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2007-04-11 23:29:23
従軍慰安婦問題・慰安婦高額報酬説のトリック
テーマ:従軍慰安婦関連
「アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日」に次のような記載がある。
「これは、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」
この前半部分から、慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円〜600円より多かった、という主張がある。
しかし、これにはトリックがある。
まず、この日本人捕虜尋問報告にある内容は1944年のビルマにおけるものである。1943年のマンダレー駐屯地慰安所規定によれば、慰安所の利用には軍票を使用することになっているため、ここでも軍票が使用されていたことは間違いなかろう。
ビルマ方面で使用された軍票は、太平洋戦争開戦当初は海峡ドル軍票、後にルピー軍票が加わり、1943年からは南方開発金庫券、通称:南発券(厳密には軍票ではないが、軍票同様に使用された)に代わっていく。
ちなみにビルマでの軍票は基本的にルピー表示(一部ドル)だが、1942年12月16日の東京朝日新聞の記事「最初は少し混乱したものの今ではすっかり慣れ市場の売子も『ハイ、お釣りを三十銭』とお客の兵隊さんに日本式にやってのけているのは微笑ましい風景である 」に見られるように、公式には1ルピー1円の固定相場であるため、「円」「銭」という表現は現地でも使われている。
つまり、日本人捕虜尋問報告にある料金制度の「兵 1円50銭、下士官 3円、将校 5円」は、南発券での支払いであることが考えられる。
この南発券、実は1943年後半から急速にその発行高を増やしている(19421943年2月9日(2007/6/4訂正)の日本産業経済新聞に賀屋蔵相の「南方券の発行について今その最高限度をきめる考えはない」と言う発言がある)。林博史氏の「「大東亜共栄圏」の実態」 によると、1942年12月に4億6326万円、1944年末に106億2296万円、1945年8月に194億6822万円、と明らかに急増している。なお、日本の占領地域は1942年後半以降は基本的に縮小する一方だったので、占領地拡大に伴う増発でないことは明らか。1944年には戦局は悪化しており南方占領地内の流通が悪化、つまり物不足となっていく。こうした中、日本軍が物資を調達する目的で軍票が増刷され、その結果インフレが生じたわけである。
かといって、駐屯部隊に支給される給料が上がったわけではないと考えられるので、慰安所利用を従来のまま行うには軍が価格統制せざるを得なかったのだろう。
しかし、この場合、被害者は慰安所である。インフレになっているのに価格を固定されていては実質的な減収となるからだ。そう考えれば「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」(日本人捕虜尋問報告)の部分が理解できる。
ここで反論として考えられるのは、インフレは戦後になってから起こっており戦時中ではない、という異見。
確かに南発券を大量発行してインフレが生じたなら、固定レートとなっている日本円にも影響が出たはずである。しかし、ここにトリックの肝がある。
1942年5月1日の大阪朝日新聞の記事「南方送金方法大蔵省より指示」に「一、南方占領地に渡航するものの旅費その他の費用は現地に銀行ある場合は原則として信用状、送金為替などの方法によるが銀行がない場合は現地で使用される軍票を内地から携行出来るようにし円札の携行は原則として認められず、円札と軍票との交換比率は近く大蔵省において決定、交換事務は近く日銀本店、一定の支店、代理店などで取扱を開始する 二、南方占領地居住者のうち現地で自活し得ぬものにたいする仕送金は審査の上許可を与える方針で、この場合は銀行経由送金の方法による 」
とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は許可制で規制されていた。
(訂正2007/4/24:上記は日本から南方への送金に関する記事だったので参照記事を以下に差し替える)「これ等の軍票は何れも在来の現地通貨と等価で流通せしめているが、日本円とこれ等軍票並に各地域の軍票相互間の関係は差当り日本と南方諸地域間並に諸地域相互間の自由な資金交流を認めぬ建前であるため、一般的な交換比率は決定していない」(中外商業新報 1942.4.18)
とあるように、基本的に占領地から内地への金銭送金は規制されていた。
つまり、占領地でだぶついた通貨を内地に入らないようにして、終戦間際まで内地のインフレを食い止めていたと言える。
これを実施するため、「預け合い」というからくりを使っている。
からくりはこうだ。
例えば、財源の裏付けのない状況で日本が軍事費100億円(内地換算)を必要とする場合、通貨の発行数を増やすしかない。
しかし、これをやると物資量に対し通貨流通量が100億円(内地換算)分だぶつきインフレとなる。
そこで、国内の通貨流通量をふやさないように、必要な軍事費100億円(占領地通貨)分だけ日本の銀行が占領地の銀行(この場合、南方開発金庫)に預金をする。これに対し、南方開発金庫も100億円(内地通貨)を日本の銀行に預金する。
預金と言っても実際に現金が動くことはなく、固定レートのためそれぞれの銀行の帳簿に記載されるだけである。
その結果、こうなる。
南方開発金庫に日本の銀行の預金100億円(占領地通貨)
日本の銀行に南方開発金庫の預金100億円(内地通貨)
南方に展開する日本軍は、必要に応じ、南方開発金庫から100億円分の引き出しを行い、占領地に流通させる一方、南方開発金庫には日本の銀行にある預金を引き出させない。
こうすることで内地での通貨流通量は変わらずインフレを防ぐことができた。
しかし当然占領地内ではインフレが進むことになる。(参照:日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫 、p158(2007/4/25追記:参照先では、中国戦線での儲備券を例にしている))
これが、内地と占領地における円の価値の格差のトリックの正体である。
したがって、内地での陸軍大将の月収500円〜600円と占領地での慰安婦の月収平均750円を比較すること自体ナンセンスと言える。
では実際に占領地での750円とはどの程度の価値だったのか?
南方占領地の中心シンガポールでの物価指数は、1941年12月開戦時を100として、1942年12月に352、1944年12月に10766、1945年8月に35000と実に350倍になっている(前掲「「大東亜共栄圏」の実態」による)。1944年初頭のデータはないが、物価上昇率を月11〜14%として指数モデルで考えると、
1941年12月( 0ヶ月): 100
1942年12月(12ヶ月): 350〜 482(実際352)
1943年12月(24ヶ月): 1224〜 2320
1944年12月(36ヶ月): 4282〜11183(実際10766)
1945年 8月(44ヶ月): 9868〜31901(実際35000)
となる。ちなみに言うまでもないが、地域や品目によって物価上昇率は異なっており、例えば米60キロについては1941年12月に5ドルだったのが1945年6月には5000ドルと1000倍(物価指数で言えば10万)になっている。シンガポールのような人口稠密地域では米の需要が高いためであろうが、他の地域は他の地域でそこで産出しない物資が上がったであろうと想像できる。
シンガポールとビルマの物価が同レベル、内地の物価は変化していないと仮定すると、大雑把に1944年初頭のビルマの物価指数は1941年12月を100とした場合、およそ2000程度であると考えられる(1944年は既に各占領地間の流通に支障をきたしており、この仮定が正しいとは言えないが、シンガポールとビルマを比較した場合、ビルマの方がより状態は悪化していると推定できるため、最低限の予測は可能と考える)。
実際、
日本軍政下のアジア―「大東亜共栄圏」と軍票/小林 英夫
のp179によるとビルマの物価指数のグラフが表示されており、プロットがないため正確ではないが、1941年12月を100として1943年12月がおよそ2000程度である。
つまり慰安婦の月収750円とは1944年初頭の内地換算で38円となる。当時の下士官の月収が約30円で大体これと同レベル(この内地換算38円から「食料、その他の物品の代金」をとられていたことを考えれば実質はさらに下回るかも)と言える。ただし、これにさらに労働条件を考慮する必要がある。単純に売上げ月1500円を上げるには、下士官を相手にしたとして月500人、一月25日として1日に20人に売春しなければならない。一人30分としても10時間の労働であって、かなりきつい労働条件なのは容易に想像できよう。
ここまで過重な労働を強いた背景としては、やはりインフレが考えられる。慰安婦一人月1500円、20人いたとして、慰安婦に渡す分を差し引くと「慰安所の楼主」の1ヶ月の収入は15000円となる。これを上記レートで内地の円に換算すると750円程度になる。結構な金額には違いないが月10%で物価が上昇することを考えると、経営上の不安はぬぐえない(軍人と違い、「慰安所の楼主」は生活物資の購入を市場で行う必要がある)。軍の規定によって料金が据え置かれている以上、「慰安所の楼主」の取れる手段は慰安婦をとにかく働かせることしかなかったろう。もし完全に慰安所が民間で運営されていたなら、金額を上げることや対価としてインフレ軍票ではなく物資を求めることなど現実的な対応ができただろう。
日本の占領政策の無能さと慰安所の軍管理が慰安婦の悲劇を倍化したと言えよう。
ところで、「慰安婦の月収は平均750円で、当時の陸軍大将の月収500円〜600円より多かった」という主張は、当時の前借金が500〜1000円程度であったことを考えると理屈では2ヶ月で返済できる金額なわけだが、その時点でおかしいと思わないのかね?それとも、返済が終わった後も慰安婦を続けた、とでも考えているかな?「朝鮮人は欲深い」というような差別意識がなければ出てこない発想だけど。
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コメント
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■無題
慰安所は日本軍が駐留した至る所に出来ていたというのだから、一箇所の事例を持って全てがそうであったと思うのは避けたいと思っています。
なので、エントリーで仰っていることも事実かもしれないけれども、それが慰安婦を売春業と考える人達への完全な反論になるとは思えません。
>それとも、返済が終わった後も慰安婦を続けた、とでも考えている・・・
そういう人達もいましたよ。お嫁に行くために一生懸命慰安婦として働いた人も少なくなかった。慰安婦を全て性奴隷とみなしている人には信じられないかもしれないけど、そういう証言もあるのです。
caravan 2007-04-12 09:41:40 [コメント記入欄を表示]
■無題
そういう時代背景がありましたか。
ありがとうございました。
dodo 2007-04-12 17:34:57 [コメント記入欄を表示]
■無題
caravanさんの述べたことは、外国人が日本を弁護してやれという場合にのみ説得性をもつ言い方ですね。
右翼系の日本人が旧軍の行為を正当化するためのものだとしたら、かなり厚顔無知な言い草とよぶしかありません。
caravanさんのように、都合悪い事実ははじめから受け容れる気もなく文句だけ書こうという人など、外国人からわざわざ説得する価値もない相手と思われていることは、米国下院の現状を見ればわかるでしょう。
ワラバン 2007-04-12 22:50:30 [コメント記入欄を表示]
■管理者殿へ
うっかり二重投稿になってしまいました。
お詫び致します。
ワラバン 2007-04-12 22:52:29 [コメント記入欄を表示]
■caravanさん、コメントありがとうございます。
>慰安所は日本軍が駐留した至る所に出来ていたというのだから、一箇所の事例を持って全てがそうであったと思うのは避けたいと思っています。
それは正論だと思います。
ただ、南方占領地は南発券、中国占領地は儲備券や連銀券などが1943年以降主要な軍票となっており、いずれも濫発した結果、ほとんどの占領地域で激しいインフレを引き起こしているのは事実のようです。
軍票の価値が比較的安定していたのは、1941年以前でこの時期に慰安婦が700円の月収であったなら、それは高額と言えるでしょう。そういう例をご存知でしたら教えてください。
>>それとも、返済が終わった後も慰安婦を続けた、とでも考えている・・・
>そういう人達もいましたよ。お嫁に行くために一生懸命慰安婦として働いた人も少なくなかった。慰安婦を全て性奴隷とみなしている人には信じられないかもしれないけど、そういう証言もあるのです。
いたのはいたと思います。ただ、一部の「事例を持って全てがそうであったと思うのは避けたいと思っています。」
「慰安婦は高額の報酬を得ていた」という主張は、まるで全ての慰安婦がそうであったかのように聞こえますので。
scopedog 2007-04-12 23:00:33 [コメント記入欄を表示]
■dodoさん
コメントありがとうございます。
お役に立ったなら何よりです。
scopedog 2007-04-12 23:48:20 [コメント記入欄を表示]
■ワラバンさん、コメントありがとうございます。
日本が、韓国・中国に比べて明らかに小国で、全ての慰安婦は性奴隷であるからその分の賠償をせよ、と迫られているなら、意味のある反論なんですけどね。
そういう主張は聞きませんし。
重複したコメントは1つ削除しておきますね。
scopedog 2007-04-12 23:48:53 [コメント記入欄を表示]
■ブログLOVE
こんにちは
初めて拝見しました
これからも時々訪問しますね
応援してます
ピロリン 2007-04-14 22:56:00 [コメント記入欄を表示]
■こんちわ
コンニチハ。
時々訪問してます。
ブログ初心者ですが
恋愛日記を書いてます
又、来ますネ。
ひろひろ 2007-04-16 00:37:45 [コメント記入欄を表示]
■現物
はじめまして。
こちらのエントリに便乗して手持ちの軍票をUPしてみました。
黒的九月 2007-04-25 01:15:18 [コメント記入欄を表示]
■同じリポートの中に下記の記述があるそうですが?
彼女らはビルマの他の所と比べて高級地近くに住んでいた。
この事は彼らのビルマ2年目では特にそうである。
彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物質は大量には配給されず、
彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、
実家から慰問袋を受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。
ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、
ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。
彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。
みょみょ 2007-05-09 13:54:19 [コメント記入欄を表示]
■みょみょさん
コメントどうもです。
微妙に誤訳がある気がしますが、まあ、それに類する個所は確かにありますね。
ただ別に、このエントリに矛盾するわけではありませんよ。
詳細については、新エントリを上げたので参照してください。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10033149316.html
scopedog 2007-05-09 23:56:37 [コメント記入欄を表示]
■ビルマの物価について
このブログを作成されている方々には敬意を表しています。
ところで、グラフから読み取ったデータしかないようなので、具体的な数字を参考までに紹介しておきます。 太平洋戦争が始まった1941年12月を100とした場合の物価指数です(日本銀行外事局調査)。
1944.6 東京 121 ラングーン 3635
シンガポール 4469 バタビア 1279
1945.8 東京 156 ラングーン 185,648
シンガポール 35,000 バタビア 3197
ラングーンだけ見ると、次のようになっています。
1943.12 1718
1944.3 2629
1944.6 3635
1944.9 5765
1944.12 8707
1945.3 12700
1945.6 30629
1945.8 185648
太田常蔵『ビルマにおける日本軍政史の研究』(吉川弘文館、1967年)によると、ビルマでの1945年初頭時点での物の値段は次のようです。
コーヒー 5ルピー
背広1着 1万ルピー
シャツ1枚 300-400ルピー
絹ロンジー1着 7000-8000ルピー
なおこの時点よりインフレは急上昇します。なお、この著者の太田氏は「二〇年〔一九四五年〕三月マンダレー失陥後は、軍票はほとんど無価値になってしまった」と記しています。文さんの貯金の大半は、軍票が無価値になったこの時期に将校たちからチップとしてもらったものと見られます。
すでにこのブログの反論で十分と思いますが、計算する場合、具体的な数字があったほうが明確になるでしょうから、ご参考までに。今後もこのブログには期待しています。
林博史 2007-05-27 16:30:11 [コメント記入欄を表示]
■はじめまして
>林さま
コメントありがとうございます。感激です。
また、ラングーンでの物価指数について詳細なデータを頂きありがとうございました。ご推察のとおりグラフしか持ち合わせていなかったため、大変助かります。
>シャツ1枚 300-400ルピー
これでは、1945年には陸軍大将の月給でシャツ1〜2枚しか買えませんね。時期・地域を無視した収入比較がいかに無意味かがよくわかりますね。
scopedog 2007-05-29 08:53:54 [コメント記入欄を表示]
■文玉珠さんのこと
林先生の書き込み読ませていただきました。インフレというのは、指数関数的な動きをするのだといのが良く分かりました。
また、文玉珠さんの預金原簿も拝見しました。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4500;id=sikousakugo#4541
26000円のうち20000円が20年4月と5月なのですね。18年7月から19年6月までの預金額はデコボコはあっても550〜950の範囲で、これは、米軍尋問調書の本人取り分にあたるものなのでしょうね。
で、よく言われているのはなぜ前借金を返さないで貯金したのか、ということですが、私の想像は、18年7月以前に前借金を返したものの、文さんは帰国できなかったのではないかと思うのです。
文さん自身の証言ではそのへんはいかがなのでしょうか?
ni0615 2007-05-29 11:19:27 [コメント記入欄を表示]
■ni0615さん
http://homepage3.nifty.com/tajimabc/new_page_22.htm
の証言を見る限り、野戦病院での勤務もあったようで、純然たる慰安婦というより、司令部付軍属に慰安業務をさせていた、という感じではないかと思います。(証言中の楯8400部隊は、第55師団・師団司令部のことです。http://sapporo.cool.ne.jp/xaucia606/order_burma.html(55師には「壮」と「楯」の2つの名称がありました)
1944年初頭から第2次空アキャブ作戦に参加し移動を繰り返しているので、「プロン・アキャボ・ラングーンと移動し」という証言に一致します)
文玉珠さんの場合、最初は拉致に近く、2度目は本人もうすうす気付いていたようです。
http://sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/23/
なので、前借金はそもそもなかったかもしれません。どちらかと言えば騙されたケースではないかと思います。
scopedog 2007-05-30 03:08:25 [コメント記入欄を表示]
■ni0615さんへ
>前借金を返したものの文さんは帰国できなかったのではないか
あなた鋭いですね!米軍調書で有名なM739というビルマにいた慰安所経営者は戦後西野瑠美子のインタビューを受けて、慰安婦はすぐに前借り金は返したが軍が管理していて帰れなくなったと言ってますね。文さんは金を儲けようとビルマに行ったと挺身隊対策協議会には答えているのであなたの推測が正しいと思いますよ。ただ文さんも結局給料は貰えなかったようですが。
やなぎさわ 2007-05-31 22:22:15 [コメント記入欄を表示]
■無題
やなぎさわ へ
>文さんは金を儲けようとビルマに行ったと挺身隊対策協議会には答えているのであなたの推測が正しいと思いますよ。ただ文さんも結局給料は貰えなかったようですが。
給料はもらえない? 給料なんて誰ももらってないのではないですか?
そもそも、慰安婦の給料ってなにですか? 歩合とか、割り当てとか、娼婦の世界では? 「給料」はへんです。この言葉を使ったとたんに、話が曲がってしまいます。
ni0515 2007-06-02 08:53:59 [コメント記入欄を表示]
■>ni0615さん
従軍慰安婦の形態としては色々あるようで、文字通りの強制連行や拉致、詐欺による勧誘、貧困による身売りなど様々です。
実際、元々娼婦だった女性が、職業として慰安婦になった人もいたようです(「従軍慰安婦〜兵備機密にされた女たちの秘史〜」)。(これはこれで廃娼運動・人権問題の立場からの問題はあります)
ですので、「給料」という言い方も一概には否定できないかと思います。
scopedog 2007-06-03 02:05:20 [コメント記入欄を表示]
■無題
こちらにも来て見ました。
なるほど、当地では物資がいかに貴重か分かりましたが、そうなると気になってくることがあります。
あっちで引用した
ttp://members.at.infoseek.co.jp/ash_28/ca_i02_1.html
より
生活および労働の状況
彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、
兵士たちの反応
彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などがいっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした。
上記と物資が貴重であったことを考えると、正規の料金ではなく、むしろ、こちらのほうが貴重だったのではないでしょうか?
fresh 2007-06-17 00:08:42 [コメント記入欄を表示]
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