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[民主主義の危機]重要なのは政府の偽装やイカサマなんかじゃなく、ヴィジョンなの!?
[本 題][Souvenir Ser.]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブラッセル編
→ オリジナル記事、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060827
<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071026
【画像1】
仙台近郊、秋の風景(2007年10月18、撮影)
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・・・・・これらの画像は、当記事の内容と無関係です。ようやく秋らしくなってきました。
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【画像2】
ロベール・カンパン(Robert Campin/ca1375-1444)『受胎告知』
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・・・これは、ベルギー王立美術館所蔵の絵画、ロベール・カンパン(Robert Campin/ca1375-1444)の『受胎告知』です。ここで扱われる主題は天上的なものであるにもかかわらず、同時代のフランドルの他の画家たちと同じく、写実主義の傾向が見られます。ただ、その写実性は現代のものと異なり、テーブルなどの家具が歪んだ遠近法で描かれています。
・・・このように「聖なる奇跡のドラマが日常生活を舞台に行われるという図像構想」はカンパンの独創であったと考えられるようになっています。描写の緻密さという点では同時代人のファン・アイク兄弟に比べるとやや荒削りですが、近年の研究では、身近な「室内の日常生活をリアルかつ微細に描く」というフランドル(ネーデルランド)派絵画の伝統はカンパンから始まったと考えられるようになっています。
グラン・プラスの風景、ほか(ブラッセル)
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・・・一枚目の正面はグラン・プラスにある「ギルド・ハウス」で、左は「市庁舎」です。二枚目はグラン・プラスの北東に続くガルリ・サンチュベール(Galaries St−Hubert/ヨーロッパ最古のアーケード街の一つ)で、1846-1847にかけて建造されたものです。三枚目と四枚目は同アーケード街にある書店とチョコレート店(Corne)の店頭風景。五枚目はグラン・プラスの「王の家」で、六枚目は「ブラッセル中央駅」の正面です。七枚目はサンカントネール宮殿(この中に王立美術館・王立歴史博物館などがある)の入り口にある「凱旋門」の風景です。
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<注記>
●以下の記事内容は。今から僅か約1年前のものですが、「安倍の美しい国の自壊」によってスッカリ日本政府の化けの皮が剥がれてしまい、日本の政治環境は様変わりの状態です。この余りの変化には驚かされるはずです。一言で言えば、<小泉劇場→安倍の美しい国→福田おトボケ内閣>のプロセスは国民騙しの<偽装政治>であったということのようです。
●しかしながら、国民一般を誑かそうとする、日本政治の本質的な部分はサッパリ変わっていません。それどころか、<軍需・防衛ビジネスの“偽装はげ落ち”事件>始めとする日本政府のイカサマの実像が、これでもかコレデモカと暴かれ続けています。このため、この1年の変わりぶりを実感するためにも、敢えて、以下の内容は1年前の旧い記事をそのまま再掲しておきます。
●昨日の「PM7時〜、NHKニュース」で、“司直によって円天詐欺事件が摘発された後にもかかわらず、まったく騙されたことに気がつぬ様子で、今もセレブなビルで開催され続けている<円天市場>に参加して、その独特の電子マネー「円天yen」でバンバンと品物を買い漁るオバサンたちの姿”が報じられていました。驚かされたのはインタビューに答えた一人のオバサンの言葉です。これでは、まったく訳がわかりません? →『円天は詐欺なんかではないわヨ、こんなにお買い物ができるんだから。重要なのは詐欺なんか疑うことではなく、これはヴィジョンの問題なのヨ!!??』
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今夏の「小泉首相・8/15靖国参拝」(日本国総理大臣による戦前の超国家主義思想の追認行為)以降、日本の政権与党の政治家たちは、コトの正否は二の次として、只ひたすらポスト小泉の「大衆世論が支持する勝ち馬」に乗るため完全に間違った道をゾロゾロと歩み始めたようです。この現象は紛れもなく戦前のプロセス(国家主義と軍国主義の融合がリアルになり始めた1930年代)に重なります。ほぼ意図的に格差社会をつくりながら、「訳の分からぬ鬱屈した不満を持つ国民層の心を派手に煽るやり口」(=ファシズム的手法)と「暴力で言論を封じる手法」の組み合わせは民主主義国家の良識ある政治家としては禁じ手であった筈です。
一方、オランダ・ベルギー両国民が持つ、自国の「権力の牙」に対する警戒心は相当のものです。そのためにこそ両国では法整備の充実が執拗に図られてきた経緯があり、拡大EUの根本にもそのような精神が生かされています。しかし、今の日本は全くその逆であり、口先では自由主義と民主主義を標榜しながら、一方で国民を縛り上げるための法整備に血道を上げ始めています。明治維新以降の「超国家的な意志を上意下達で知らしめるべし、一般国民は従順にそれを受け入れるべし」というアナクロニズム精神からビタ一文の進歩も見られません。しかも、このような政治的危機を真正面から批判するメディアは少なくなりつつあります。しかしながら、下の東京新聞・特報記事(2006.08.25)は、冷静かつ的確に、今の日本に蔓延しつつある不穏で不気味な空気(社会的なファシズムと軍国主義への偏向の空気)を抉り出しています。
『東京新聞・特報/加藤元幹事長実家放火/党内忘却モード』
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060825/mng_____tokuho__000.shtml
拡大EUへの船出が前途多難な要素を抱えている(やはり少子高齢化傾向の下でEU加盟各国は医療・介護費用の抑制が求められつつあるなど)とは言いながらも、今回の旅で目にしたブラッセルにおける「EU District」建設の一定の効果が、環境政策や健全な民主主義ルールの維持というような局面で着々と現れつつあるようです。喩えれば、それはEUが一種の濾紙効果の役割を果たしつつあるということであり、“改革”の大義名分の下で一方的にアメリカ型グローバリズム(市場原理主義)に飲み込まれて格差と矛盾が拡大するばかり(例えば、国民の生命を脅かすという犠牲を払ってまで狂牛病罹患の懸念が大きい米国産牛肉の輸入を解禁した)の日本の現状とはいささか異なるようです。やはり、その根本には彼我の「市民意識の質の違い」ということがあるようです。最近の事例では、次のような成果が見られます。
◆欧州委員会が2005年5月15日に発表した集計によると、地球温暖化につながる二酸化炭素(CO2)の排出規制を導入した欧州連合(EU)域内で、企業による排出削減の取り組みが成果を上げ始めた。[2006.5.16付・日本経済新聞]
・・・欧州委員会が発表した排出権取引制度(ETS)に基づく企業の二酸化炭素排出実績では、欧州最大の排出国であるドイツの排出量が規制上限を大幅に下回った(-21.3%)。これは、ドイツの電力会社や大手の工場が省エネを進めたことが原因となっている。フランス(-19.3%)、チェコ(-14.5%)、フィンランド(-11.5%)、オランダ(-6.1%)、ベルギー(-4.5%)なども規制上限を下回った。逆に、この上限を突破した国はイギリス、スペイン、イタリア、アイルランド、オーストリア、スロベニアの6カ国となっている。結局、EU全体としては京都議定書で義務付けられた欧州の温暖化ガス削減努力が順調に進んでいることが窺われる。
◆米国産コメから遺伝子組み換えが検出され、EUが米国産コメの輸入規制へ踏み切る[2006.8.24付・日本経済新聞]
・・・同紙ブルッセル特派員発によると、欧州連合(EU)の欧州委員会は、2006年8月23日に米国からのコメ(長粒種)の輸入を規制する方針を決定した。それは、米国で安全性が審査されていない遺伝子組み換えのコメが微量ながら検出されたため。欧州委員会は、検査済みのコメ以外の輸入を差し止める措置を取っており、米政府に対して管理徹底を改めて求めた。欧州委員会のキプリアヌス委員(保健・消費者保護担当)は“いかなる状況でも未審査の遺伝子組み換え食品はEUに入れない”との声明を発表している。
・・・・・閑話休題・・・・・
今回は欧州連合(EU)の中心地としてのブラッセルにスポットを当てます。古くは、神聖ローマ帝国の皇帝オットー1世の文書(966)にブルオクセラ(古オランダ語で“沼の家”、つまり沼沢地に造られた城の意味)という地名が残っています。やがて、この地はブラバント公国、ブルゴーニュ公国の中心地となります。そして、1515年に神聖ローマ皇帝に在位(1515−1556)する前のカール5世(ハプスブルグ家)が近隣の高台に居城を築いたためネーデルラントの首都としての位置づけが強くなります。
人口約100万人の都市、ブラッセルは西ヨーロッパとベルギー(オランダから独立(1830)した直後1831年に制定された立憲君主制の憲法により国民の基本的人権と主権在民が規定され、議会制民主主義と三権分立の原則が確立されている/また、この時にベルギーはザクセン=コ-ブルグ=ゴータ公で英国ヴィクトリア女王の叔父にあたるレオポルト1世を迎え国王に推戴した)のほぼ中心に位置します。
ブラッセルは、二つの異なる性格を抱き合わせた特殊な位置づけの都市です。その一つは、その形から「五角形」とも呼ばれることがある中心部(小環状線と呼ばれる地下鉄で囲まれた中心部の地区)であり、もう一つは連邦国家ベルギーを構成する三種類の自治体制(自治体政府)の総元締めとしてのブラッセル首都圏です。そして、後者のテリトリーの周囲は「大環状線」と呼ばれる高速道路が走っています。また、「五角形」の東方にあるシューマン広場に面して「EU Distric」が建設されつつあり、NATO(北大西洋条約機構)の本部がブラッセル市郊外から北東約4kmに位置するエヴェール町に跨って立地しています。(参照/ブラッセルの地図、http://multimap.com/map/browse.cgi?client=public&X=487500&Y=6562500&width=700&height=400&gride=&gridn=&srec=0&coordsys=mercator&db=BE&addr1=&addr2=&addr3=&pc=&advanced=&local=&localinfosel=&kw=&inmap=&table=&ovtype=&keepicon=&zm=0&scale=500000&multimap.x=355&multimap.y=204)
ブラッセル中心部の目玉はヴィクトル・ユーゴーが“世界で最も美しい広場”と称賛したグラン・プラス(仏Grand
Place、蘭Grote Markt、独Grosser Marktplatz)です。この広場に一歩足を踏み入れると、その広場を取り囲む歴史的建造物(市庁舎、ギルド・ハウス、王の家など)が、まるでシンフォニーを奏でているかのような感動を与えてくれます。この場所は11、12世紀頃の市場(いちば)に発祥しており、17世紀頃までの間に現在見られる壮麗な建造物が取り囲むことになりました。
広場の南西部にある市庁舎( Hotel de Ville) はブラッセルを代表する建造物のひとつであり、15世紀のフランボワイヤン様式(後期フランス・ゴシック様式)の建物です。その中央の塔の高さは約96メートルあり、先端の像はブラッセルの守護聖人である大天使ミカエルです。市庁舎の向かい側にあるのは「王の家」と呼ばれている建造物ですが、ここに王が住んだことはありません。かつて、この場所にはパン市場があり、14世紀にブラバント公が建造物をつくり、更に16世紀になると神聖ローマ皇帝カール5世の命で建造物が建てられたので現在の名があるとされています。現在、この「王の家」はブラッセル市立博物館として使われています。
市庁舎に向かい左の小道を少し入った四辻に有名な「小便小僧の像」(Manneken-Pis)が立っています。この像は17世紀にJ. デュケノワによって作られたものですが、その物語の真偽はともかくも、それはブラッセル市民の迷い子になったある男の子が放尿してフランス軍を追い払ったという伝説に基づいたものです。
芸術の丘( Mont des Arts)は、ブラッセルの下町と山の手を結ぶフランス式庭園の公園で市民の憩いの場であり、この南東の丘の上からの眺望は素晴らしいものです。その南西側には王立図書館が、東側にはベルギー王立美術館(Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique)、パレ・デ・ボザール(コンサートホール)、楽器博物館などがあります。
ベルギー王立美術館の所蔵案内によると、同美術館は歴史上の妙な巡り合わせから、仏ナポレオンの文化政策を発端として設置されました。ナポレオンの新生フランスは、1794年、最終的にオーストリアを南ネーデルラントから一掃します。ナポレオンはルーブル美術館の所蔵を増やすため、1801年にベルギー美術館設立の政令を発布しましたが、この時、ベルギーでフランスの財産に新たに加えられた宗教芸術などの宝庫の中から、数々の傑作を選出して270の作品がフランスへ送られました。
しかし、その4年後にブラッセルの美術学院院長、ギオーム・ジャック・ヨゼフ・ポシャートはフランス共和国美術作品選定委員会が棄却した1,500点の作品の中から約100点を選出して、これをブラッセルの古典美術館の所蔵とし、かつてシャルル・ドウ・ロレーヌ城のあった所に第一次古典美術館を設立して彼自身が初代館長として就任します。つまり、現在のベルギー王立美術館は、それ以来の長い歴史と伝統を持つ美術館ということであり、それは古典美術館と近代美術館という二つの部門から構成されています。そのコレクションは15世紀から20世紀までの広範囲に及び、ベルギー絵画の豊かな伝統と多様性を余すところなく伝えています。現在の収蔵点数は約20,000点にのぼり、ベルギー王国を代表する世界でも屈指の規模を誇る美術館です。
この美術館が所蔵する秀作はロベール・カンパン(ca1410-1440)『受胎告知』、ハンス・メムリンク(ca1465-1494)『聖セバスティアヌスの殉教』、ピーテル・ブリューゲル(ca1527-1569)『ベツレヘムの戸籍調査』、ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)『マラーの死』、ジョルジュ・スーラ(1859-1891)『セーヌ川、グランド=ジャット島で』、ポール・ゴーガン(1848-1903)『緑のキリスト』、フェルナン・クノップフ(1858-1921)『愛撫』など、数え切れないほどあります。ここで列挙した名画は、同美術館のパンフレット「20の名画」から抽出したものです。なお、その貴重なコレクションから、傑作を選りすぐった油彩70点とデッサン17点(東京会場のみデッサン39点)が、下記のとおりの日程で日本で公開されます。
【東京】
国立西洋美術館 2006年9月12日(火)〜12月10日(日)
【長崎】長崎県美術館 2007年1月6日(土)〜3月25日(日)
【大阪】国立国際美術館 2007年4月7日(土)〜6月24日(日)
グラン・プラスの北、約400メートルにある「王立モネ劇場」(La Monnaie / De Munt les Ateliers de la Monnaie)は通称「モネ劇場」と呼ばれ、300年の歴史と名声を誇るオペラ劇場(1700年、スペイン領オランダ総督の財務顧問でイタリア人のジオ・パオロ・ボンバルダがこの場所にオペラ、演劇、バレエのための会場を建造したのが始まり)です。ここは、ヨーロッパ屈指の劇場(座席数1,152)の一つに数えられていますが、それは伝統を踏まえつつEUの首都ブラッセルという地の利を活かして、あらゆる国の文化の流れを取り入れることに力を入れているからです。
例えば、異色の人材である高田賢三、アントワープ・モードのドリス・バン・ノッテン、クリスチャン・ラクロアなどをオペラの衣装デザイナーとして起用してオペラ界に新風を巻き起こしています。ここでは、オペラだけでなくコンサート・ダンス・ミュージカルなども公演されており、1992年にはローザス・ダンスカンパニーを迎え入れています。また、2002年には日本人指揮者・大野和士氏を音楽監督に迎えています。なお、「モネ劇場」の名の起こりは、この劇場の創設が造幣局の跡地で行われたことにあります。つまり、お金を意味する「ラ・モネ」(la Monnaie)から、このように名づけられた訳です。
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