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●Wikipedia の「卍」に関する記事(http://ja.wikipedia.org/wiki/卍)は基本的な部分で同意できないので、その理由を書いておきたい。
この記事では「卍」と「逆卍」をそれぞれ「左卍」「右卍」と呼び、その回転方向も「左卍」を「左回転」、「右卍」を「右回転」としている。
「卍」 =「左卍」=「左回転」=死・破壊
「逆卍」=「右卍」=「右回転」=生・創造
だが仏教のシンボルでもある「卍」は、「右回転=太陽の回転方向」を表しているのであってその逆ではないと言うのが私の見解である。
そもそも「卍」は回転方向の図匠ではない。
その図匠は「構造体」をシンボライズしているのであり、形象における「構造体」としての「卍」は、その自然界における理の必然として常に「右回転」する特性を持つ。
それ故に、この記事中「左卍」と呼称する本来の「卍」こそが「右回転」を表す「生・創造」のシンボルとして利用されてきたのである。
と言うのが私の主張するところである。
●「卍」がその構造上、何故「右回転」する特性を持つのかは以下の図絵を参照して欲しい。
北 上
↓ ↓
西→卍←東 左→卍←右
↑ ↑
南 下
「卍」を「水車」として理解すれば分かり易いと思う。
上から雨が降ってくるか、滝の水が流れ落ちてくれば、「正卍」は右に、「逆卍」は左に回転しはじめると言う、実に簡単な理屈がすべてである。
「卍」は本来4枚羽だが、ここでは2枚羽で簡略化して考察しよう。
「卍」が4枚羽で表されているのは、「風」や「水流」が「東西南北」、または「上下左右」の4つの方向性をもつからである。
◆西(左)からの「風」や「水流」の場合
→ → → ━┓ 内向きの爪
→ → → ┃
→ → → ◎ 支点
→ → → ┃
→ → → ┗━ 外向きの爪
→ → → →━┓→ 右回転の力が発生
→ → → →↑┃
→ → → → ◎ 支点
→ → → →↓┃
→ → → →↓┗━
左回転の力は囲いが無いため外へ逃げる
◆東(右)からの「風」や「水流」の場合
━┓ ←
┃ ←
支点 ◎ ←
┃ ←
┗━ ←
外へ逃げる(左回転の力は弱い)
━┓↑
┃↑
支点 ◎←
┃↓ 囲いの中で渦巻く
右回転の力 ←┗━
◆右モーメントの発生状況
支点 ◎↓←
┃↓ ←
┃↓←↑←
右回転の力 ←┃↓→↑ ← 左巻きの渦
←←┗━━━
●「東西南北」、または「上下左右」の4方向から来る「風」や「水」に対して、「卍」は「内向きの爪(コ型の囲い)」の中に「左巻きの渦」を形成しながら、「右回転の力」を得て、常に太陽の回転方向に回る「構造体の図象」なのである。
「風」の方向は時間とともに変化するが、「卍」はいかなる方位からの「風」も「コ型の囲い」の中にその外力を閉じ込め、右方向への回転力に変えて加速度的に回転してゆく。
もちろん「外向きの爪」にだけ突風が当たれば「卍」と言えども左へ回転するが、回転軸に対し左右均等な「風」や「水」が流れつづける限り、逆回転のモーメントが優勢を保ち続けることはなく、「卍」はいずれ「右回転」へと方向を変える。
反対に「逆卍」はこの原理に基づき、必然的に「左回転」する「構造体の図象」なのである。
よって正しい定義は次のようなものとなる。
「卍」 =「右回転」=生・創造 ・・・よって「右卍」と呼ぶべき?
「逆卍」=「左回転」=死・破壊 ・・・よって「左卍」と呼ぶべき?
私自身は「右卍」「左卍」の呼称の由来(定義)を知らないので何とも言えないが、少なくとも回転方向を表すのが定義だとすれば、この記事中いわゆる「左卍」と呼称された仏教本来の「卍」こそ、「右卍」と呼ばれるのが筋であろうと思う。
以上の「卍」に関する概説は単なる私の創作ではなく、立ち読みで済ませたオカルト本(買うほどの古本でもなかった)にも同様の「図象」があったので、私見での解釈を加えてこれを正論として紹介したものである。
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