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□ウィキペディアは信用できるか [池田信夫の一刀両断]
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/pcjapan31.html
池田信夫の一刀両断 第31回(PC Japan 2007年5月号)
ウィキペディアは信用できるか
Web百科事典「ウィキペディア」(http://ja.wikipedia.org/)は各国語版を合わせて600万項目を超え,アクセス数でも全Webサイトの10位前後に入る巨大サイトになった。広告も取らない非営利のプロジェクトがここまで成長したのは驚異的だ。その正確さが「ブリタニカ」とそう変わらないという調査結果もあったが,本当にそんなに信用できるのだろうか。
●匿名による書き込みの問題
ウィキペディアの記述には,出来不出来が激しい。科学技術などの客観的な項目はおおむね正確で役に立つが,たとえば「Scientology」や「Neoconservatism」のように宗教や政治のからむ項目は,対立する意見の人々が削除や修正を繰り返す「編集合戦」が起こり,書き込み不能な「保護」状態になっているものも多い。
特に日本語版で目立つのは,個人に関する項目に個人攻撃を書き込む傾向が強いことだ。西和彦氏(元アスキー社長)の項目は,学歴や職歴まで間違いだらけで,本人が怒って編集し,編集合戦が繰り広げられた末,大部分は削除されて保護されてしまった。最近では,2ちゃんねるの「出張所」と化した観がある。
本家の英語版のほうでも,「Comfort women」(慰安婦)の項目に「日本軍が慰安婦を強制連行した」という事実無根の記述があり,私が訂正したら,10日足らずで500回以上も書き換えられるすさまじい編集合戦が起きて,保護されてしまった。「慰安婦は20万人」という過大な表記を修正するとすぐリバート(元に戻す)され,元兵士の「証言」の信憑性に疑問があると注記を付けると,それさえ削除される。強制連行の証拠はないと書くと「歴史修正主義者」というレッテルが貼られる。
しかも同一人物が複数の匿名IP(IPアドレスしか表示されないID)を使ってリバートを繰り返している。1つのIDで3回以上やると「除名する」という警告が出るが,匿名IPならIPアドレスを変えて何度でもリバートできる。編集過程を記したノートを見ても,問題を引き起こしているのはたいてい匿名IPだ。こういう抜け穴は前から分かっているのに,匿名IPが禁止されないのは理解できない。
実はウィキペディアにも,Nupediaという前身があった。これは参加を博士号取得者に限り,7段階ものピアレビューで審査するもので,3年間で24項目しかできなかった。これを閉鎖し,匿名で投稿自由にしたのが現在のウィキペディアである。このように,あまり参加資格を厳しくすると,執筆者が集まらず,結果的にはプロジェクトそのものが成立しない。だからこういうゆるやかな参加資格は,初期には意味があったかもしれないが,ウィキペディアが巨大な存在となったいまでは,参加のハードルをもっと上げて質の向上を目指したほうがよいのではないか。
●善意では解決できない利害対立
ウィキペディアを管理しているのはボランティアのスタッフだが,彼らも運営母体のウィキメディア財団に雇用されているわけではないので,問題が起こった場合の責任の所在ははっきりしない。昨年,アメリカの『The New Yorker』誌の記事で,ウィキペディアで16000項目もの記事を編集し,管理者を務めている「Essjay」というハンドルネームの人物がインタビューを受け,神学の博士号を持つ大学教授として紹介された。
しかし今年になってThe New Yorkerは,この経歴が虚偽だったと発表した。それによれば,Essjayは実は24歳の大学中退者で,博士号も修士号も持っていないし,もちろん大学で教えたこともないという。彼はウィキペディアの編集責任者から外され,関連会社ウィキアを解雇された。今後ウィキペディアは,匿名を認める方針は維持するものの,専門的な経歴を自称するメンバーには,それを証明させるようにするという。しかし匿名で参加できる限り,こうした証明が本当かどうかは検証できない。
ウィキペディアの運営方法は,独特である。そのルールによれば,ウィキペディアの目的は真理を明らかにすることではなく,信頼できる情報源を提示することだという。何が信頼できる情報源であるかは別途定義されていて,たとえばThe New York TimesやBBCは信頼できるが,ウィキペディアは信頼できない。 こういう形式主義は,ウィキペディアが仲間内のメディアだったときはうまくいったのかもしれない。編集合戦などの紛争を解決するとき,それが本当かどうかを議論していると泥沼になるからだ。
しかし慰安婦問題のように「信頼できる情報源」が信頼できないことが事実によって証明されたら,この手続き論は崩れてしまう。The New York TimesもBBCも,ウィキペディアの定義では信頼できるが,それが事実に反することがオリジナルな史料で証明できるからだ。こういう場合,「オリジナルの研究は使うな」というウィキペディアのルールは,正しい情報を棄却する結果になる。
しかもウィキペディアのルールの有効性は,通常の法律より弱い。法律では,最終的に法に従わない者を社会から追放することによってルールを執行するが,ウィキペディアの場合にはルールを無視して書き込むのは自由だし,書き込みを禁止されても別の匿名IPで書けばよいだけのことだ。要するに,ウィキペディアのガバナンスは,参加者の善意に依存しているのである。これは関係者の利害が基本的には同じであることを前提にしているので,信念の対立する問題には必ずしも有効ではない。つまり形式的なルールの有効性は,その中身である利害関係から独立ではないのである。
インターネット上のルールがうまく機能しているのは,利害が対立しない場合に限られる。知的財産権のように深刻な利害対立があると,そういうお気楽なルールは通用しない。インターネットが「大人」になるには,善意だけに頼らず,こうした面倒な問題を処理する権力の問題を考えることが避けられないだろう。
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