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2007年6月9日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.430 Saturday Edition
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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【編集部より】
寄稿家・冷泉彰彦さんがラジオのMLB情報番組にレギュラー出演しています。
番組名「サムライ・イン・ザ・ボール・パーク※」
(TOKYO FM、 周波数:80.0 FM カバーエリア:首都圏)
放送時間:月〜金 10:55〜11:00 AM (冷泉さんの担当は火、木)
※前回の案内の際に番組タイトルに誤りがありました。訂正させていただきます。
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▼INDEX▼
■ 『from 911/USAレポート』第306回
「仕事の本質と文化」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』第306回
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「仕事の本質と文化」
アメリカで現金で買い物をして、釣り銭をもらおうとすると、妙な経験をすること
があります。例えば、4ドルの商品を買ったとして、その支払いに10ドル紙幣を差
し出すと、1ドル紙幣の束を取り出してきて一枚ずつ私に渡しながら「ファイブ、シ
ックス、セブン……テン」と数えるのです。何をやっているのかというと、この店員
は引き算ができないので「釣り銭の計算を足し算で」やっているのです。
つまり10ドルという「最初に預かった金額」が「商品+釣り銭」と等しくなるよ
うにする、そうすれば引き算ではなく足し算で釣り銭計算ができるというわけです。
釣り銭の最初の1ドルがどうして「ファイブ」なのかというと、渡した商品が4ドル
なので、それに1ドルを追加すると5ドルになるからであって、以降「商品+釣り銭」
が10ドルになるまで1ドル紙幣を渡せば、客には元の10ドルと等価値のものが渡
るというわけです。
アメリカに来た当初は、一体何が起きているのか面食らったものですが、要は
「10−4=6」という引き算ができないからそうしているのです。そう言われると
納得できるものの、そんなバカなという感覚は長い間消えませんでした。ですが、私
の感覚ではこの15年ぐらいの間に、この悲惨な状況には目立った改善が見られるよ
うに思います。
まず「ファイブ、シックス……」というように「商品価格+釣り銭」を足していく
ような光景は劇的に減りました。それどころか端数を足して払って、釣り銭を簡略化
するような支払いに対応してくれるようなことが増えたのです。例えば「16ドル5
2セント」の商品を買う際に「20ドル」を出すと釣り銭が「3ドル48セント」に
なり財布がジャラジャラするので「20ドル2セント」を出せばコインの部分が「5
0セント」つまり「クォーター2枚」になる、そうした支払いのしかたができるよう
になったのです。
更には釣り銭を「5ドル紙幣1枚」にするために、支払いを「21ドル52セント」
とする、消費者の側のそんな行動にも店側がちゃんと対応してくれるようになりました。
以前の「足し算で釣り銭を数え」ていた時代には考えられなかったことです。日本で
は「432円」の買い物に際して「丁度の持ち合わせがない」場合に「532円」だ
とか「502円」などを出して釣り銭を簡単にするのは当たり前過ぎるほど当たり前
の話です。ですから、ここまでの話はバカバカしいと感じられるかもしれません。で
すが、アメリカでは実際にこうした問題があり、それが少しでも改善してきたという
のは画期的なのです。
それにしても、宇宙航空(軍事含む)やコンピュータ、製薬業に金融工学など、世
界の最先端のテクノロジーを持つアメリカで、20世紀の末までに「釣り銭の計算を
足し算で」というようなことがまかり通っていたのでしょうか。一つには「格差」の
問題があります。高度な数学や物理学を操るような人材が育つ一方で、学習の動機付
けを得られなかった人間は「引き算」すらできないままに置いてゆかれる、社会全体
にそんな傾向がありました。
それに加えて「本質以外の表面的なことはどうでもいいじゃないか」という、アメ
リカ独自の楽観主義といいますか、とにかく釣り銭が合っていればそれでいい、ある
いは多少間違っても善意と合理性さえあればいつでも訂正が利くのだから、細かなこ
とに拘泥しなくてもいいじゃないか、という考え方もあったのだと思います。
では、どうして改善が進んだのでしょう。色々な要因が重なっていると思います。
まずコンピュータ技術の普及という問題があります。ここ15年ぐらいの間に、各小
売店のキャッシュ・レジスターが進歩したり、チェーン店ではより洗練されたシステ
ムが導入されているということが挙げられるでしょう。これに加えて、アメリカの数
学教育が改善の方向に向かっているということもあるでしょう。80年代の「日米構
造協議」で日本側がアメリカに呈した苦言、すなわち基礎教育を底上げして中間層の
育成を、というアドバイスを真に受けて、クリントン政権は教育改革に取り組みまし
たが、その成果もあるように思います。
更に、中国系やインド系などそもそも数字に強い移民が、職場に大量進出している
ということもあるでしょう。私の住んでいる地域では、支店勤務の銀行員には圧倒的
にインド系の人が多く、瞬時に正確な暗算をしてくれるので安心感がありますが、全
米でそうした動きがあるのだと思います。更に言えば、80年代の不況、2000年
代の不況といった経済の波の中で、各企業が能力の低い労働者を現場から排除し、移
民を含めた廉価で質の高い労働力を導入したということも、原因の一つでしょう。具
体的に言えば、組合の影響力を除いて職場のリストラを図ったということです。
こうした変化の背景には、もう一つ大きな流れがあるように思います。それは、ア
メリカ独自の「本質さえ押さえていれば、表面的なことはどうでもいい」という楽観
主義に修正がされてきたということです。今はグローバルなビジネスといっても、ア
メリカ文化だけで世界を牛耳ることが可能な時代ではありません。アジアとヨーロッ
パの台頭は目覚ましく、彼等の持ち込んでくる「表面的なことにも正確」な製品や商
慣習に対抗するためには、アメリカもいい加減なことはできなくなっているのだと思
います。また、テロリズムに対抗するための治安維持政策にのめり込むことで、「細
かなことにもクヨクヨする」脆弱性が出てきた、そんな言い方も可能でしょう。
先週お話した「日本化するアメリカ」という話題と重なってきますが、いずれにし
ても「本質さえ押さえれば、表面はどうでもいい」というアメリカの楽観主義は転機
を迎えています。例えば、今回のドイツ、ハイリゲンダムで行われているサミットで、
アメリカが「特許の先願主義」を受け入れる動きを見せているというのも、この問題
に関係しています。
アメリカの特許の考え方というのは、長い間「先に特許出願」をしていることより
も「先に発明していたという実質」があれば、そちらが勝つという「先発明主義」を
採用していました。要するに、出願という形式ではなく、あくまで発明という本質を
評価するというアメリカ文化を反映していた制度です。この点で、アメリカが妥協し
て国際標準に歩み寄りを見せるというのは画期的なことです。これで知的所有権に関
する国際間の取り組みがよりスムーズになるのは間違いありません。そんなわけで、
店頭での「引き算での釣り銭計算」や「特許の先願主義」などが実現するというのは、
アメリカの個性が消えるというよりも、良い方向での変化だと言えます。
さて、今回の日本の年金記録問題は、そんな「引き算も怪しかった」アメリカから
見ると「事務作業の正確さ」を誇っているはずの日本で起きた事件とはにわかには信
じられません。ですが、宙ぶらりんのデータが5000万件とか、1430万件の記
載漏れないし未処理のものがあるというのですから、相当に深刻であることは間違い
ないようです。総理大臣が1年以内に適正化をすると断言したということは、例えば
アメリカですと2000年の大統領選挙の際に、フロリダ州の開票が不正確だといっ
て何度も何度も数え直した、まああんなイメージで「紙やマイクロフィルムの原資料」
を「人海戦術」で入力し照合して行くことになるのでしょうか。
そう言えば、兆候はあったのです。まず2004年に政治家などを巻き込んだ「年
金保険料未納問題」が起きました。この際に社会保険庁の事務に問題があったという
追及よりも、誰が未納だというような個人攻撃に報道が流されたように思います。ま
た2006年には「保険料の不正免除問題」がスキャンダルだとされました。この時
には「もしかしたら正当に免除されていいかもしれない人」について自己申告がない
ので「勝手に免除した」ということがスキャンダルになりました。考えてみれば安倍
政権発足に際して、この問題について社会保険庁への批判を行ったことが、新政権の
初仕事だったような印象があります。
私はこの中で特に2006年の問題について「免除されてもいいかもしれない人」
に対して「勝手に免除」したことでどうして社会保険庁解体という大げさな話になる
のかは、全く理解できませんでした。年金保険料を「運用」しようとして保養所など
に「投資」をしたものがバブル崩壊で焦げ付いたという問題も言われていましたが、
その問題を加えてもインパクトは限られています。今から思えば、2006年の時点
で社会保険庁解体が言われた背景、いや2004年の未納スキャンダルの時点でも、
こうした記録漏れ問題が政府の何らかのレベルでは問題になっていたのではないで
しょうか。
古い話で恐縮ですが、私は1980年代に日本の会社の人事部に勤務していたこと
がありますが、中途入社してくる人の手続きをする際に「年金手帳を二通」持ってい
る人を何件か処理したことがありました。当時は社会保険事務所の事務に対して疑問
を持つようなことはあまりなく、前職の会社がいい加減な処理をしたせいだろう、程
度に思っていたのです。ですが、良く考えれば「一人に二つ番号が振られた」結果、
社会保険庁のデータが誤っていたという事実は当時から多発していたのでしょう。我
々ももっと敏感になるべきでした。
では、こうしたトラブルはどうして起きたのでしょう。一部には自動化をめぐる当
局と組合のやりとりが原因だという説もありますが、それはあくまで氷山の一角だと
思います。恐らく年金記録のデータが、基礎番号整備の後に登録されなかったのは、
アメリカとは反対に「本質よりも形式的要件を重視する」という日本の「事務作業の
文化」に問題があったのではないでしょうか。例えば、転職を繰り返していた人のデ
ータは、厚生年金に関して複数の資格取得届と喪失届が存在するわけで、その全部が
正しく入力されていなくてはならないのですが、とりあえず形式的に断片的な届が受
理されていれば、それはそのまま放置されたのではないでしょうか。
また制度の古い時代の記録に関しては、フォーマットが違うなどの理由で登録がで
きずに放置されたのだと思います。仕事の本質を考えるならば、同一人物のデータは
合算されていなくてはならないのですが、とりあえず個別のデータが通っていればそ
れでいい、とされたり、あるいはデータの変換が難しい古いデータは加工して登録合
算するのに慎重になるあまりに、放置されたのではないかと思われるのです。
一連の問題で社会保険庁という組織の事務処理能力は非常に低いことがわかりまし
た。ですが、それは組織の構成員一人ひとりが以前のアメリカのように「引き算がで
きない」という種類の能力不足に陥っていたのではないのです。逆に「計算力を含む
知的な基礎能力は十分」であったにも関わらず「この記録の束を処理しないと」ある
いは「このエラーの山をつぶしていかないと」あるいは「膨大な同姓同名のデータ、
あるいは僅かな入力ミスで別人と思われているデータに関して効率的で正確な名寄せ
をしないと」どうなるか、つまり「年金加入者が受給年齢を迎えたときに正しい支給
ができない」という仕事の本質に思いを馳せる想像力に欠けていたのでしょう。
その結果として、表面的に流れていく仕事の中で組織が問題にしなければ、問題は
どんどん先送りされていったのだと思います。こうした日本の組織の脆弱性というの
は、ある意味でアメリカとは正反対の性格を持っていると思います。アメリカが自国
の文化について反省して、細部や形式にも目を向けつつあるとき、日本もまた逆方向
から自分の弱点を見直すべきなのでしょう。
それにしても5000万件の不明データがオンライン上にあるというのは、理解で
きません。5000万件ものデータがエラーにもならずに宙に浮いたデータとして存
在し続けるような運用、そんなものはデータベースとは呼べないし、そんな状態を放
置するような仕事は仕事は呼べないと思います。そこにメスが入るというのは良いの
ですが、5000万という数字の印象に振り回されながら「一年以内にやってみせる
(安倍首相)」とか「そんな約束は信用ならない(民主党の岡田幹事長)」あるいは
「ソフト開発に時間がかかる(柳沢厚労相)」などと右往左往している姿を見ると、
先は長そうな印象があります。
どうやら2000年のアメリカ大統領選での「フロリダの再集計作業」をバカには
できないようです。あの一枚一枚の投票用紙を丁寧に確認する集計員の姿は、その時
は滑稽でした。コンピュータの時代に、手作業で「紙の原本にパンチされた穴」を
「透かして見る」光景は、それこそ「引き算のできないアメリカ人」という印象論と
重なる部分がありました。ですが、少なくとも、そこには次期政権を左右するという
緊張感はあったのです。また法律で定められた期限というものがあり、時間との戦い
の中で真剣に作業が進められたのは事実です。
今回の日本の年金記録問題についても、同じような真剣さを求めたいと思います。
とにかく年金事務というのは息の長い仕事です。「今」データがエラーになっても、
未入力の元データが放置されていても、当面は誰も困らないのです。ですが、長い年
月の後に本人が年金の受給開始年齢に達した際に、大きな問題が噴出する、そんな仕
事の性格を持っているのです。ですから職業倫理としては非常に真摯なものが要求さ
れるのです。そういうところで、脆弱さを見せるような文化は直してゆかねばなりま
せん。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『メジャーリーグの愛され方』。訳書に『チャター』がある。
最新刊『「関係の空気」「場の空気」』(講談社現代新書)
<http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498444/jmm05-22>
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JMM [Japan Mail Media] No.430 Saturday Edition
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【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】 <http://ryumurakami.jmm.co.jp/>
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