] 「善悪二元論とのつきあい方」  冷泉彰彦   
http://www.asyura2.com/07/bd51/msg/181.html
投稿者 愚民党 日時 2007 年 11 月 04 日 02:11:22: ogcGl0q1DMbpk
 

                              2007年11月3日発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]                No.451 Saturday Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                       http://ryumurakami.jmm.co.jp/


▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』第327回
    「善悪二元論とのつきあい方」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ■ 『from 911/USAレポート』第327回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「善悪二元論とのつきあい方」

 アメリカでは、都市であろうと郊外や農業地帯であろうと、過去の痕跡を風景の中
に平気で放置しているのを目にします。過去といっても、例えばワールドシリーズを
制覇したボストン・レッドソックスの本拠地球場のフェンウェイ・パークのようにク
ラシックな野球場を手直しして大事に使っているような場合もありますが、その多く
は廃墟です。木の壁が腐って穴が空き、建物全体が傾いている捨てられた農家、ガラ
ス窓が割られレンガの外壁は落書きだらけとなった工場の廃墟、そんな風景をアメリ
カ人は放ったらかしにしているのです。

 ニューヨークからワシントンに移動する交通の便として、最近は鉄道が見直されて
きています。原油の高騰を受けて、経営危機にあった長距離特急のアムトラックを取
り巻く状況は、急速な民営化を見送って連邦の補助金を復活させる動きが出るなど、
少し前とは変わってきました。その特急列車はハドソン川をトンネルでくぐると、
ニュージャージー州を抜けてフィラデルフィアを通り、デラウエア州とメリーランド
州を経てワシントンDCに至るのです。最近導入された「アセラ・エクスプレス」な
どは時速200キロを越えるスピードを誇り、人気も出てきたのですが、私にはこの
鉄道の旅はあまり快適とは思えません。

 というのもニューアーク、トレントン、北フィラデルフィア、ウィルミントン、ボ
ルチモアと、大都会を通るたびに気の滅入るような廃墟のオンパレードになるからで
す。そこには勿論、格差の、日本ではまだまだ想像を絶するような格差が「目に見え
る」ということがあります。ですが、それ以上に「過去を放置する」というライフス
タイルの結果、幽霊の出そうな景色が放置されている、そのことへの違和感と言いま
すか、とにかく強い印象を禁じ得ません。

 このことの延長で申し上げるならば、アメリカという社会の時間感覚には特別なも
のがあるようです。過去を平気で抱える、現在の中に残して平然としている、その延
長には例えば、過去の罪悪を堂々と語る、つまり悪しき過去を忘れないで抱え続ける
感覚というようなものもあります。例えば、黒人に対する奴隷制度やその後も残った
差別の問題は、小学校から高校まで徹底して教えますし、その前のアメリカ原住民
(インディアン)への迫害の歴史も逃げずに知識として伝承しています。

 これも野球の話で恐縮ですが、今年のワールドシリーズを盛り上げたジャコービー
・エルズバリーというボストンの外野手は、まだ少年の面影を残したルーキーですが、
インディアンの部族の出身だというのです。またヤンキースでも後半戦のヒーローと
いうべき、ジョバ・チェンバーレン投手は同じくインディアンの血を引いているとい
います。この二人は、それぞれの街で絶大な人気を誇るのですが、その背景には出身
の問題があり、ある種の判官びいき的な心情が働いているのは否定できないでしょう。

 勿論、今になって同情する前に、インディアンへの迫害を止めれば良かったのであ
り、そう言ってしまえば決して「立派」だとは言えないのですが、過去の罪悪を社会
として背負っている、そのことは否定は出来ないように思います。多くの国や社会で
は、歴史の恥部に対して、気負いと共にこだわる一部のリベラルと、そのリベラルを
「反愛国的」だとしながら過去の事象を「なかった」ことにしようという保守ポピュ
リズムに分裂することが多いのですが、アメリカの場合は保守とリベラルで関心の強
弱はあっても「なかったことにする」という動きはほとんどありません。

 そう申し上げると、アメリカは立派に見えてきます。ですが、そこには「からくり」
があるのではないでしょうか。それは善悪の二元論を心から信じているという特性か
ら来ているのではないか、私にはそう思えてなりません。奴隷制は悪、インディアン
への迫害は悪、100%クロ、そう信じて疑わない姿勢があれば、そこまで話を単純
化してしまえば、誰でも過去に向かい合えるし、背負っても行ける、どうもそのよう
なことではないでしょうか。

 例えば、広島と長崎への核攻撃の問題をアメリカ人と話題にする時などがそうです。
この問題に関しては立場が分かれており、罪悪だと考える人、不可避だったという人、
戦勝を早めた正当な作戦だという人の、それぞれには大きな隔たりがあります。です
が、多くの場合、驚くほど明快なのであって、答えを避けようとする人はあまりいま
せん。悪かったと考える人は「アメリカ人に生まれて恥ずかしい」とか、「自分にも
千羽鶴を折らせてくれ」などと堂々と言い放つのです。その際に胸を張って言うのが、
いかにもアメリカ的なのですが、これは核攻撃が正当だったと言う人も全く同じです。

 立場は分かれていても、とにかく善悪がはっきりしているので、過去が背負えると
いうわけですが、この傾向は歴史問題に限りません。例えば「謝ってしまおう」と決
断した時のアメリカ人の謝り方、ウソをつき通そうとした際の胸の張り方などにも似
たようなものがあります。前世紀末の「モニカ疑惑」に際しての、ビル・クリントン
は、当初関係を否定した時も、後に全面謝罪をしたときも同じように「立派」でした。

 法曹もこうした過去とのつきあい方を反映しているように思います。刑事にしても、
民事にしても多くの州で時効がない、とにかく50年前の殺人でも新証拠なり真犯人
が現れれば司法が裁くのです。とにかく時効でサッサと水に流すことをしないという
のは、勿論、法曹人口が大きいので法廷に処理能力があるということもありますが、
それはニワトリが先かタマゴが先かという話であって、やはり過去を現在でも抱える
姿勢の表れであり、同時にそれは善悪の二元論が疑いなく信じられているからという
説明ができるのだと思います。

 もしかしたら、陰惨な廃墟の光景を放置できるのも、勝者と敗者のコントラストが
あまりにハッキリしてしまうためなのかもしれません。あっさり負けて捨てられた存
在というのは、もはや人間臭い失敗の痕跡というよりも、自然に還ったという感覚で、
ある意味で正視できてしまうのです。日本で言う「わび、さび」には、マイナスの価
値を美だとしながらも、まだまだプラスへの執着を秘めていますが、アメリカの廃墟
は100%自然に還った、つまりゼロなのだというわけです。龍安寺の石庭には、あ
る種の艶めかしさや生命感がありますが、カンザスの廃村にあるのは静寂と無である、
私にはそう思えてなりません。生きている勝者と、負けて自然に還った敗者、そこに
あるのも完璧なまでの二元論です。

 ところが、こうした二元論が通用しない状況ではどうでしょう。そうした場合は、
アメリカの過去への視線は、突然狂い出すのです。善悪の問題に戻りますが、例えば、
アルメニア人虐殺問題に関してのトルコに対する非難決議が良い例です。オスマント
ルコ時代、そしてその崩壊から共和国トルコが国境を確定するプロセスで、アルメニ
ア系のキリスト教徒に対してトルコが強制移住や残虐行為の結果、多くの人間を死に
追いやったことは、欧米では広く知られています。

 アメリカでもアルメニア系の人々は一定の影響力を持っており、特に芸術家を多く
輩出している一方で、彼等の住む地域ではアルメニア系の教会が今でも活動をしてい
るのです。例えば、アルメニア系カナダ人の映画監督アトム・エゴヤン(『スイート
・ヒヤアフター』が有名です)などは、アルメニア問題そのものを描いた作品もあっ
て、彼等の悲劇的な歴史と共によく知られているのです。

 ですから、アメリカ人は漠然とこの「虐殺」問題については、トルコが100%悪
で、アルメニア人は100%被害者という感覚を持っているのです。ですが、非難決
議を進めようとしていた矢先に、トルコ政府が旧クルド労働党の武装勢力駆逐のため
にイラクに越境攻撃を仕掛けると通告したことから、決議は頓挫しました。決議を通
せば、トルコ国内に反米感情が高揚するでしょうし、そうなれば仮に越境したトルコ
軍が、イラク守備の米軍と接触した場合に、トラブルとなる危険も出てくるからです。

 それだけではなく、そもそもはサダム・フセインの暴政の被害者として「救ってあ
げた」クルド勢力、つまりはアメリカにとっては「被害者の正義」を持つクルドが、
実はNATOの軍事拠点として「同盟国」であるはずのトルコに取っては分離独立を
狙う敵であり、仮にそのクルドがキルクークの油田収入を手にすることになれば、ト
ルコとしては絶対にこれを許さないという問題があるのです。ちなみに、旧クルド労
働党勢力は現在では武装闘争は放棄したとしていますが、一部のグループはトルコ軍
との部分的な戦闘に関与しています。

 さて、クルド人をめぐる国際関係は大変に複雑です。人口2000万という大勢力
であり、独自の言語を話すにも関わらず、第一次大戦終結時に一旦は約束されたはず
の独立はいまだに果たされていません。そして、多くの人口が東南部トルコ、イラク
北部、シリア北部、イラン西部にまたがって住んでいて、それぞれの国では少数民族
であるともに、独立の野心を捨てない存在として各首都からの視線は暖かくはないの
です。

 では、国連あたりが音頭を取って独立させれば良い、そう思う方も多いと思います。
ですが、これは物理的に不可能です。各国共に、独立した大きなクルディスタンがこ
の地に生まれるということは安全保障上の脅威になるのですし、イラクの場合はキル
クークの石油収入を失うわけには行きません。トルコに至っては、全土にクルド人が
混住しており社会全体が混乱してしまいます。

 更に言えばクルドこそトルコの暴力の最大の被害者だという解説が可能な一方で、
アルメニア人への迫害にはクルド系も関与していたという複雑な歴史もあるのです。
クルドだけが大きな祖国を建設できたとしたら、世界中のアルメニア系は黙ってはい
ないでしょう。クルドの「聖なる山」であるアララト山は、アルメニア人にとっても
同じく聖なる山であるという重なりが象徴するように、過去にさかのぼって「祖国」
の定義をするとこの二つのグループの土地は重なってしまうのです。

 アメリカが愚かなのは、このように複雑なこの地域の問題を実に単純に考えていた
ことでした。つまりアルメニア人はトルコの暴力の被害者だから善、イラク領内のク
ルド人もフセインの被害者だから善、トルコもNATOメンバーだから善、というこ
とで思考停止をしていたのです。それもこれも幼稚な善悪二元論の結果に他なりませ
ん。お互いに不倶戴天の敵であって、特に過去の膨大な暴力の記憶を抱えているとい
う複雑さを理解できなかったのです。

 そもそもイラク政策がそうです。サダムが極悪であって、サダムを除去すれば穏健
派のスンニー派と、シーア派、クルド人が仲良く親米国家を作ってくれるだろう、そ
んな甘い見通しを本当に信じていたのは、悪の敵は善であり、善同士は仲良くやって
くれるだろうという幼稚な計算の結果に他なりません。当初からアルカイダの策動で
お互いの武装勢力が内戦に引き込まれたという解説がされていますが、これも二元論
の作った妄想の種類であって、本当はフセイン残党が最初からゲリラ戦を覚悟して地
下に潜っていたと考えるのが正当でしょう。

 そう申し上げると、まるで善悪という価値観がダメだと言ってしまっているように
聞こえますが、必ずしもそうではありません。例えば、今週に日韓の間でギクシャク
したやりとりのあった「金大中事件」の再評価問題ですが、これは一見すると善悪で
は割り切れない複雑さをもっているように見えます。日本の官邸からこの問題を見る
と「韓国は事件当時は政権中枢に近い部分が日本の主権を侵犯するような犯罪行為を
したにも関わらず、今になって事実を認めたついでに日本政府が政治決着を主導した
ような言いがかりをつけるのは怪しからん」ということのようです。

 そうした理解の上で、高村外相は韓国大使の示した「遺憾の意」を多としています
が、その一方で「命を狙われた当事者」である金大中前大統領が「当時の日本政府の
責任」を口にすると町村官房長官は「大統領在任中にはそんなことは言わなかったの
に何を今更」というような不快感を示しています。この問題は現在と過去が交錯して
いるにも関わらず、日本の首相官邸が「現在形での日韓関係」という固定された視点
で物事を見ているから奇妙なことになるのだと思います。

 両国の政権にとっては、70年代の前半というのは冷戦の厳しい戦いの中にあった
のです。ですから、善し悪しは別として反共が正義でした。その正義のために、韓国
では朴政権の露骨なまでの開発独裁体制が続いたのですし、日本でも自民党政権は選
挙の洗礼を受けてはいたものの、韓国や台湾などの独裁国家をアメリカと共に支持し
ていたのでした。金大中氏は、その体制に挑戦していたのです。その結果として、祖
国の政権からは命を狙われ、日本ではむしろ共産主義に共感するような勢力から支持
を受けるようなことになっていました。

 ですが、その後、韓国は光州事件のような悲劇を乗り越えながら独裁を脱して行っ
たのです。そして経済の混乱を乗り越えながら民主国家としての基礎を固めるにあ
たって、金大中という人は大きな足跡を残しました。KCIAは解体され、最終的に
タブー視されていた事件の報告書が出てきたというのは、大統領選を前にした政治
ショーという側面もあるとはいえ、韓国の民主化が一定の完成を見た証拠と言うべき
でしょう。反共に代わって、民主が正義となったのです。

 日本の場合も、冷戦の終結という事態を受けて自民党の一党独裁体制は終わりまし
た。現在の政局は確かにポピュリズム的な危険性をはらんではいますが、かつてのよ
うに現実的な対立軸が五大派閥の調整機能の中でこっそり処理されるような政治に比
べれば、はるかにオープンになったと言えるでしょう。そんな中で、体制側から見る
ならば、当時の反共主義には時代の宿命という点があり、今は民主という正義が取っ
て代わっているのです。それが歴史認識の主軸であって、例えば警察や外交当局とし
て「当時は主権侵害を黙って見ている屈辱を味わい、今も責任の一端があるような言
い方をされるのは腹が立つ」というのは何とも幼稚な反応だと思います。

 勿論、事件当時の時点で、警察なり外務当局が行われた政治決着に釈然としなかっ
たのならば、それは健全な感覚だと思います。その健全さが保たれているのなら、民
主化した韓国の繁栄と、長い年月を経て報告書が完成したことを喜んでも良いのでは
ないかと思います。少なくとも、善悪の視点、そしてその善悪の規準が変わったとい
うことで、この問題を受け止めるのが良いのではないでしょうか。福田首相の言う
「未来志向で」というのは何となく逃げに聞こえます。

 この問題に関しては、日本は理念よりも情緒的なナショナリズムに流れがちだとい
う解説も可能でしょう。事実、町村官房長官の言動にはそうしたニュアンスで世論に
媚びるクセを感じます。ですが、この解説はあまり的を射ていないように思うのです。
もしかしたら、日本の社会は善悪という理念を使って紛争解決をする習慣が少ないの
かもしれません。理念ではなくて、その時、その時に応じた政治的な文脈を使って問
題の落とし所を探す、そのようなスタイルの意志決定をする社会なのです。

 その延長で考えると、何でも簡単に時効にしてしまうのは、そのためであって、仮
に証拠が揃っていても社会がその問題をもう水に流したと思っているトラブルに関し
ては、「出るところへ出て」手間暇かけて白黒をつける必要を感じないのかもしれま
せん。物事が全て「現在形での関係性」で決まる、時間を超えて有効な理念は判断基
準としては二の次、そんな社会だとも言えるでしょう。歴史認識の問題で周辺国とす
ぐに摩擦になってしまうのも、日本には過去を背負うという発想がそもそもなく、自
国が非難されるとすぐに「現在形での悪意を向けられた」と思ってしまうクセに原因
があるのかもしれません。

 そう考えると、タリバンが悪で、カルザイ政権と北部同盟が善という実に単純な二
元論で行き詰まっているアメリカの艦船に対して、「現在形での日米の良好な関係」
ということしか考えずに給油をすれば責任が果たせるという日本がウロウロしている
構図というのは、何とも象徴的に思えます。二元論を固定観念にしないこと、現実の
利害関係を全てあぶり出すこと、その利害関係の落とし所を追い求め、その中で人心
を掌握できるだけの理念を示すこと、その中で過去との連続性のどの部分を生かし、
どの過去を切り捨てるのかを判断する、そうしたダイナミックな国際政治ということ
を考えると、日本とアメリカはどちらも苦手な国だと言わざるを得ません。

 今週表面化した「大連立」構想などは、正に当面の課題を解決するためには、二元
論的な対立から国を挙げて逃避しようということに他なりません。国内の対立をウヤ
ムヤにして、日米の関係を「良好」にしたい、要するにそういうことのようです。も
しかしたら、日米関係というのは、どうしようもなく善悪二元論にこだわるアメリカ
の決定に対して、あくまで「良好な関係」のためだけに日本が追随する、それが基本
構図なのかもしれません。基本的な価値観の部分で両国世論が相互信頼、相互尊敬を
しているという点では脆弱なのです。その意味で、善悪の評価が日本自体に向けられ
る(慰安婦問題など)ケースや、アメリカ側の二元論が行き詰まる(反テロ戦争)ケ
ースで、日米がギクシャクするのはむしろ自然なことなのかもしれません。

----------------------------------------------------------------------------
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]                No.451 Saturday Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】   <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
----------------------------------------------------------------------------

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ51掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。