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(回答先: 山口県田布施町の怪 〜日本国家の真相〜 (心に青雲) 投稿者 ウソ捏造工場 日時 2007 年 9 月 10 日 19:11:32)
本文の趣旨とはそれるが、1点だけコメント。
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>源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って” 漂着した部族であった。
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これは「マレーシア方面」からではなく、「スマトラやジャワといった現在のインドネシア」の間違いではないのだろうか。
平安時代というのは8世紀末から12世紀末だが、この時代の東南アジアでは、7世紀末にスマトラ島南部にマレー系民族のシュリーヴィジャヤ王国ができ、マラッカ海峡とスンダ海峡の両方を支配できる位置にあって、海上交通の拠点となったが、主な目的は唐と接触することであり、8世紀前半まで唐との交流は活発に続いた。
一方、ジャワ島には8世紀半ば頃、シャイレーンドラ王国ができ、8世紀後半後頃から、中国との交流が衰退したシュリーヴィジャヤ王国に代わって、唐との接触を活発にし始め、勢力を増していき、9世紀ごろにはスマトラ島も支配することになった。
そして9世紀半ば頃、ジャワ島でヒンズー教の勢力が復活するにつれ、シャイレーンドラ王国はだんだんと衰退していったが、一方、スマトラ島ではシャイレーンドラ王家のマハラジャによって、10世紀には、再び海上通商活動の大繁栄期を迎える。
これは唐朝とアッバース朝とが興ったこと、7世紀前後にアジア大陸内部でトルコ民族の勢力が大きくなり、「陸のシルクロード」の通行が困難になったため、「海のシルクロード」としてこのような海上航路が重要化したからだといわれている。
従って、この時代に日本に東南アジア方面から流れていった人々ということになると、「マレーシア方面から」という言い方は正しくなくて、「マレー人、ジャワ人が東南アジア方面から」とでもいった方が良いのではないかと思う。
http://www.kotobuki-p.co.jp/jrekisi/heian.htm
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