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「弱いってことは、強いってことじゃないかしら」宮城まり子 ―― ねむの木学園校長、女優・歌手
【日経ビジネス】2007年7月26日 木曜日 大熊 文子
NBオンライン: 団塊の世代は、退職後の身の振り方に悩んでいます。仕事をしたいけれど、働き口があるか、というのが心配の最たるものです。
宮城: ねむの木でも、人を募集することがあります。重視するのは、その人その人のお人柄。でもね、いろんな人と仕事をしてみると、世代ごとの特徴があるって気づく。60歳以上の人は体力が許すならとっても安心です。45歳以上の人も採用したい。
仕事を任され始めた30歳前半の人と一緒に仕事をして感じるのは、「自分がすべてをやったように考えているみたい」ってこと。手柄を立てないといけないと思っているみたい。男性よりも女性に強く感じちゃうんだけど、そうしないと評価されないのかしら。世の中そんなに競争ばかりなの? そういう人ってなんだが厚かましくみえちゃったりするなぁ。
30歳より年の若い人は、言葉が少ないのが気になる。「そう思います」、「違います」って自分の意見を話したがらない。そんなふうに、感じませんか?
はっきり「こうするのがいいと思います」って言っちゃったら、自分の責任になって自分の点数にかかわってくるとか、失敗は絶対にダメと思っているから言葉がなくなるんでしょ。「あの時は、大丈夫だって言いましたけど、よく考えたらできません」って素直に言える環境が欲しいな。
それにしっかり考えて、努力して、それで失敗したなら上の人は「言っていた通りには上手くいなかったな。今回のことは勉強になったか? こうした方がよかっただろう」というふうに、失敗からしっかりと学ばせて、その後は許してあげなきゃ。そうすれば、お互いがレベルアップしていくのにね。そうやって、下の人を励ましながら育ててきた人なら私は、一緒に働きたいわ。
団塊の世代の方は、60歳になるまで一生懸命仕事をしてきたんでしょ。経験を積んできたのよね。今までと、同じ仕事はみつからないかもしれないけど、お仕事を通してお勉強して伸ばしてきたところが生かせるような職場はきっとあるはず。銀行にお勤めだった人と、メーカーにお勤めだった人では、やっぱり雰囲気が違っていて、その人なりの歴史があるんだから、それを大切にすべきよ。
「あなたに読んでほしい」吉行作品を短編集に
―― まり子さんがお選びになった吉行淳之介さんの短編集が発売されますね。
宮城: 7月26日は、淳之介さんのお命日。13年前、「著作権の2分の1をまり子に贈与する」と遺言を残して淳之介さんは旅立っていきました。
その後、私自身もがんの告知を受け、抗がん剤治療をして、病気のことが落ち着いた後は休む間もなくすぐに仕事に戻って、本当に目が回るほど忙しい。そんな中、ねむの木設立40年記念イベントの構想を練りながら、発行の準備をし始めたんですけど、しんどかった。
280ある吉行さんの作品を、忘れないようにいつも読み返しているんです。でも単行本に収める13編だけに絞るとなると大仕事。だって吉行さんの小説はどれをとってもとってもいいんだもの。
今年の3月に26作品まで絞ったらその後、削れなくなちゃって、やっとの思いで、それこそ血を流すような思いで、13編にした。『宮城まり子が選ぶ 吉行淳之介短編集』に収録したのは「私の大好きな作品を、あなたに読んでほしいな」ってそんな気持ちがこもったものばかり。
冒頭に収録したのは、『驟雨』。この作品は、私たちが出会う前に書かれたもの。芥川賞を受賞して、淳之介さんが作家一本でやっていくって決意した記念すべき作品です。
今回短編に絞ったのは、吉行さんを知らない若い読者が、まず短編に触れて、そこから長編やエッセイなどに手を伸ばしていってもらうように。
赤い装丁にしたのは、「素敵なご本ね」と言いながら、女性が手にとるように。淳ちゃんはたくさんの女性にモテたほうがいいのよ。
作品を選ばせていただいたのは、嬉しいのと同時にとっても怖い感じ。
私は、一つ屋根の下に住んで妻と同じように過ごしてはいましたけど、妻ではないでしょ。恋人で一生終わった私がこんなことをしてもいいのかな、思い上がりじゃないかな、という思いが心にひっかかっている。
でも、吉行淳之介の作品はずっと生き続けてほしいし、私には吉行淳之介という作家の素晴らしさを伝える責任がある。
この本のなかには恋愛小説がいくつも入っています。吉行淳之介は小説家であって、私小説家ではありません。だから、私と淳ちゃんのことを書いたんじゃないんですよ。このことは念のために。
いなくなって13年たっても、私は吉行淳之介さんを愛しているのよ。私は淳之介さんの存在を常に感じていたいの。この本は淳ちゃんへの愛のかたまり。
まだ、良い作品がいっぱいある。だから、もう続編の計画もしているの。
ねむの木の子どもたちを愛しているの
―― ねむの木は今年、創立40周年。40年もの間、学校を存続、発展させてきた経営手腕は素晴らしいものですね。
宮城: 私は経営するなんて感覚は全然なかった。ただ、日本で初めての肢体不自由児のための養護学校、ねむの木をやっていくには、どうすればいいんだろうと、それだけでやってきた。考えてみれば、それが経営ってことだったのよね。
大変なことはたくさんあって、何度やめようと思ったことか、何度もう駄目だと思ったことか、それを何とか乗り越えてきた。よく「まり子さんは特別」と言われちゃうんですが、考えたことがすんなり通った試しはないだから、なにも特別じゃないんです。
コムスンの事件があったでしょ。ねむの木もあんなふうに「福祉でもうけている」と見られているかもしれないと考えると悲しくなる。確かに、国からの支援はあるんだけど、それだけじゃ全然足りない。私の全財産を費やしているの。淳之介さんの遺産をもらったと思っている人がいるみたいだけど、そんなことは一切ないの。そんなふうに考えている人がいたら、つらいな。
―― エネルギッシュなお姿が印象的ですが、健康法はなんですか
宮城: 健康には気をつけなきゃ、とは思っているんです。それで、朝はセロリ、ほうれん草、にんじん、レモンの入った野菜ジュースを飲む。それでおなかがふくれるし、水分の補給もできるでしょ。でも、あとは本当にいい加減。やることがいっぱいで一日食べないこともしょっちゅう。おにぎり食べながら仕事をして、それでお食事が終わりになったり。おかゆなら疲れていても口に入りやすいので、作ってもらって、ちりめんじゃこで食べたり。これじゃ、栄養が足りない、っていつも反省している。
6月1日から7月1日日までは、創立40年記念の一環で六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」を開催しました。そこで、子どもたちがコーラスをしたんで、毎日六本木まで通ったんですよ。家では他の仕事がたくさん待ち構えていて、大忙し。一年中こんな感じ。
―― では、そのエネルギーはどこから来るのでしょうか。
宮城: 確かに、生命力があるってよく言われるわ。でもね、エネルギーはないのよ。ほんとうに。小さい頃の虚弱体質をそのまま引きずっている。仕事で頭ばかり使って、体は動かさないし、薬の副作用で興奮しやすいし。
私は子どもたちを愛している。みんな、私のことを「おかあさん」とか「まり子さん」って呼ぶんですよ。私はたくさんの子どもたちのおかあさん。愛している子どもたちのためにしたいことがたくさんあるんで、なんとかしなくっちゃって、弱い者がうーんと突っ張って生きているのが私なのかな。
今の時代、うつって珍しくないでしょ。私もうつと躁を繰り返しているのよ。うつの時には、ともかく体が辛い。だから、じっとしている。 “ちょい”うつの時書く原稿は、私のなかでは一番魅力的になる。躁になり始めたら、考えが動き出し、“中”躁になったら、行動が始まる。“大”躁の時は、流れに任せる。そうやってうつと付き合っているの。
勉強していないコンプレックスもあるし、もう、コンプレックスだらけ。
でもね、体が弱いという大きな欠点があるから、弱い子に目が行くし、弱い子の感情もわかる。病気の人の気持ちもわかる。弱いというコンプレックスが、最大の武器かもしれない。本当の弱さや、弱い自分を知っているから見えてくるものもある。もしかしたら弱さを上手に使いこなすことが、結局のところ、強さにつながっているんじゃないかしら。
『NBオンラインの目
吉行淳之介氏の作品中で目にする “上野毛”という地名。その上野毛の閑静な住宅街に宮城さんのお宅、まり子屋はある。応接間には、暖炉があってその暖炉の向かいのソファーの一角は、だれも座ってはならないことになっている。そこは「淳ちゃんのところ」なのだそうだ。生前の吉行さんの指定席は、今もそのまま健在だ。
おしゃれでダンディーな吉行淳之助氏の写真をみるとお召ものは黒が多い。「その黒に合わせて楽しんでいたのが、赤の小物たち」とまり子さんは教えてくれた。ポットやお気に入りの動くおもちゃなどなど。赤はそんな思い出がある色。だから、『宮城まり子が選ぶ 吉行淳之介短編集』の表紙は赤になった。故人との愛をこんな形で育む宮城まり子さんは、年齢の話がでると「私79歳と15ヵ月」と言いながら、少女のような天真爛漫な笑顔を浮かべていた。』
宮城まり子(みやぎまりこ) ねむの木学園校長、女優・歌手
1927(昭和2)年東京都生まれ。1955年に「カード下の靴みがき」で歌手デビュー。1968年に日本初の肢体不自由児のための養護施設「ねむの木学園」を設立。現在は、ねむの木学園の理事長、園長、校長を務める。吉行淳之介氏との恋愛は、吉行氏が亡くなるまでの37年に及ぶ。その間のことを書いた『淳之介さんのこと』など、著書多数。ねむの木学園運営の実績が認められ、ヘレン・ケラー教育賞、第1回ペスタロッチー教育賞、第9回東京都文化賞など福祉・教育活動に関する多くの賞を受賞している。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070717/129997/?P=1
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