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[歴史の評価]“現実のドイツ”が見えない“美しい日本”の悲惨
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[副題] 2007年春、ドイツ旅行の印象[レーゲンスブルク編/Appedix]
<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070614
[f:id:toxandoria:20070615001949j:image][f:id:toxandoria:20070615002019j:image][f:id:toxandoria:20070615002043j:image]
まず、下のブログをクリックして“コノ美しい国のトップが吸血寄生虫”である<状況証拠写真/▲>をご覧ください。なんともムカつく<Profiles/寄生虫仲間の懇親?画像>ではないでしょうか? この“美しい人”に関するこの類の<Profiles/寄生虫仲間の懇親?画像>は、これが初めてではないので見飽きた感もありますが、何度見ても薄気味が悪く身の毛が弥立ちます。また、これは“美しい国”の掲げる『戦後レジームからの脱却』が自己都合の上っ面であることの証拠でもあります。
▲安倍首相とコムスンの折口会長の関係、ツーショット(大津留公彦のブログ2)、http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_287d.html
<注>ここで言う「寄生虫仲間」の意味は、老人介護に『市場原理主義に基づくノルマ主義』を持ち込むことに共感した鬼畜の如き吸血(=拝金・集金・猫糞)仲間という意味。恐らく、吸血寄生虫仲間の目には要介護老人一人が約30〜40万(月額)の売上をもたらす“打ち出の小槌”に見えたのでしょう。
→ 参照、6/14・PM7:30〜、NHKクローズアップ現代『コムスン商法、狙われた介護』、http://www.nhk.or.jp/gendai/
・・・ここで思い出されるのは、安倍氏と同じく厚生族である小泉・元首相の“老人紙オムツ”関連業界との不明朗な関係の噂です(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051111)。“老人紙オムツ”までカネを生む“打ち出の小槌”と化したのであれば大した錬金術です。
<注> “美しい国のトップが吸血寄生虫”である訳は?
→ 参照:<寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070609
前にも書いたことがありますが、日本の政治家の多くはドイツの元外相ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー(Hans-Dietrich Genscher)が好んだとされるトーマ・スマン(Paul Thomas Mann/1875-955)の『我われはドイツのヨーロッパではなく、ヨーロッパの(そして世界の)ドイツを欲する』の意味がまったく分かっていないと思われます。
それは、一国の政治権力者であればこそ、そのような立場の人々は、人間性と社会、そして一般市民に対する責任・責務として普遍的な関心と健全な倫理観を必死で守るべきであり、決して一部の身内や派閥、あるいは少数の閉鎖的で妖しげな仲間である徒党集団など(狂信カルト集団・暴力団・ヤクザ・ゴロツキおよび特定企業グループなど)の利益を優先してはならない、という警告です。
無論、これはナチス時代のドイツ自身の戦争犯罪への深い反省に基づくことなのですが、そのうえ第二次世界大戦後のドイツには“ヨーロッパのドイツ”についての新しい歴史上の発見もあったのです。つまり、現在のヨーロッパの人々のヨーロッパ史についての常識では、多かれ少なかれゲルマン民族の血がヨーロッパ中(イギリス・フランス・スペイン・イタリアなど)の凡ゆる国民の血と混じり合っていることが理解されています。
例えば、フランスとドイツの歴史はメロヴィング朝フランク王国を共有しており(我われ“ヤマト民族”の常識に反して、ガロ・ロマンス語(ケルト語+口語ラテン語)から派生したフランス語を話すフランス人の血にはゲルマン民族の血がかなり濃く流れている)、国家的なフレームと言語の違いが目立ち始めるのはカロリング朝フランク王国(この頃からラテン化、つまりフランス化の傾向が強くなる)辺りからなのです。
このように健全な歴史観に基づくヨーロッパの精神に比べると、「価値観外交を推進する議員の会」(古屋会長、中山顧問、http://www.furuya-keiji.jp/images/19_05_17%BC%F1%B0%D5%BD%F1.pdf/比喩的に言えば、この会のメンバーの多くも寄生虫のような二・三世の世襲政治家!/当会の古屋会長は、皇室典範改正・靖国参拝・民法772条などを列挙しつつ同じ方向をめざす同志を糾合し、青藍の天空を貫く行動ができる集団機能の役割を果たしたいと述べている)の信念、つまり、まるで『エイリアンのように寄生的で特異な意志』(=外見的立憲君主制の復活への意志)を“新しく美しい日本の国のかたち”にするなどということが、いかに<恐るべき非人権的な時代錯誤>(=暴政・悪政の標本のような化石的アナクロニズム)であるかが分かるはずです。
このような流れの中から、“安倍総理の外交ブレーン岡崎久彦氏が説く「20世紀は世界が何千・何百万人を殺戮した人権侵害が当たり前の時代だったので日本の慰安婦問題などチッポケでくだらぬ問題だ!」という<冷酷な人間観>が出てくるのです。そこには“少人数の殺人は、多人数の殺人より罪が軽く合理的だ”という<倒錯的プラグマティズムの価値観>が存在します。“美しい国”の病理学的な根本はこの点に尽きます。
ニュルンベルクにある「ゲルマン民族博物館/Germanisches Nationalmuseum、http://www.gnm.de/index_en.html」のあり方も日本は学ぶべきでしょう。つまり、この「ゲルマン民族博物館」はドイツ語圏内の“ボランティア会員制で運営”されており、<その時々の政治権力からは厳正に独立すること>という原則が掲げられているのです。
→ 参照:2007年春、ドイツ旅行の印象[ニュルンベルク編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070608
ドイツがヨーロッパのみならずアメリカに対しても良い意味で影響を与えていることがあります。それはキリスト教信仰のあり方に関する根本問題です。キリスト教の流れをごく大雑把に見るならば、12〜14世紀に堕落・退廃の極みに達したローマン・カトリック教会に対する苦情(グラヴァミナ/Gravamina)の奔流の中からマルティン・ルターのプロテスタントによる救済が生まれました。無論、これによりローマン・カトリック教会でも反省と改革が行われ、その伝統である救済の精神はソフィスティケイトされています。
このプロテスタントの救済の精神はゲーテ、ヘーゲルらによって精緻化され、更に、アンチ・ナチス時代のテオドール・ヘッカー、カール・ヤスパースらを経て「美的・人文的価値 → 真理 → 戦争犯罪への反省 → 法と正義の重視」のステップで更に洗練されます。そして、このようなキリスト教的な救済の観念は現代の欧米人の多くが(少なくとも指導層・知識層の多くは)共有しています。
このように見れば、大変な犠牲を払った上でのことではありますがドイツが欧米精神の根本に与えている“良い意味での影響”は非常に大きなものがあります。それはガルブレイスが“陽気すぎて躁状態の経済理論”だと揶揄した「市場原理主義」と「新自由主義のトリクルダウン理論」(参照、「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122)の弊害に対する一種のセーフティ・ネット的な役割を果たしています。
例えば、EU(欧州連合)統合のプロセスでも、そこには第二次世界大戦後の非常に困難なドイツ経済を復興に導いた立役者ルートヴィヒ・エアハルトの「社会的市場経済」の構想が流れ込んでいます(参照/シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/)。なお、この「社会的市場経済」の柱は次のような点(★)です。
★基本的には、社会が経済システムを支配するべきだと考える。
★しかし、市場にかかわる活動単位(企業、人など)の経済活動の自由は保障される。
★ただ、国は市場における独占・寡占状態が発生せぬよう監視しなければならない。
★同時に、国は国民一人ひとりが自らの責任で行動して経済的に自立することを奨励し、そうなるように支援しなければならない。(自己責任と自立性の確保)
この欧米における“人間の根本を大切にする”という事情に比べると、我が“美しい国”の人権無視の現状(底なし拝金資本主義、底なし猫糞資本主義)は恐るべきことです。そこには欧米におけるような「宗教・戦争・歴史などに対する真摯な反省の観念」がありません。あるのは“美しい国”、“美しい星”など上っ面のコトバ遊びだけです。そのうえ「市場原理主義」に対するセーフティネットとしての「根本的な救済の観念」が存在しません。だからこそ、渦中の年金問題、コムスン問題などのような“人間、国民を金儲けの手段と見做す冷酷きわまりなく鬼のような政治の眼差し”が放置・看過されているのです。
新たに政・官・財・メディアが癒着した、この日本独特の「底なし猫糞資本主義」が掲げる“戦後レジームからの脱却”なる妖しげな標語は<人間の自由>について途轍もない矛盾を抱えています。そこでは、貧富格差の拡大など社会の深刻な現実を自覚した主体的・倫理的な思考によって、社会そのものを根本から組み立て直すあらゆるチャンス(人権についてのセーフティネットを構築し直す機会)が、リアリズムが見えぬ国民に支持された<愚かな政治権力>によって排除されているからです。
日本の政・官・財・メディアが後生大事に信奉する<自由原理主義>は、欧米と異なり、その<自由の正しいあり方>そのものを真剣に考えることまでも放棄しています。一方、現在のドイツは、あるいは少なくとも欧米諸国の指導層・知識層の多くは、このような<自由原理主義>のあり方が誤りであることをシッカリ理解しています。しかしながら、美しい国の“戦後レジームからの脱却”が目指す着地点は戦前・戦中型の“軍事体制レジーム”でしかないのです。そのため、美しい国の<自由原理主義>は、小泉劇場(小泉構造改革)によって生まれた新たな利益集団の道具と化しているのです。
更に、最近は自衛隊による市民・文化人のイラク派遣反対運動などへの監視・情報収集活動の問題が露呈しています(参照、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070606-00000104-jij-pol)。ここには政権与党以外のあらゆる国民の動きを監視し、市民活動を敵視・危険視するという驚くべきほど非民主主義的な権力意識が存在します。市民を敵視するどころか、例えばEU(欧州連合)では市民活動、労働組合活動などを重要な政治のパートナーと位置づけています。残念ながら、ここには日本の民主主義の著しい後進性が現れています(参照/下記▲)。
▲村野瀬 玲奈の秘書課広報室『労働者団体は“社会のパートナーである”欧州』、http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-259.html
▲toxandoriaの日記/シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329
わが国における、このように恐るべきほどの<人間の根本を軽視する冷酷な政治と社会の風潮>を考慮するならば、“美しい国のトップの実像が実は吸血寄生虫”であったという<状況証拠写真>がネット上に氾濫し、コムスンによる非情な老人介護ビジネス、消えた年金5000万件問題、自衛隊による市民監視活動などの由々しき事件が次々と発覚するのもむべなるかなと思われます。
更に、わが国のゲルマニスト(ドイツ文学者、ドイツ語学者、その他のドイツ関連の専門家)には、どうやら二つのタイプの人々が存在するらしいことを知り驚いています。ごく大雑把に言ってしまえば、それは(1)ナチスと戦争犯罪を反省する新生ドイツ型のゲルマニスト、(2)アナクロなドイツ帝国賛美型の(同時に「価値観外交を推進する議員の会」に賛同する)ゲルマニストの二種類です。そして、どうやら後者(2)のタイプのゲルマニストは政権与党・中枢との結びつきが強く、それだけに幅を利かせている傾向があるようです。このように「ドイツ帝国時代への憧憬」と「美しい国の戦後レジームからの脱却」の相性が良いという、余りにも異様な日本における(1)のタイプのゲルマニストの存在は、恐らく、欧米の人々には想像もつかないことかも知れません。
(参 考1)
ナチスと戦争犯罪を反省する新生ドイツ型のゲルマニストの代表格と思われる、木村直司・上智大学名誉教授(在、レーゲンスブルク)がDAAD(ドイツ学術交流会、http://tokyo.daad.de/japanese/jp_index.htm)からグリム賞を、ワイマールのゲーテ協会から金メダルを授与された機会に実に感動的な講演をされています。そのごく一部分を下に引用・転記させて頂きます(参照、http://www.info.sophia.ac.jp/g-areas/bunnkakouryuu.htm#Helmut.label)。
■ゲーテ文献学頌―ゲルマニスティクに関する反時代的考察
木村 直司 (2003年9月27日講演会)
・・・・・前、略・・・・・
これにより、私はドイツ中世に対する愛着をそこなわれずに、ドイツ古典主義あるいは最近の言い方によりますとワイマール古典主義の研究にいそしむことができました。まして中世の街並みが爆撃で破壊されずにそのまま残っているレーゲンスブルクの旧市街に住んでいて、ゲーテがチェコの保養地カールス・バートから密かにイタリア旅行に出かけたときに通ったドナウ川の石橋や最初に宿泊した河畔のホテル「白羊亭」(Zum Weisen Lamm)を毎日見ていますと、中世と十八世紀と現代との時間の差をほとんど感じません。この街はまた、エルフルトでゲーテと付き合いのあった、のちのマインツの司教・君主カール・フォン・ダルベルクがナポレオンによる領地替えで1802年から8年間統治し、彼の善政のお陰で、たとえば世界最初の植物学会が設立されました(ここレーゲンスブルクに)。ここへ来て初めて私は、シーボルトが日本の植物に関する最初の学術報告をなぜレーゲンスブルクの植物学新聞に寄稿したのかわかりました。
・・・・・途中、略・・・・・
最後に、文化科学的問題提起として私が一つだけ取り上げておきたいと思いますのは、東西文化といわれるときの東と西の概念であります。いうまでもなく両者は相関概念であって、東洋と西洋、東欧と西欧、アメリカの東海岸と西海岸、それに関東と関西などいかようにも適用することができます。しかし、昔「光は東方から」(Ex oriente lux)と言ったとき、この東は明らかに中近東をさしておりました。ところが、ドイツ語の比較文化論を読んでいますと、それはいつのまにか極東まで含む漠 然とした概念になり、イスラム教、チベット仏教、ヒンズー教、小乗仏教、大乗仏教、道教、儒教、神道に至るまで明確な区別なしに東洋思想に包括されていきます。これに対比されると西洋思想もキリスト教内部の分裂と哲学史の多様性を失い、同様に漠然としたものになります。ですから、ここでも特定の言葉の意味 内容をできるだけ明確にするフィロロジー(Philolologie)が必須不可欠となってきます。ナチズムのように不明確な概念でかたちづくられた世界観ほど人心を惑わし、社会を害するものはありません。
<toxandoria、注記>
この部分から、意味不明の不明確な概念で国民を惑わす“美しい国”からナチズムが臭う訳が理解できます。
たとえば、ルターがオリエントという言葉を Morgenland と訳したとき、ヨーロッパはおのずから Abendlandでありました。しかし厳密にいえば、それもヨーロッパがノヴァーリスが夢想した精神的な統一世界を形成していた中世までで、このキリスト教的西欧はナショナリズムが起こってくる近代以降はゼウスの神話に始まるヨーロッパの名で呼ばれるべきであります。ゲーテが『西東詩集』の中で「東洋は神のもの、西洋は神のもの、北方も南方も神の御手の平安のうちに休らう」と歌ったときも、東洋とはオリエントのことでありました。従って、オスヴァルト・ シュペングラーが『西欧の没落』(Untergang des Abendlandes)を書いたとき、太陽は「日出る国」日本から昇り、中華(中夏)の中国大陸で頂点に達し、文明が爛熟期をむかえたヨーロッパで沈 んだのではなく、中世の世界像のままオリエントから昇り西欧で沈んだことになります。問題はこの西欧が今日ヨーロッパ大陸を越えて、ドーヴァー海峡、大西 洋のどこまで及んでいるのか、ということです。私の考えでは、日本は極東ではなく極西に位置しています。さらに問題なのは、「光は東方から」(Ex oriente lux) のラテン語の句は "ex occidente lex"、すなわち「西方から法、法律」と続いていることであります。現在の世界情勢を見ていますと、東方の光が消えることなく、欧米から本当に法と正義 (das Recht)が来ることをこいねがわずにいられません。
・・・・・後、略・・・・・
(参考2)
[2007年春、ドイツ旅行の印象/レーゲンスブルク編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070612]へのコメント&レスを下に転載しておきます。
pfaelzerwein 『ハイリゲンダムでの安倍総理の自画自賛プレス風景を観ました。態々米国・韓国風教卓をお持ちになって仰々しいと思いましたら、お話の内容も新興宗教のお説教演説如きで驚きました。プーティン大統領が長いテーブルの前に座り、短い時間でビジネスライクに記者団と対面、手短く質疑応答して、世界を左右する発言をするのに比べて、あの事大主義はなんでしょうか?どうも、能力の差は到底比較出来ませんが、フウ・ジンタオの方が遥かに事務的でスマートな政治家のようです。
「美しい」の言葉は、日本国民向けに「プラップジャパン」の仕事なのかどうかしりませんが、大衆を馬鹿にしているのですね。「日本人は12歳程度の頭脳」と見る戦前からの官僚政治家岸の遺産なのか。だから、どうしてもロッカー・ボノの会見内容の方が遥かに重要になるのです。自画自賛して聞かせるならば、その「仲介の妙」を上手く説明すべきでしょうか。会談の公表されない裏側は、世界の記者にとってもっとも知りたい情報です。
共産党志位委員長の自衛隊公安活動発覚発表の会見VIDEOを観ました。公安対象となる共産党以外の公党や議会の活動までを監視している違法性への非難は至極正当なもので、そのイデオロギーに関わらず反体制派ならば弾圧する政策と変わらないものかもしれません。世界の民主主義研究の専門家は、これに注目するものと思われます。
これらを考えると、どうも「美しい」は、長閥の時代を指すのでしょうか?ご指摘のように、レーゲンスブルクの過去への視点とは大違いで、近代に遅れてやってきた植民地主義への懐古をモットーとした政治などは狂気の沙汰としか言いようがありませんね。子供ほど髭を生やしたがるものなのでしょう。
PS.SPATZは、ウムラウト無しのSPATZENが正しいです。』(2007/06/12 15:38)
toxandoria 『pfaelzerweinさま、コメントありがとうございます。
たしかに、胡 錦濤の方が“美しい総理”よりも遥かにスマートな国際感覚を持っているのではないか、と思われますね。
ハイリゲンダムの報道では、日本のメディアの姿勢も問題だと思っております。なぜなら、肝心の会談の裏側についての報道が皆無です。つまり、環境問題は農林漁業分野や食糧生産の問題などとも繋がるはずですが、この辺りについて交わされたはずの会見内容が全然見えていません。
ひたすら“美しい総理”の自画自賛を支えるような報道に終始していました。
自衛隊による市民対象の公安活動も民主主義国家の一員として恥ずべきことです。ところが、一方で<公安>については次のような酷い話(★)もあります。これでは、日本の公安と北朝鮮には裏取引があるのではないか?と疑われても仕方がないです。
★朝鮮総連中央本部、元公安庁長官代表の会社に売却、http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070612i303.htm
おっしゃるとおり“美しい日本の政治”はクレージーな段階に入ったのではないかと恐れを抱いています。それにしても、直近の支持率調査で未だに“美しい政治”の支持率が4割台をキープしていることも不気味な感じがします。例えば、以下(▲)のようなオゾマシイ情報が流れているにもかかわらず・・・。
▲安倍首相とコムスンの折口会長の関係、ツーショット(大津留公彦のブログ2)、http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_287d.html
この類の“ツーショット写真”をいつまで見せつけたら気が済むのでしょうか? それとも日本国民はこの種の上からの“脅し”に弱いのでしょうか? とても理解できないことです。
・・・・・
ps: SPAETZ → SPATZ へ訂正のご指摘ありがとうございます。
まるでレーゲンスブルク少年合唱団の歌声が流れているような、とても清涼なレーゲンスブルクの空気には感動しました。』(2007/06/12 17:59)
(参考3)
[<寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070609]へのTB内容を下に転載しておきます。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=560476
年金⇒訳の分からないお金は分けの分からないように使ってしまえ 2007.06.14 Thursday
小泉政権当時からの日本の政治状況については次のtoxandoria氏の解説が深い部分まで探求されておられる。
『toxandoria の日記、アートと社会』
2007-06-09 <寄生>住血吸虫が取り付いた美しい日本
◆国家、官僚、公務員とは、税金泥棒であることは、近代、つまり、200年から4百年前から、コモンセンス、常識である。団塊の世代のみが、世界の笑いもののようになっても、この常識を理解しようとしないだけだ。
◆海舌は、メルマ・ブログ開設当初から一貫して、公務員、官公労、55体制、官僚、族議員、郵貯を含めた財政投融資の破綻等を指摘し続けている。
◆まだ、今でも、この寄生虫公務員を擁護する庶民が居ることが、まさに御笑いである。
◆郵貯も含めて、旧財投資金は焦げ付き、破綻しているという前提で、官僚・公務員、族議員、官公労幹部の動きを観察、研究することが何故、日本人に出来ないのか、これだけの庶民虐待が続く中で、アンビリーバブルである。
◆ここで、一気に年金に関する公務員を懲戒、懲罰的に処分できなければ、現在、金と権限を握っているのは、この「寄生虫共」であり、彼等は逆恨みして、庶民の虐待に一層、拍車を駆けるのは眼に見えている、ねえ。
◆公務員は、狡賢く、知能程度が高く、自分だけが可愛く、庶民を軽蔑し、蔑み、無責任であることが、まだまだ、理解できないのであろうか。
◆公務員は基本的に番犬であり、狼には逆らわない。従順な家畜を追い立てるのである。⇒注文の多い料理店
◆小沢氏の周辺も含めて、今、この年金公務員を擁護している連中のことを少しの期間で良いから覚えておくことである。日本人は世界で稀に見る記憶力皆無の国民だから、一年も記憶できないであろう。だが、数ヶ月が、少し賢い日本人なら可能だろう。この少し賢い日本人だけが救われる。
◆小泉政権当時、海舌は同じ事を団塊世代に訴えてあげたが、彼等は石の礫を返しただけだった。そうして、消え去った。小泉政権を支持した勢力が消え去った。
◆今回は、年金寄生虫公務員を擁護する勢力が年金寄生虫公務員の優雅な生活によって消え去る。これが、ポスト・モダン社会の現実である。
⇒参照:Naomi Klein(抜粋)ポスト・モダン(は特に)は、他国を蝕むだけではなく、自国(ここでは米国)も蝕む。これが、ポスト・モダンの特徴と言っている点だ。素晴らしい知性だ。
by Kaisetsu
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