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演劇人大田省吾さんが7月13日亡くなった
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投稿者 愚民党 日時 2007 年 8 月 01 日 00:49:52: ogcGl0q1DMbpk
 

太田省吾

70年代からの前衛演劇人大田省吾さんが7月13日亡くなった。67歳。
60歳代でまだ早い死である。

1993年藤沢湘南台市民シアターで【砂の駅】をみた。
美術は現代美術家の遠藤利克さんだった。

そのとき演劇観戦のテキストを書いた。そのテキストを読もうと90年代前半のパソコンを起動させたが
そのノートパソコンに近い東芝J−3100はモニターが壊れ、読めなかった。

舞台前には遠藤利克さんの鋼鉄の円プール、ブールのなかには20世紀の砂
砂は舞台奥まで広がっていた。

沈黙劇が始まった・・・

沈黙の現代演劇と現代美術の舞台だった。たが登場人物の身体はあった。

俳優の所作と動線がドラマルルギーを生成するのだが、それは舞踏でもなかった。
ドラマは俳優と俳優の身体空間と距離にあった。
観客に距離を示すのは俳優である。

ドイツ人の俳優がジーンズのポケットに手をいれ、舞台奥から観客席を見つめるとき
それは20世紀の黄昏だと思った。
20世紀は砂の孤独を踏む沈黙劇、それが大田省吾による20世紀演劇の精神史だったのか?

90年代は「新しい中世のはじまり」というコンセプトをもった自分は
ひたすら90年代後半、「寺院境内の演劇」をめざしてきた。

日本芸能の強さは「静かなるもの」である。
その「静かなる」ものの中に孕む緊張度の暴走たるドラマツルギーは「能」に集約される。

西欧演劇は「セリフ」かもしれないが
日本演劇は俳優の静かなる所作である。その所作こそ日本演劇の「劇的狂気」でもある。

大田省吾とは立場が違い、大田省吾が藤沢湘南台市民シアターの舞台監督ならびに
藤沢市の芸術参与であったころ、自分にとって大田省吾はモダニストとして写った。
自分は大田省吾が「近代から中世まで何故、落下しないのか」不思議だった。

90年代は「むきだしの乱世である中世が襲い掛かっていた」
そのなかで「近代的自我」は、ボロボロに破綻するしかなかった・・・
文学的な美はすでに「現場生成」にしか残存していなかった・・・

すでに舞台のドラマツルギーと文学そして記憶は「現場生成」にしか残存していない。
全ては人間の情念もフラット化(更地)にされていくばかりである。
舞台は夢のエネルギーだが、この21世紀、夢も消却されている。

世間様は夢をみない、あるいは夢をみたとしても電磁波ですぐさま消却される
ヒューマノイドあるいはクローン人間ばかりの超管理社会になってきた・・・
これが「フラット化される世界」であろう・・・

21世紀に日本芸能は生存していけるのだろうか・・・
テレビでは吉本芸人どもが今日も笑っているばかり・・・

人間の日常身体所作に注目した大田省吾の演劇論は誰に読まれていくのだろうか・・・

「表現は砂の孤独を踏んで更地から出発するしかない」
これが芸術家であった大田省吾の遺言であろう・・・

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