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(回答先: スウェーデン人はヨーロッパの日本人=y目黒川の畔にて】 投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 8 月 11 日 01:57:12)
シリーズ討論 スウェーデンにみる生活者優先社会
早稲田大学社会科学部教授 岡澤憲芙 国民会議ニュース1995年8月号所収
さる7月6日の岡沢教授の講演録です。当日は時間がなく質疑は出来ませんでした。なお、これは岡沢教授の校閲済です。
● 職場・家庭・地域社会のバランス
● なぜ、スウェーデンか
● 30年前のスウェーデンが今の日本
● スウェーデンの実験
● 高齢化社会の姿
● 日本の直面する実像
● 行政ニーズが違ってくる
● 家族愛と地域では支えられない
● 新しい哲学
● 根底にある高い投票率
● スウェーデンの女性環境
● パラダイスに一番近い労働者
● 在住外国人の環境
● スウェーデン経済の経験
● スウェーデンの税制
● デモクラシーの強さ
● 職場・家庭・地域社会のバランス
21世紀の社会生活を考える場合、その構成要素として家庭と地域社会と職場の三位一体の中でそのバランスをどうとっていくかということが課題であろう。現在、地球上には約209の国があって、53億の人類が住んでいる。そのうち日本は、人口1億3千万人で、トータル人口の約2%となっている。その国が世界のGNPの約15〜16%を寡占している。1人当たりGNPも、最近の円高傾向と併せて3万ドルを超えている。世界のGNPの15%を寡占し、1人当たりGNPが3万ドルを超えている国が、若しくはそこで働いている者が、自分たちが経済大国のメンバーであるという実感を持てないという仕組みは長続きするわけがない。 とすると、何がおかしいのだろうか。世界に冠たる経済大国のメンバーが、それと同時に世界に冠たる長時間労働の労働環境の中で、なぜ耐えなければならないのか。そして、突然死や過労死の恐怖に、なぜわれわれは背中を押されなければならないのか。21世紀の初頭にかけて、この国が直面する政策課題をクリアしながら、経済大国の論理を生活大国の論理にどう切り換えていけばいいのだろうか。それぞれの国の経済力にふさわしい市民生活の充実があったほうが望ましいとするならば、そういう社会づくりのために社会をどのように変えたらいいのか。なぜこの時点で政治改革や行政改革や経済改革が要請されるようになっているのか。そういう話をしてみたいと考えている。
われわれは、えてして伝統的な性役割二元論の中で、職場は男性の世界、家庭は女性の世界、そして地域社会はどちらかというと女性の世界、そして定年退職近くになると男性もそこにやっと注目し始めるという、非常に変則的な状態にある。職場では男性が長時間労働で常に疲れ切って不満を言っている。家庭の中では、働きたいのに職場がないといって女性が不満を言っている。不満と不満の中から創造的な未来は生まれないのではないか。とすれば、男が職場を出て家庭に帰り、そして女性が家庭から職場に出る。そして自由に相互交流できるような環境をどう作ったらいいのか。無理なく職場と家庭生活が両立することができるようになれば、きっと地域社会への投入時間も増えて行くのではないだろうか。市民生活が充実するための構成要素は、どうも職場での環境だけではなくて、職場・家庭・地域社会という3つの構成要素のバランスのとれた発展が望ましいのではないだろうかということが大前提となる。
それとともに、21世紀初頭の政策課題というのは、基本的には国際化・情報化・成熟化、高齢化であろう。この国際化・情報化・成熟化・高齢化という政策課題は、最終的には国際的な連帯、地域間の連帯、世代間の連帯、男女間の連帯を要求していくだろう。具体的な政策としては、地方分権の強化、在住外国人環境の整備、女性環境の整備、そして税制の改革もしくは税金に関する新しい哲学の確立が要求されるだろう。それを非常にラフなコンセプトで表現すれば、今、私たちは政治改革、行政改革、そして経済改革が必要であると表現できるかと思う。最終的にはここが突破口になっていくだろうと考える。
● なぜ、スウェーデンか
今日、なぜスウェーデンを例にとるかと考えてみると、実はスウェーデンが1960年代に経験したことが、ちょうど今、日本が経験しようとしている問題構造が似ているということである。
なぜ今、スウェーデンなのかと言われた時には、基本的には、高齢化社会という、日本がこれから経験する環境からの挑戦という点では、スウェーデンが最も典型的な事例を見せてくれている。しかし、ここであらかじめ念頭に置いておかねばならないことは、スウェーデンは発想のヒントにはなるけれども、決して日本のモデルにはなり得ないだろうということである。
スウェーデンは実は180年間戦争をしていない。180年間戦争をしていないという平和の継続が政治財となり、経済財となって蓄積されているという国である。工業国家というのは基本的には原料を海外で買い、国内で組み立て、そして完成品を海外に売って外貨を得て、その外貨で原料を買うという形を取る。多かれ少なかれ、多くの工業国家は発展の過程で海外に武力によって市場を開拓する歴史を持った。しかし、スウェーデンは工業国家の中で珍しくナポレオン戦争以来この方180年間、戦争を回避している。言葉を換えて言えば、180年間自国民と他国民に対して加害者になったことがない工業国家というのは、この地球上では、ほぼスウェーデンだけである。その平和の継続ということが、ある一方で政治財であり、経済財として活用されているということを考えれば、その間に日本が何度を経験をした戦争というものが、逆に言うと非常に大きな負の財産として今なおのしかかっているということを考えると、日本がどんなに懸命に努力をしてもなかなかスウェーデンにようにはなれないというのはそこに理由があると思う。
現に今、スウェーデンの国内では、あの戦争で自分たちが加害者であった、被害者であったという意識を持つ人が1人もいない。180年戦争をしないで、平和を維持できたということのさまざまな意味、たとえば社会資本の投資は終わり、政治に対する基本的信頼感もある。そして、スウェーデンの企業の多くが国際化している。なぜスウェーデンの企業が海外に進出する時にあれだけ歓迎され、日本の企業は海外に進出する時に、結構、疑問を持たれるのかという問題もある。日本で間接税を3%を5%にする時にあれだけの抵抗感があるのに、なぜスウェーデンで25%の間接税を市民が払っているのかという問題もあるだろう。そういう形で、その後、平和の継続というものがさまざまな政治財、経済財として大きな影響を及ぼしているということを考えると、今から日本が130年間ぐらい戦争をしないで、ずっと平和でいった時に、おそらくまた違った政治・経済のシステムが生まれるかも知れないが、残念ながら、今のところそういう歴史はない。おそらくスウェーデンは発想のヒントにはなるけれども、モデルにはなりにくいという決定的な理由はここにある。よくスウェーデンでは、平和に勝る福祉なし、戦争に勝る環境破壊なしと言われるが、まさにそのとおりだろうと思う。
● 30年前のスウェーデンが今の日本
とは言え、スウェーデンが現在の日本の政治状況、若しくは経済状況を考える時に有効な手掛かりになるというのは、スウェーデンが世界の工業国家の中でいち早く高齢化社会を迎えた国だからである。戦争に参加しなかったことで、スウェーデン経済は1960年代にピークを迎えた。多くの工業国家は今から50年前の戦争で、最も生産人口にふさわしい年齢層が戦場に送られた。スウェーデンは戦争に参加しなかったので、若年労働者がそのまま国内の生産活動に携わることになった。豊富な資本、生産手段、豊富なマンパワーは経済成長の三原則であるが、多くの工業国家は資本が凍結され、生産手段は武器に変えられ、マンパワーは戦場に送られた。その時にスウェーデンは資本が温存され、生産手段は維持され、そしてマンパワーは国内にあった。そして、先進工業国家が、いわゆる戦後復興の槌音を上げはじめた頃、そこに工業製品、生産プラントを輸出できる工業国家はスウェーデンであった。そのためにスウェーデンは世界中から富が集まるようになった。そのピークが1960年代で、1人あたりGNPでアメリカに肉薄する珍しい国と言われたのはその頃である。そして世界の社会科学者が先進的な福祉国家という形でスウェーデンモデルを見学に行ったことはご承知のとおりである。
しかし、そのころ経済成長を達成したレーバーコストの安い豊富な若い労働力は、30年後に自動的に高齢化するというだけの話である。スウェーデンはいち早く高齢化社会に突入した。1960年、スウェーデンは高齢化率14.0%。そして1995年の現在、日本の高齢化率が14.0%。30年前にスウェーデンで語られていたことが、ちょうど今、日本で語られていると考えればいいかと思う。
私たちは日常生活の中で、スウェーデンの物というのはそれほど縁がないような印象を持つが、実際には私たちの周辺にはスウェーデンの物がたくさんある。それらは具体的な物である場合もあるし、さまざまな政治的実験である場合もある。ここでどんなものがあるかということをちょっと紹介してみたい。
まず、私たちの周辺にある物で、生命とか命にかかわるものが非常に多い。たとえばメイド・イン・スウェーデンの典型的なものとしては、スウェーデンで発明された心臓のペースメーカー、脳外科用レザーメスもスウェーデンの発明である。クルマのシートベルトもスウェーデン製である。現在使われているような安全マッチを作ったのもスウェーデンで、この安全マッチでスウェーデンはまず最初に世界的な富を築いた。20世紀初頭、スウェーデン製のボールベアリングが世界を席巻した。あるいは、現在でこそ、安いカメラは日本製であるが、今でもプロのカメラマンが使うのはハッセルブラードというスウェーデン製のものである。現在のような形のカメラを作ったのがスウェーデンだった。
ファスナーも、今でこそファスナーと言えば何となく日本の市場占有率が高い製品のように言われているが、発明はスウェーデンであった。エアコンなどに使われているスクリュー型のコンプレッサー、そしてコンピュータのマウスもスウェーデン人の発明したものである。あとは、現在のような真空掃除機を発明したのもスウェーデンであるし、液化ガスを使った冷蔵庫もスウェーデン人の発明によるものであった。しかし、それをメイド・イン・スウェーデンとは言わない。言ってしまうと、ドメスティックなマーケットは800万しかないから、むしろ、「世界の」と言ってしまう。グレタ・ガルボはスウェーデン人、イングリッド・バーグマンもスウェーデン人であるが、誰もグレタ・ガルボやイングリッドバーグマンをスウェーデン女優と言わないで、世界の女優ということによって非常に大きなマーケットを手にすることができた。それがスウェーデン流だった。
スウェーデンは180年間戦争をしていないから、国際市場に乗り込んで行く時に非常に有利な地位にある。その一つのやり方が、あえて国の名前をつけずに、世界のブランドにして行くということだと思う。それは最近で言うと、工業用ロボットであるとか、また、携帯電話はフィンランドのノキアとスウェーデンのエリクソンというのがいち早くデジタル化して、ヨーロッパの市場で大きな影響を持っていることはご承知のとおりである。
ジュースとか牛乳の入っている四角い紙の袋はテトラパックというスウェーデン製である。日曜大工で使うモンキースパナ、また、私たちが小学校や中学校の時に学んだ植物の分類表はカールホン・リンネというスウェーデンの植物学者が作ったものであるし、われわれが化学の時に習った元素周期律表がスウェーデン製である。それよりも何よりも、温度の単位である「摂氏」というのはセルシウムというスウェーデン人の作ったものである。
以上挙げたように、無意識のうちに使っているスウェーデンのモノというのは非常に多い。1902年にスウェーデンがノーベル賞を制定した。日本でいうと日清戦争と日露戦争の中間の年にノーベル賞を作るぐらいの国であるから、いかに科学技術に自信のあった国かということは想像がつくと思う。その意味では、20世紀初頭、世界のサイエンスとテクノロジーをリードした国の一つで、スモールジャイアント(小さな巨人)と言われた歴史を持っている。わが国は日清・日露戦争の時代に地球に対して何を考えていたかということを考えれば、あの時期にノーベル賞というものを作ろうという発想ができた国というのはなかなかすごいと思う。それはその後のスウェーデンに対する好感度につながっていくことだと思う。逆に言うと、それが世界の市場の中で非常にユニークな地位を占めることになった理由の一つであり、また、そのために経済が停滞するようになった理由の一つであったと考えていいのではないか。
スウェーデンは日本でいうと神奈川県ぐらいの小さな国だが、その中にボルボ、サーブという世界的な自動車会社が2つあるということは、やはり世界の工業市場で類を見ないことだろうと思う。われわれはたまたま多くの自動車会社を持っている国に住んでいるから、どこの国でも自国製のクルマを持っているという錯覚を持つけれども、今、世界に209ある国の中で自国製品のクルマを作っている独立国家というのはそんなにはない。また、ドラッケンとかビゲンというジェット戦闘機を自力開発しているということを考えれば、ちょっと違うぞということはわかっていただけるかと思う。これは航空技術を知っている方は、ビゲンとかドラッケンというのはどういう意味を持つかということはご承知のとおりである。
● スウェーデンの実験
ではスウェーデンが日本にとって何か社会経済的な意味で意義のあるような実験をしたのだろうかというと、実は幾つかある。最近、日本からスウェーデンに視察団が行く場合、大体の関心対象は10点ぐらいあるかと思う。
経済大国から生活大国へ切り換える時のシナリオにどういう変数があるかということが1つ。第2番目には、先進工業国家の中でスウェーデンが例外的に出生率が2.1に回復した珍しい国であるが、今のところ日本はまだ1.50に低迷していることを考えると、反転上昇の理由は何かということで視察団が送られている。第3番目は、労働時間短縮と年休消化のやり方であろうかと思う。スウェーデンの法定労働時間は1808時間だが、実質は大体1500時間と言われている。スウェーデンと西ドイツは労働時間が非常に短い国で有名である。それとともに、年休消化は全国民が、最低5週間取って、100%の消化となっている。
第4番は、女性環境整備と機会均等法の問題で多くの視察団が今、スウェーデンを訪れている。今年の夏、北京で国際女性会議があるが、おそらくその中で1つのモデルになるのがスウェーデンであろうと思う。現在、スウェーデンでは国会議員の40.4%が女性議員である。つまり、国会議員の5人に2人が女性の国というのは、今のところ人口100万人以上の国ではスウェーデンだけである。日本では衆院議員の2.8%で、世界の129位であるから、やはりこの差は大きい。
第5番目に、2025年に日本の高齢化率は25.8%になって、3,275万人の高齢者が予想されている。3,275万人の高齢者がいるということは、ものすごく大きなビジネスチャンスがそこに生まれるということも事実である。そのための一つの考え方として、補助器具産業にどういうものがあるのかという視点で、スウェーデンを訪れる日本の団体は増えている。
次に、現在、スウェーデンは全人口の9%が在住外国人であり、在住外国人の環境が最も整備された国の一つと言われていることはご承知のとおりであるが、そのために、在住外国人環境整備の問題でスウェーデンに視察団が行く場合も結構ある。これについても後ほど説明する。
その次はPKOの問題。日本でもPKO法案が成立した時に、一番最初に研修団が送られたのがスウェーデンだということはご承知のとおりである。PKOを創設した当時の国連事務総長ターグ・ハマーショルドはスウェーデン人だった。
そして、最近はグループ住宅が、スウェーデンに視察団が行く理由の一つになっている。かつてのスウェーデンは巨大施設中心、巨艦巨砲主義であった。しかし、徐々に福祉施設の巨艦巨砲主義というのは後退して、在宅ケア中心の高齢者環境が整備されるにしたがって、10名内外で人々が住むグループ住宅方式が大きなウエイトを占めるようになった。これから日本も、おそらくグループ住宅中心の高齢者環境が整備されていくのだろうと思うが、その先行例として、スウェーデンにグループ住宅の現状を見学に行く人が多いと思う。
その次が、日本ではパイロット自治体と表現されているが、この構想のオリジナルは、スウェーデンのフリーコミューン実験である。フリーコミューン実験と日本の現在やろうとしているパイロット自治体構想とは根底から違っているが、実はフリーンコミューン実験がパイロット自治体構想のオリジナルであるということは皆さんご承知のとおりである。
現在、日本で正式にオンブズマン制度ができているのは川崎市の市民オンブズマンであるが、オンブズマンについては、スウェーデンで約200年の歴史を持っている。今、世界的に発達してオンブズマン制度は政治腐敗が露顕するたびに世界中が何とか導入しようとしている。政治腐敗が発生するとスウェーデンにオンブズマンの視察団が来ると言われている。リクルート事件が発生した時の川崎も、市民オンブズマンをつくりたいということで、スウェーデンのルンド大学の地方自治の権威と言われているアグネグスタッフソン教授に来てもらって、そのための施策を考えた。今、なおオンブズマンの調査研究のためにスウェーデンを訪れる視察団は非常に多い。
その次に、東京への一極集中の是正の問題についての視察団である。これもスウェーデンは20年前に、首都機能の地方移転ということを既に実験例としてやっている。首都機能の地方分散の問題で徐々に日本からも視察団が行くようになっている。
そして一番多いのは、高齢化社会の福祉と税制のあり方の使節団であろうかと思う。これが一番メインだろう。
いずれにしても、日本とスウェーデンの抱える問題というのは非常によく似ている部分がある。それは、かなり短期間に高度成長を経験し、1 人当たりGNPでアメリカに肉薄するぐらいの経済成長を遂げた。そして、その後、確実に高齢化社会に直撃されたが、その時に、それをどうクリアするかという問題が非常に深刻になった国と考えればいいと思う。ただ、スウェーデンが経験した高齢化社会と日本の経験する高齢化社会には若干の違いがある。時期のずれは約ワンジェネレーションあるが、そのワンジェレーションの違いは、やはり戦争したかしないかということが大きな理由であろうと思うが、人口ピラミッドがナチュラルに変わった国と、かなり変則的な変化をした国の違いと言えばいいかと思う。
● 高齢化社会の姿
日本とスウェーデンの高齢化社会の実態の違いについて言えば、本格的な高齢化社会の入口が14%、初期高齢化の段階が7%だとすると、本格的な高齢化社会に到達するまでに、スウェーデンは大体80〜85年の時間をかけた。日本はわずか25年でそのレベルに達する。ということはざっと3倍強の速さで日本は高齢化社会を迎えることになる。そして、現在のスウェーデンは18%で、ピークは2010年の21%で、残り3%となっている。日本は現在14.0%で、予想されるピークは西暦2025年の25.8%である。言葉を換えて言えば、スウェーデンは長い長い高齢化社会のトンネルの出口がほぼ見えかかった国であるが、日本は長い長い高齢化社会のトンネルのほんの入口付近にやっと差しかかった国である。その段階の国が、高齢化社会の出口が見えかかった国を見て、「福祉をやり過ぎると経済がだめになるよ」と言っていられるのか。まず最初に自分たちの国の置かれている高齢化社会の実態を見たらどうかというところから議論を起こせばいいかと思う。
高齢化率が14.0%時代のスウェーデンと高齢化率18%の今日のスウェーデンを比較するというのはかなり有効であろうと思う。ただ、日本は高齢化のトンネルのほんの入口に差しかかっている国であるということを考えると、作業を少し急ぐ必要があるだろうと思う。
私自身の率直な感想を言わせていただくと、60年代、世界中の社会科学者がスウェーデンを見学に行った。おそらく西暦2010年頃から、世界中の社会科学者が日本に来るのではないか。スウェーデンの3倍の速さで、スウェーデンが経験しなかったようなスケールの高齢化社会が到来するということが確実に予想されていながら、そのための準備をほとんどしなかった珍しい科学技術の国と言われるのではないかという気がしている。私がスウェーデンに行って今年でちょうど30年になるが、やはりスウェーデンで生活している時と、日本で生活する時には決定的に違うという気がするのは、確かに懐に金はないが、町を歩いていて、あれだけ安心、安全、安定が感じられるということである。日本はこれだけ金があるのに、安心、安全、安定が先に見えて来ないというのは、一体どういうことなのだろうか。
日本を訪れたスウェーデンの研究者と一緒に日本の地下鉄に乗った時に、彼らがびっくりするのは、落書きがない、時間どおりに来る、そして三角マークを3つ付けた所にぴたっとドアが開くことである。しかしスウェーデンの研究者は言う。「こんなにきれいで、こんなに時間どおりで、こんなに止まる場所もきちっとしているのに、なぜここまで車椅子で下りて来られないのか」と。ここがやはり基本的な違いだと思う。スウェーデンの地下鉄は汚くて時間どおりに来ないし、止まる場所もまちまちだが、公道から地下鉄まで車椅子の人が自力で、誰の援助も得ずに走行できる。やはりこれはテクノロジーの哲学に違いがあるのではないか。
皆さんがスウェーデンに行ったら、まずびっくりされるのは市バスだろうと思う。スウェーデンの市バスは、前に高齢者がいるということがわかれば、その停留所に停まるとバスの3分の1の前半がお辞儀をする。そして、バスのステップと歩道が限りなく水平に近い状態で、高齢化者がそのまま入れるようになる。そして、乗り終わると,元に戻って発車する。世界に向かって大量のクルマを売っているのが日本だが、その日本でお辞儀をするバスが作れなくて、量的にはそれほど大した数を作っていなスウェーデンでお辞儀をするバスができるというのは一体何なのか。やはりテクノロジーの哲学に何か違いがあるのではないか。その辺がこれからの日本の高齢化を考えて行く時に、われわれが心して行かねばならない発想の転換であろう。清潔、時間どおり、止まる場所も正確、しかし、車椅子で使えない地下鉄、お辞儀のできないバスというのは一体いかがなものか。
そういうものも社会資本の整備と考えるならば大変な金がかかる。まず最初に、公的な交通機関から。すべてホームは直線に直す必要がある。カーブを描くホームは、必ず車体とホームの間に間隙ができるから、車椅子では絶対に乗れない。まず、カーブを描いているホームを直線に直すところから始めなければならないから、福祉環境を整備するには膨大な金がかかる。この経済大国日本で、JRのホームの上にあるトイレには車椅子専用のトイレがあるのに、階段を昇らなければトイレに行けない。一体このトイレは誰が使うのだろうという問題がある。この辺が日本のユニークなところだと思う。これは残念であるが、各地にできている社会福祉センターのいくつかにも同じことが言える。センターの中に入ると車椅子専用のトイレはあるが、そのセンターに行くまでに歩道橋が2箇所あったりする。まさに福祉環境を整備するというのは、縦割り行政を破って総合的な都市計画をしていかなければ、もう間に合わないという時代になっていると思う。
● 日本の直面する実像
日本の直面する高齢化社会の実像を簡単に紹介しておきたい。北欧の研究者は統計年鑑を胸に入れた議論しかしないのが特徴である。日本のように、福祉の充実・大幅減税という情緒論にはほとんどならない。福祉をどの程度充実させると税負担はどの程度だというように。政策提案は、必ず財源論とワンセットの議論をする。
まず、世界最長寿。女性が、今は82.98歳、男性は76.57歳である。これは世界最長寿と考えていいかと思う。人類の夢は少しでも長く生きることだとするならば、ある意味では世界で最長寿のリンゴが日本で手に入ったと考えられる。しかし、その手に入った長寿のリンゴを持て余しているのが日本というのも、また滑稽だという気がしないでもない。
では、もともと日本は長寿国家であったのか。私が調べてみたところ、平均寿命の年次推移でみると、第1回調査(1891年)には男性42.8歳、女性44.3歳、男女差は1.5歳だった。そして、終戦直後期の第8回調査(1947年)では、男性が50.06歳、女性53.96歳、男女の差が3.90歳というのが日本人の平均寿命の推移で、日本の女性が82歳、男性が76歳というのは昔からの伝統ではない。むしろ、そんなに寿命の長い国ではなかった日本が、ごく短期間に長寿のリンゴを手にしたのだと考えていいかと思う。
その一方でこれから予測される寝たきり老人の数は2000年で100万人、老人性痴呆症が2025年に約274万人、それに、2025年の時点で要介護の高齢者数が大体520万人と予想されている。要介護高齢者が520万いて、1人8時間で3交代で介護したら、520万人の3倍のマンパワー、1,500万人、しかし、介護する人も休暇が必要だとすると、1人の要介護高齢者に4人のマンパワーで介護するとそれの4倍、つまり2,100万人要ることになる。短期間に世界のGNPの15%を生産するようになった原動力の労働者が、年をとったら、みじめな老後しか迎えられないとしたら、誰がこれから勤労意欲を維持し、負担に耐えていけるのだろうか。
若い人たちが未来に希望のない社会を作ったら、日本が直面する高齢化社会はクリアできない。情緒論ではなくて、きちっとした政策対応でやっていかないといけないのではないか。
● 行政ニーズが違ってくる
現在、高齢者の数が1,749万人で、全国平均で14.0%である。全国平均で14.0%というのは何かを語っているようで、あまり語っていない。日本には3,260地方自治体があるが、すべてが14.0%の均一の数字で高齢化を迎えているわけではない。3,260ある地方自治体の中で一番高齢化が進んでいる町は既に42.5%に達している。そして一番若い市は浦安市で、5〜7%ぐらいだったと思う。全国平均で14.0ということだが、3,260ある地方自治体では既に42%から5〜6%までの非常に大きなばらつきがある。きめ細かな高齢者福祉対策を練っていかなければ、市民が納得しない。市民が納得しなければ、税金などは払うわけがない。地方分権が当たり前というのは、まさにこのとおりだと思う。中央のレベルで、高齢化者に毛布2枚必要だと言ったところで、寒冷地では毛布2枚では足らないと言って不満が出るだろう。温暖地では、毛布よりも除湿器が欲しいと言って不満が出るだろう。中央政府で画一的な高齢者政策をやったところで、寒冷地でも不満、温暖地でも不満だったら、結局は市民の貢献は得られないだろう。
とするならば、地域事情に応じたきめ細かな高齢者施策が必要であろう。そうすると、私たちに必要なのは分権であるとともに、それぞれの自治体の高齢化率は具体的にどうなのか、そして、その高齢化率に見合った産業政策はどうなのか、住宅政策はどうなのかという視点である。行政ニーズは高齢化率によって、それぞれの自治体で非常に大きな違いがあるということを考えないと、モデルケースに当たる自治体はうまくいくけれども、そうでもない事例ではうまくいかない。とにかく3,260も自治体があるのだから、全国平均で何%という数字と、それぞれの自治体が何%だというのは、ファクツとしてきちっと押さえて議論をしていく必要があるのではないか。14.0%のうち女性が1,000万人で男性が700万人ということになる。そして、女性のほうが平均寿命が長いからこの差はますます広がってゆくと思う。とすると、これからの行政の大きな課題の一つは、シングルの女性の行政需要をどう対応していくかにあると思う。
おそらく今からは、女性の初婚年齢は延びて、晩婚化が進む。そして離婚がだんだんタブー視されなくなって、おそらく離婚が頻繁化していくと思われる。女性のほうが男性よりも長生きをするということを考えると、生まれてから初婚までのシングル、初婚から何度か離婚をして、最後のパートナーと出会うまでのシングル生活、そしてファイナル・パートナーを見つけて結婚生活を送って、パートナーに死なれた後のシングルライフ。女性のシングルライフは非常に長くなると考えられる。今の日本の社会は、男性が一人で楽しむ分には十分に施設はあるかも知れない。ところが女性が安心して日常生活を楽しみ、私生活をエンジョイできるような環境が整備されているかというと、かなり疑わしいものがある。これからの行政のニーズとして、シングルの女性に対してどのような形で環境整備して行くかという行政需要が非常に大きくなっていくだろう。
● 家族愛と地域では支えられない
人口が2011年にピークになって1億3,044万人、高齢化率は2025年に25.8%で3,275万人。さらに1997年、老年人口が年少人口(15歳未満人口)を初めて上回る。年少人口が現在2、254万人だが2000年には1,930万人まで減少する。そして、世帯の規模が現在で既に2.96人となっている。私たちは家族制度がこれだけ音を立てて変わっているということに、まず注目すべきだろうという気がする。われわれのイメージとして持っているプロトタイプの家族というのは、夫婦がいて、子供が2〜3人、そして舅か姑がいるというように描いているが、そんなファミリーは現在の日本にはあまりないといっていいだろう。平均世帯規模は2.96人ということは、夫婦と0.96人の子供がいるだけということになる。実際問題として、東京と横浜市は既に1人世帯と夫婦のみ世帯が全世帯の過半数に達している。その中で私たちは、イメージとしての古い家族制度というものを一体いつまで抱き続けるのだろうか。
福祉の立ち遅れは家族愛で何とかなる、地域社会で何とかなるというようなことは幻想にしか過ぎないということを少し例示する。1人の女性が生涯を通じて産む子供の平均数を合計特殊出生率と言うが、それが1.50ということは、かなり急カーブで人口減社会になっていると考えていいかと思う。
合計特殊出生率1.56という少子化社会は、基本的には長男・長女社会である。つまり、産まれてくる子供はほとんどが長男・長女社会となっていく。日本の社会の伝統的な流れの中で、長男がファミリーネームと先祖伝来の墓と位牌を継承して行くという地域社会が今、確実に音を立てて崩れつつある。今から出会う男女というのは、長男と長女という確率が非常に高くなっていく。実際問題として、われわれの教育の現場に来る学生のほとんどが長男・長女社会の年齢層であるから、多くの問題を抱えている。
次の問題として、夫婦が結婚して合計特殊出生率が1.50であるから、1.50人の子供が産まれる。そして世界最長寿であるから、男も女もご両親が健在という状態になる。結局は夫1人が働いて、あとの6.50人が経済的な支援を受けるという形が続けば、もう男が疲れ切って倒れることは目に見えている。そうすると、妻が働く。妻が働くと何とか生活できるだろうという形になる。
そうするとここで高齢者介護と保育という大きな問題が出てくる。いわゆる日本型福祉構想というのは、公的福祉の立ち遅れは家族愛と地域社会でカバーしろというやり方である。残念ながらスウェーデンの経験から言うと、これは無理である。出生率が1.50の時に、地域社会による互助的な福祉で何とかなるというのは錯覚である。全国に3,260ある地方自治体で高齢化率が全国平均1 4.0%の時でも、一番高齢化率の進んでいる所では42%を超えていて、一番若い所は5%台というようにバラツキがある。一番ボランティアが必要なところにボランティアをやってくれる人材がない。そして、ボランティアをやってくれる人材がいる所には高齢者があまりいない。それを3,260の地方自治体の中でどう調整できるのかということを考えたら、地域社会での助け合いシステムを全国ネットで構築するしかない。
そしてあと1つ、家族愛で補完する政策。これも困難。
いわゆる日本型福祉社会構想は、いざという時には家族愛でというけれども、「家族愛」という言葉を正確に表現しなおせば、家族制度の下で長男の嫁に負担を押しつけ、「できた嫁・孝行息子が公的福祉の立ち遅れを代替する」ということである。全国平均で所帯の平均が2.96人になっている現在、家族愛で何とかなるという日本型福祉社会構想で本当に行けるのだろうかということを真剣に考えておく必要があろうかと思う。
私自身は小さな中央政府、とてつもなくでかい地方政府論者である。そうでなければ、日本が直面するような高齢化社会は残念ながらクリアできないと思う。この現実を超えた段階で、初めて次のステージを考えるべきである。そうでないと、その過程に至る人たち、つまり戦後の経済成長を支えてきた人たちが、今から順番に高齢になって行くのに、その人たちの老後は一番惨めだとしたら、果して次に続く世代が勤労意欲を維持し、納税意欲を維持できるかどうか私は疑問だと思う。
● 新しい哲学
今から順番に団塊の世代が高齢化していくということを考えると、やはり私たちは新しい哲学が必要ではないかと思う。先ほどの問題で言うと、方法論はもうそんなにないと思う。最終的には、家庭生活と地域社会と職場という3つの構成要素をバランスをとって発展させるためには、男性の家庭参加と女性の社会参加を促進していくことが必要となる。つまり、スウェーデンでは、夫も妻も働いて、高齢者介護と保育を公的福祉で回す。そして、男と女が生産の立場に立つ。男と女が自分の財布を持った消費者になり、男と女が納税者になる。そして、納税者を倍増することによって、福祉環境を整備してくださいという発想である。
日本は家庭は女性、職場は男性で、男は長時間労働で2000時間働いて、妻は働きたいのに職場がない。そして妻は不満で、ひたすら夫が収めた税金を配偶者特別控除であるとか、配偶者基礎控除額であるとかということでどんどん回収している。スウェーデンでは、夫婦いずれも働き、所得をあげ、税金を納め、そして、その公的基金で高齢者介護と保育を補っていこうという仕組みを考えた。そういう考え方ができたのは政治や行政に対する基本的な信頼感があるからである。ここが政治改革や行政改革が急がれる理由だと思う。政治や行政に対する基本的な信頼感がなければ、これからの高齢化社会が要求する負担社会というのはクリアできそうもない。
スウェーデンの場合には、全体として女性環境がどう整備されたか、男女の労働環境がどう整備されたかということがポイントになる。そして、その財源はどこかということが大きな問題を生んでいると考えてよいのではないか。日本がそれを今からクリアしていくためには方法論は4つしかないと思う。それは、国内再生産率を高める、つまり女性の出生率を高める。今から高めると、20年後のマンパワーになっていくというのが選択肢の1。選択肢2は、システムの外から労働力を受け入れる、いわゆる外国人労働力の積極的受け入れ。選択肢3、今、働いている労働者に働ける限り働いてもらう。選択肢4、国内にある潜在的労働力を労働市場に参加させる。スウェーデンが1960年代に直面した問題も、やはりこれと同じであった。当時のスウェーデンの女性は子供をあまり産まなかった。また、定年後まで働かくという伝統はスウェーデンにはないから、65歳になれば全員がスバッと仕事を辞める。
たとえば、現在のスウェーデンの政権では、男性閣僚が11名、女性閣僚が11名、男と女が50%ずつ大臣になっているが、大臣の平均年齢は47.7歳で、年齢構成は60代1名、50代10名、40代8名、30代3名で、30歳、40歳の大臣が閣僚の大半を占めている。そして、カールソン首相は59歳、現在のスウェーデンの政局の中心と言われている副総理のモナサリンが37歳、これがスウェーデンの現実である。
そうすると、先ほど述べたように、死ぬまで働くという伝統はスウェーデンにはないから、方法論は2つで、その1つはシステムの外から労働力を調達する。そのためにスウェ−デンは現在、全人口の9%が外国にルーツを持つ市民である。その人たちに対してどのような政策が行われているのかは後で紹介する。2つ目は、国内の潜在的労働力を掘り起こして、労働市場に参加してもらう。女性の社会参加を促進する。スウェーデンが60年代にとった政策はこの2つであった。それが結果として、1990年代になって、スウェーデンの合計特殊出生率が上向き反転になったということにつながっている。
● 根底にある高い投票率
スウェーデンの女性の環境はどの程度のものかということを一部紹介したい。先ほど述べたように、現在、スウェーデンの国会は40.4%が女性議員で、第1党である社民党は47.8%が女性、つまり政権政党は2人に1人が女性議員である。そして大臣は50.0%が女性大臣となっている。この背景には86.83%という投票率がある。
おそらく選挙が任意の自由制の国で、20世紀後半、86.8%もの投票率が実現している国はスウェーデンだけだろう。なぜスウェーデンでそんなに投票率が高いのか。別に難しい問題ではないと思う。福祉国家は暇でやる事がないからどんなイベントでも参加するという、参加型社会の典型というのが1つ。もう1つは税金が高いから無関心でいられないというのもあるだろう。しかし、第3番目の理由は、スウェーデン型の社会では、行政の方が市民のニーズに応じて、市民のサイドに歩んで来る。
日本では、自宅に投票所入場券が来て、何月何日何時何分から何時何分までここに来なさい。その人だけ選挙権を行使してよろしいというやり方になっている。つまり、市民のニーズに合わせるどころか、行政のニーズに市民の私生活を変えて来なさいというやり方だが、スウェーデンは逆に、全国どこでも近くの郵便局で投票してくださいというやり方をとっている。わざわざ投票のためにプライベートな生活を変える必要はない。投票そのものは2週間以上前から始まるから、2週間前以上前に全国どこにいても投票に参加できる、これがポイントであると思う。刑務所にいる人、長期療養病院にいる人、老人ホームにいる人は、郵便局が刑務所、病院、老人ホームに出張所を前の日曜日に開いてくれる。つまり、行政が市民のサイドに歩いて行って、どうぞという形になっている。
外国に住んでいるスウェーデン人は、スウェーデンの大使館、公使館で投票できる。その時に飛行機で旅行している人は、出発地か寄港地の大使館で投票できる。たまたまその日に船で旅行している人は船長立会いで投票ができ、最寄りの寄港地で大使館を通じて本国に郵送される。行政が市民に近寄っていくやり方、これがスウェーデン的な権利概念である。権利を与えるということは、その権利を行使する物理的環境を整備することも、権利を与えるということの一環になっている。日本的な考え方では、権利は与えるが、それを行使するかどうかは本人の自由であるというやり方である。
スウェーデンと日本の選挙制度の違いは、まず選挙権が18歳、被選挙権も18歳で、年齢格差は一切ない。外国に住むスウェーデン人も投票できるし、国内に住む外国人も地方選挙に参加できると言えば、日本のデモクラシーとちょっと違うことはおわかりだろうと思う。日本は選挙権年齢が20歳、被選挙権が25歳と30歳になっている。なぜ選挙権年齢と被選挙権年齢に5歳の格差があるのか。5年経てば政治的に成熟するということが科学的に検証できるのであれば選挙は不必要である。国勢調査をして、最高年齢者を総理にすればよい。どうも科学的根拠に馴染まない。スウェーデンは科学的根拠に馴染まないことはやらないという国民性である。だから選挙権年齢も18歳、被選挙権年齢も18歳ということで、珍しい国だと思う。
スウェーデンでは合理的根拠のないことをやっていると有権者が税金を払わないから、基本的に合理的根拠のないことはやらない。日本でなかなか改革が進まなかったのは、納税者意識が非常に希薄だったからではないか。やはり政治も行政も、自分たちとあまり関係のないものという意識が強かったのではないかという気がする。
● スウェーデンの女性環境
スウェーデンの女性環境で一番よく言われるのは、スウェーデンの女性の社会参加は逆U字型を書く。どの年齢層をとっても、女性は働き続けている。スウェーデンにおける労働市場に占める女性比率は48%で、16歳から64歳までの女性の82%が大体、労働市場にある。義務教育を終わって年金を貰うまでの年齢層の82%が働いているということは、女性が全員働いているということになる。原則として、成人男女がすべて働くということを前提に成り立つ仕組みを作っている。男も女も同じように働いて、税金を納めて、納めた税金で福祉環境を整備している。
日本の女性には結婚ハードル、出産ハードル、育児ハードル、高齢者介護ハードルがある。これらは非常にハードなハードルである。現在、来年4月新卒の大学生たちが会社回りをしているが、どこの大学でもきっとそうだと思われるが、成績のいいのは女子学生である。成績のいい女子学生が就職できずに、成績がほどほどの男が就職できるというのは、社会全体として見たら随分資源を無駄に使っているような気がする。成績のいい女子学生が会社訪問をする。「結婚したら会社を辞めますか」と、漠然と聞かれる。女性だけでは結婚できないのだから、聞くなら男子学生にも聞くべきだ。どういうわけた女子学生にしか聞いていない。これは残念である。あわよく入社しても、出産ハードル、育児ハードルがある。「お子さんが生まれたら会社をやめますか」と、やはり女子社員にしか聞かない。女子社員だけでは子供は産まれないのだから男子社員にも聞くべきである。「出産おめでとう。会社やめる?」と。育児ハードルも同じことが言える。「えっ、2人目が産まれて、そろそろ上の子は幼稚園。育児がたいへんでしょう。会社辞める?」、やはり女子社員にしか聞いていない。そして最近深刻なのは、高齢者介護ハードルである。男の両親寝たきりになっても、「僕が会社を辞める。君は会社を辞めないで働いてくれ」という男性はあまりいない。ほとんどの男性は、自分の両親が寝たきりになっても、世間体があるから、「君、会社やめてくれる?」と妻に要求する。男性は100mの直線距離を走って、隣には4つのハードルつきの100mを用意して女性に走らせ、結果が出てから、「いや、女性はビジネスに向いていない」というのはちょっと話が違うだろう。 結婚ハードル、出産ハードル、育児ハードル、高齢者介護ハードルを取ろうとした施策が、
@ 妊娠中の部署異動申告制度
A 450日間の出産育児休暇
B 児童看護休暇制度
C 労働時間選択制度
D 保育所の整備
E 姓の継続・選択制度
F 同棲法
G 離婚自己決定権
H 出産・中絶自己決定権
I 男女機会均等オンブスマン
J 労働経験大学入学制度
K 学生ローン制度
L 教育休暇制度
で、これがスウェーデンの女性環境である。
時間がないので詳しくは本を読んでいただくとして、大体、どういうことかというと、スウェーデンでは、女性は妊娠に気づくと、胎児もしくは母体に危険だと思われる部署に就いている人は、胎児もしくは母体に安全な場所に移してくれるように申告できる。そして、職場内で安全な場所を見つけることができない時には、妊婦は出産前の10日前は自動的に休めるので、出産予定日の10日前の50日前、つまり合計60日前から会社を休むことができ、また所得保障が90%出る。これで安心して妊娠し、出産できる。出産の費用はタダである。スウェーデンで子供を産む時には、下着から何から全部給付されるので、歯ブラシ1本だけ持っていけばよいことになっている。使いなれた歯ブラシでなくても通常の歯ブラシでも違和感なく使える人は、もちろん手ぶらで入院すればよい。そして、もちろんその子供の両親がどういう法的関係にあるかということは一切問われない。同棲法というのがあって、スウェーデンは結婚と同棲がほとんど違いのないものになっている。過去10年間、生まれてくる子供の50%が婚外子、50%が婚内子である。つまり、親の法的関係がどうであれ、それが子供の人生を左右してはならないという哲学の社会づくりである。過去10年間で言うと、婚外子のほうが多い年が2年間あった。
出産すると、450日間出産育児休暇を取ることができる。スウェーデンのシステムは全部男女どちらでもということになっている。そして、最初の360日間は現在は所得保障が80%で、1年終わると、保育所の整備があるので、保育所に子供を預けて働き始める。子供が小さいために病気になることもあるが、児童看護休暇制度があるので、子供が12歳になるまで年間60日間は子供を看護すのために会社を休める。したがって、1歳保育で始めても病気になれば十分看護できる。
それでもまだうちの子供は病気がちという時には労働時間選択制度があって、幼児を持つ親が労働時間を4分の1短縮して8時間労働を6時間労働に、つまり、2時間遅く会社に行っても、2時間早く会社を退けても、それを理由に解雇してはならないことになっている。これで安心して男も女も子供を産めるシステムになっている。
もちろん女性の環境をこれだけ整備するためには、全体としての女性労働力を受け入れるための仕組みが必要である。これが日本の新聞で「福祉をやり過ぎたために経済ががたがたとなった」と言われているスウェーデンの実際の労働環境である。
● パラダイスに一番近い労働者
経済がガタガタになったと言われている国の労働者がこんな生活をしていると嫌になる。現在、日本の年休消化平均がが8.5日、消化率が52.5%となっている。年休そのものが短いのに、消化率が52.5%で、その中から半分を会社への忠誠を誓うために返上している国である。まさに「働かぬ者休むべからず」どころか「働いても休むべからず」で、なかなか年休100%は取れない。スウェーデンは逆である。休まぬ者働くべからず。まず最初に休みのことを年間スケジュールに入れてから、今年はどういうふうに働こうかと考える。
それは家事、育児、労働を男女が分担できる環境を作って女性の社会参加を促進し、1世帯当たり労働時間を増やそうという戦略になっているから、
@ スウェーデンの労働時間は基本的には短い。法定労働時間は1808時間であるが、団体協約で、大体1500時間。
A 長い有給休暇と完全消化で、最低年間5週間で100%を消化している。
B 労働経験大学入学制度
C 教育休暇制度
D 余暇環境の整備
E 職場環境交渉権
F 雇用安定法
G 労使共同決定法
H 安心できる失業生活
I 幼児を持つ親の労働時間選択制度
J ビッグ・アンド・ストロング労働組合
以上がスウェーデンの大体の労働環境である。
こうした労働時間システムの中では、日本のように労働時間は2000時間、タックスペイヤーは1人。それで男が疲れて、女性が不満というシステムを作るか、スウェーデンのように2人で働いて、タックスペイヤーも2人にするかという話になる。よくスウェーデンの人たちは、私たちは日本の人たちよりも勤勉であると言う。日本の人は長時間と言っても、それは片方が働いているだけで、もう1人は片方が納めた税金を一所懸命回収しているのではないか。だが、私たちは2人で合計3000時間働いて、しかも夫婦ともが確定申告をし、2人のタックスペイヤーがいるんだと言っている。そのどちらがいいか、これは選択だろうと思う。この仕組みが嫌な場合には、長男と結婚した嫁がすべてを支える。しかし、おそらくこれから新しい恋愛の形態、新しい結婚の形態、新しい家族の形態が生まれてくるのではないかと思う。
● 在住外国人の環境
それとともに、どうしても付け加えておかなねばならないことは、スウェーデンの社会を考える時に、外国人労働力の受け入れの問題がある。現在のスウェーデンの在住外国人環境は、
@ 住宅・教育・社会保障ではスウェーデン人と同一権利
A 連帯賃金制(同一労働・同一賃金)と労働訓練
B 複数言語による情報提供
C 通訳使用申請権
D スウェーデン語学習機会
E 母国語学習機会
F 地方選挙権・被選挙権
G 国民投票権
H 地方公務員就職権
I 民族差別オンブズマン
現在、スウェーデンは全国民の9%、日本に当てはめれば、1,100万人が在住外国人である。日本はその9分の1、約1%にすぎない。わずか1%でも、残念ながらスウェーデンが持っている@からIまでの制度のどれ一つとしてもっていない。
経済大国の論理と生活大国の論理にはさまざな違いがあると思うが、ただ、世界のGNPの15%を寡占している国だったら、それにふさわしい国内整備があっていいのではないかという気がする。それは在住外国人環境もそうである。これは内なる国際化である。
では外なる国際化はどうか。日本のODAは世界最高であるが、しかし、対GNP比率は0.32%に過ぎない。スウェーデンはGNPの0.9%をODAに回している。1人当たりで日本の2.8倍になる。経済が破産状態でも、対外債務を増やしてでもODAを減らさなかった。ODAも、やはり継続は力である。景気の変動によってODAが大小したら、それを受け取る側にとっては計画経済ができない。スウェーデンのように、経済が不如意の時も対外債務を増やしてでもODAは0.9%の枠を守ったということが、そういう国々に感動を与える。それが結果として、国際世論市場で非常に好感度の高い国づくりに成功していると考えると、内なる国際化とは何をすることか。そして、外に対する国際化はどうあるべきかということで少し考えてみる余地があるのではないか。
● スウェーデン経済の経験
こうした福祉環境を整備するためには、当然のことながら膨大な費用を必要とする。ヨーロッパでも最も貧しい農業国家を、世界でも最も豊かな福祉工業国家に変身させた理由として@からGまでが指摘できる。
@鉄道建設による資源移動策−消費市場に接近できた。
A次第に活用された豊富な資源−鉄鉱石、水、パルプ、木材
B高い科学技術水準と先端技術開発力
C平和の伝統−参戦国への物資補給と戦後復興資源の輸出、社会資本への投資完了、
政治への基本的信頼、これが高負担政策の受容になっている。
D教育環境の整備−質の高い労働力の安定供給に成功
E長期政権による政策の継続性−1932年から1976年までの44年間社民党 政権が続いた。社民党長期政権のもとで福祉政策の継続性が維持できたと考えてい いかと思う。
F社民・LOの複合体でプラグマティックなリーダーが生まれた。平和的・協調的な 労働市場が生まれた。産業構造の転換・積極的な産業育成政策が実行できた。そし てこれからの日本の大きな課題だと思うが、賃金自己抑制と物価凍結令を頻繁に利 用できた。
1970年代のスウェーデンの企業が経験したことを、おそらくこれからの日本企業が経験すると思う。労働賃金が非常に高すぎるということ。そして日本の通貨が非常に強すぎるということ。そして、物価が非常に高いこと。スウェーデンは長期低迷を続けてきたけれども、1995年になって、スウェーデンの企業は創立以来最大の利潤を上げる企業が相次いでいる。賃金の抑制に成功したことと、通貨の切下げに成功したこと。そして物価凍結に成功したというだけの話である。
私が初めてスウェーデンに行った時の1クローナが78円だったが、今、1クローナが13円である。その頃360円だったドルが今85円になっているが、それに比べクローナははるかに通貨の価値を下落させている。それによって国際競争力を維持するしかない。そういうことができたのは、スウェーデンの場合、労働組合は結成以来、歴史の大半が政権政党の支持基盤であった。そして、労働者の力を背景にした社民党が政権政党であったために、社民が政権をとり、労働組合がそれを支援するという形で政権が続いている限りにおいては、産業構造の変換であるとか、賃金の抑制、物価統制などということは、政権政党の立場としてできた。
しかし、1970年から20年かかってスウェーデンがなし遂げた物価凍結、賃金の抑制、そして通貨の切り下げという戦略を、今からの日本は本当にやっていけるのだろうか。おそらく日本の企業の国際競争力はますます低下していくだろうと予測がつく。1970年代のスウェーデンの工業製品がそうであった。税金が高い、物価が高い国というイメージを払拭するために25年ぐらいかかったと言える。おそらく今からの日本は、べらぼうに高いレーバーコストとべらぼうに強い通貨のために産業界が本当に苦悩して行くのだろうと考える。それは70年代のスウェーデンの企業が経験したのと同じことである。
そして最後に、
G国際政治からの挑戦、つまり危機の存在が平和国家の経済財になったということ。
この@からGまでが、ヨーロッパでも最も貧しい農業国家のスウェーデンを、世界でも最も豊かな福祉工業国家に変えた理由だと思う。
そして、70年代から
@ テクノロジー特権の崩壊
A 輸送技術の飛躍的発達
B 石油ショック
C 平和の継続
D 膨張主義経済政策
E 国際競争力低下と整備投資立ち遅れの悪循環
F 福祉病
と言われるものがスウェーデン経済を襲った。そしてそれ以来、日本でスウェーデンのことを議論する時に出でくる批判の定番、質問の定番は大体次の@からIまでである。
@ 過剰福祉は競争原理を否定する傾向があるので、国際市場での競争力が低下する
A 官僚機構が超肥大化し、息詰まるような官僚主義がはびこる。
B 過剰福祉が勤労意欲を低下させ、貯蓄意欲をそぐ。
C 高負担政策のため、企業から企業経営意欲を奪い、企業の国外脱出を加速する。
D 平等主義の徹底はサービスの画一化につながりやすい。
E 平等なサービスを提供するために、国民総背番号制度などが導入され、それが管 理社会化を促進している。
F パブリックセクターの超肥大がサービス精神を低下させている。また、民間 活力が低下する。
G 過剰福祉で青年層に倦怠感が拡散し、やる気を失った青年は麻薬乱用に走った り、アルコール依存症になるかもしれない。自殺も多くなる。
H 重税政策は地下経済を繁殖させる。
I 高負担のために青年の国外流出が止まらない。
これらの批判については、部分的には当たっているが、多くは誤解が多いと思う。
やはり基本的には、戦後日本の経済というのは、スウェーデン型福祉体制というのは好きではなかったのだろうという気がしている。その1つの背景は、やはり税制の問題だろうと思う。
● スウェーデンの税制
パブリックセクターの規模をみると、日本が対GNP比率で30.4%に対してスウェーデンが63.4%、OECDの平均が41.4%で、EU加盟国は48.6%であるから、スウェーデンのパブリックセクターがいかに巨大であるかということは大体わかると思う。
マンパワーで言うと、大体32%がパプリックセクターになっている。残り66%から67%がプライベートセクターで、2人の民間労働者が1人の公務員を支えるという形をとっているから、パブリックセクターの肥大ぶりは否定できないものがある。その多くは地方自治体である。スウェーデン型福祉政策というのは基本的には、大きな地方政府という政策だと考えていい。
それを税制構造から言うと、原則として年収18万クローナ以下の人は所得税は地方税しか払わなくて済んでいる。年収18万クローナ以上の人だけが地方税30%に、国の所得税20%を払い、合計50%を払っている。すべての給与生活者の85%〜90%は、所得税は地方税しか払っていない。そして、残りの10%〜15%の人々だけが地方所得税30%に国の所得税20%、合計50%を払っている。明らかに所得税は地方税主体の税制になっている。これが日本の分権化とスウェーデンの分権化の大きな違いである。スウェーデンは常に財源論とワンセットで政策を提言するようになっている。そのために地方分権の場合でも、所得税に関しては、今は地方税主体の税制になっている。
スウェーデンの税金はどの程度かといえば、年収が17万クローネの労働者の場合、ー1クローナが13円ぐらいだから、約220万円になるが、ースウェーデンでは平均よりやや上というあたりになる。これがスウェーデンが社民党長期政権の中で実質賃金の抑制に成功したということと、通貨の切り下げに成功したことの何よりのあかしである。
これが数年前の話であると、この同じ数字が一気に何百万という数字になっていたわけだが、その頃スウェーデンの製品なんて高くて買えなかった。
ところが面白いことに、スウェーデンに行っている日本からの留学生が、「先生、2年前に買った本をいま買えば2分の1になる」と、そんな話ばかりになる。それはまさに通貨の切り下げと物価の凍結を強引にやってきたことのあかしだということになる。だからその結果として、1クローナが70円の時だったら、17万×70だから、わあ、スウェーデンの労働者は随分いいのだなとなっていたが、今、通貨の切り下げに成功したということと、賃金の抑制に成功したために、日本から見ると、17万クローナで平均よりやや上で、「わあ安いな。これならスウェーデンに工場をつくってもいいな」。こういう国際世論を作っていくための戦略だったと考えればいい。
年収が17万クローナの人は国の所得税は原則として払わないが、地方所得税が48,170クローナ、さらに28,800クローナがさまざまな間接税、そして3,420クローナが疾病保険・失業保険の自己負担分、国の所得税が100クローナとなっている。先ほど述べたように年収18万クローナ以下の人は原則としては国の所得税は払わない。この人は年収17万クローナだから国の所得税は払わないで、基礎額としての100クローナだけ払う。
この保険の自己負担分が、EUに加盟してスウェーデンが大きく福祉政策を転換したと言われている部分である。今まではすべて経営者が負担していたが、このまま現在のスウェーデンの企業体質を持ってEUに入ったら、結局、スウェーデン企業は国際競争力をなくすではないか。少なくとも福祉についてはある程度受益者負担にしてほしいというのが保守政党の要求であった。そのためにこの数年間、労働者の受益者負担分が増えた。かつてはこれは0に近かったが、今は3,420クローナ近くに増えた。それはEU加盟に伴って、スウェーデン企業が国際競争力を維持するための政策だったわけである。
そうすると年収17万クローナの人の可処分所得はこれら負担を全部差し引くと89,610クローナで、円に換算すると100万円ちょっとということになる。それでなぜあのような生活ができるのか。
ちなみに、今、スウェーデンの大学に留学している日本人学生が住んでいる部屋が37.6uで2,200クローナ、約25,000円ぐらい。日本ならワンルームの部屋代ぐらいにしかならない8万円で、スウェーデンではドミトリーの費用を全部入れても1ヵ月生活できる。もちろん授業料は大学院までタダである。
さらに17万クローナの労働者を1人雇うためには約38%の福祉負担金を経営者が負担する。それが53,310クローナである。経営者にしてみると、17万クローナの労働者を雇うためには、170,000+53,310クローナ、合計223,310クローナ準備しなければならない。223,310クローナ用意して、17万クローナの労働者を1人雇っても、その労働者の手に残るのは89,610クローナだから、実質の負担は60%ということになる。年収220万円ぐらいの人に、実質負担が60%で、やはり、税金の高い国である。そして、残った89,610クローナで物を買うたびに25%の間接税を払っている。
スウェーデンの場合、1960年に間接税を4.2 %で入れた。その時のスウェーデンの高齢化率というのはちょうど14%であった。それから28年たって、日本の高齢化率は13%を超えた時に、日本が3%の消費税を入れた。スウェーデンは間接税が10%になるのに約6〜7年かかった。そして、この6年かかったこの頃から、スウェーデンの政治が大きく変わって、女性の政治参加が加速度的に進んだ。そして今、女性の政治参加が進み、40.4%が女性議員の国になった。
スウェーデンの間接税は大体6年で10%になって、現在は25%になっている。スウェーデン型のシステムというのは、どうみても負担の大きいところである。そうするとなぜスウェーデン人がこんな負担に耐えているのかという問題が最後に残る。答えは幾つかある。1番大きな理由は、スウェーデンが180年間戦争をしなかったことだろうと思う。人生の若い段階で負担をしても、人生のどこかで確実に回収できるという手応えがある。ところが日本は、スウェーデンが180年間戦争をしない間に何度か戦争をした。50年前の記憶が、まだわれわれの親から伝わっている。スウェーデンのやり方というのは、国内マーケットが小さいから、1人1人の市民が集めた金を、国か地方自治体が運用してくださいということで、財布ごと集める国だと思う。そのために教育とか福祉は原則として無料でいこうとなった。日本の政治や行政はそれほど信用できないから、懐に財布を入れて、サービスを受けるたびに料金を払いますよという制度である。これはもう政治と行政に対する哲学の違いであると思う。
● デモクラシーの強さ
スウェーデン国民はヨーロッパでも一番貧しいと言われた農業国家であった。そういう国が豊かになるための方法は、今あるものを無駄に使わないこと。そして、少しずつみんながお金を出し合って社会財を作ること。それが平和の継続と行政が中心の国家づくりになったのであるが、その背景にあったのは、長期にわたる平和の継続であった。
そして2番目にあるのは、行政が行政サービスを目に見える形で市民に提示することだと思う。スウェーデンのデモクラシーの強さは情報公開の徹底さにある。これは驚くほどである。
日本の場合には、課長さん、係長さんの引き出しの中に「取扱注意」印がバーンと押してしまいこんであるから年休が取れない。スウェーデンは組織内情報公開が進んでいるから、みんな遠慮する必要なく休暇が取れる。私が休暇中に何かあったら、ファイルNo何番は何々という一覧表を作ってあるから、誰でも自由に開けることができる。
具体的な形で言うと、行政サービスを市民の目に見える形で提示するということがスウェーデン的な行政のうまさである。たとえば、ストックホルムの駅の前、日本で言うと東京駅の前の八重洲口のど真ん中に高齢者センターがあったりする。日本だったら、そんなに地価の高い所はビジネス用地として使って利潤を上げればいいじゃないか。そして、老人センターは土地の安い郊外に作ればいいではないかという発想になる。この辺が行政の哲学の違いであると思う。
スウェーデンに行って市バスがお辞儀をすることにもびっくりするけれども、何よりもびっくりするのは、福祉サービスが市民の目に見えるど真ん中に置いてあるということ。そうすれば、自分たちは負担は大変だが、いざとなればこういう施設を利用できるんだという手応えができる。行政は信頼を得ている。
行政改革するということは、何も規模を小さくすることではないと思う。問題は、合理的な判断能力を持つ市民が、自分の提供する負担に見合うだけの行政サービスを受けられるんだという、負担とサービスのバランスをどう適正化していくかということが改革のポイントだろう。負担に見合う、目に見えるサービスをどう提供して行くかということが、これからの日本の高齢化社会を考えると、行政にとって重要な意味を持つのではないかという気がする。
− 了 −
http://www.mmjp.or.jp/gyoukaku/toron/199508.htm
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