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当方の掲示板に日本語の欠点を指摘する見解に対する賛同者の投稿があったので紹介する。
年金問題のミスの原因や背景は、実に欠陥日本語にあると、当方も同じことを考えていた。実に力強い賛同者を得た思いで感無量である。ここまで言っても理解も判断も評価もできないのが、実に論理的思考に欠如し近視眼的な国民性であり、正に日本語を駆使する国民性というものだろう。そもそも議論、討論に相当する日本語が余りにも貧弱で欠如している。英語ならば、次のように実に様々な表現がある。
argument,discussion,debate,dialogue,dispute,
http://8902.teacup.com/hoseido4/bbs
● 国益を損ねる日本語の言語体系 投稿者:匿名希望 投稿日:2007年 6月 5日(火)15時46分37秒
日本語特有の話し言葉と書き言葉が乖離した言語体系は、世界性・迅速性・明瞭性が犠牲になります。
@世界性の欠如
日本語特有の表記体系(漢字かな交じり文)は、漢字圏以外の外国人にとって、非常にハードルが高くなります。何故なら、漢字を習得するのに膨大な時間を要します。漢字圏以外のほとんどの外国人は、日本語習得を初級の段階で諦める傾向があります。それ故に、日本語は世界性を欠如した言語であります。
A迅速性の欠如
漢字は続けて書かないと忘れる傾向にある文字であります。今の時代、事務の迅速化にはワードプロセッサーが必須であります。その結果、漢字は書く作業から打つ作業に移行しました。ワードプロセッサーを良く使う人ほど、手書きでは漢字が思い出せなくなる傾向にあります。
それから、日本語のような読み方が何通りもある言語体系では、読みを確認するにも(辞書などを引く為)時間が取られます。それ故に、日本語は迅速性を欠如した言語であります。
B明瞭性の欠如
日本語は(文明の発展の為に)漢字を受容した言語であります。韓国語や中国語は音節の種類が多い(1000種類以上)ので、漢字を廃止しても特に問題はありません。しかし、日本語は音節の種類が少ない(約100種類)ので、日本語から漢字を廃止すると、同音異義が多くなります。同音異義が多い言語では話し言葉が曖昧になります。
それから、主語抜きの表現は責任主体を曖昧にします。その結果、日本社会の無責任体質に繋がりました。それ故に、日本語は明瞭性を欠如した言語であります。
非世界性・複雑性・非迅速性・曖昧性の日本語は、素早い判断が必要な外交や国際ビジネスに非常に不向きであります。それ故に、世界性・迅速性・明瞭性に欠如した日本語は、国益を損ねる言語体系であります。
最後に、国民年金の記録漏れ問題は、迅速性と明瞭性が欠如した日本語が原因の一つであります。
「名前の読み方が何通りか考えられる場合でも、確認したのでは時間を取られる。常識的な読み方で入力し、わからない漢字は辞書を引いて調べる決まりになっていた」と、元職員は話す。この結果、「フルタニ(古谷)」が「フルヤ」、「ケイコ(佳子)」が「ヨシコ」などの誤りが多発し、せっかく払った保険料が年金額に反映しないという事態につながった。
2007年6月5日読売新聞「年金ずさん 5000万件より」より
● 以下は先の投稿文である。
今や、言語に求められる最大の要素は、実に、世界性、迅速性、明瞭性である
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/777.html
投稿者 仙経顕聖 日時 2007 年 5 月 13 日 11:31:25: BhKV8MVi3DaqQ
さて今や、言語に求められる最大の要素は、経済、政治、軍事力、習得容易性などと関連して、三大要素は、実に、世界性、迅速性、明瞭性であるが、現在の日本語には、それら何れの要素も存在しない欠陥を痛感するものである。現に、優れた技術を有していても、迅速性や戦略的思考に欠けるために、国際競争力を喪失したり、買収、乗っ取りの危機にさらされているのが現状だ。それに、危機感もなく、思考停止で、曖昧無責任情緒性に酔い痴れているのが現状だ。国家的にも、自己主張もなく、追随外交に堕落している有り様だ。
これまでの、曖昧情緒的で柔軟な日本語の長所が、今や、環境の変化(グローバル化)により、曖昧無責任な欠点に変化しているようだ。過去の成功体験(閉鎖島国の地勢的特徴、個性排除の集団主義、曖昧情緒性の日本語)に多くの有識者や国民が酔い痴れているが、これも同様に、今や状勢が逆転して、むしろ破綻の原因とも成っている。何事も、長所が変じて短所になりうるものだ。破綻の真因はこの変化の波を読み取り、適切に対応して危機を乗り切れないことだ。
日本語を絶賛するならば、どうして日本語も経済大国世界第二位の経済力に応じて、世界的な言語に発展していかないのだろうか。海外から見れば、実に、アラビア語以上に難解で、これまで日本語を習っていた外国人も、今や日本経済の衰退と共に、逆に中国経済の大躍進と共に、かなり、関心が中国語にシフトしているようだ。
漢字も、視覚的に印象的な文字の長所はあるが、往々にして、複雑怪奇、魑魅魍魎の世界であり、インターネット化の迅速性には大きく出遅れるように思う。日本語に転化した漢字を始め、本来の平仮名日本語にしても、何処までも書き言葉に適したものである。明治以来の教育も、読み書き、そろばんで来たのも、日本語の特質から来るものだった、然るに、今や、言語に要求されているものは、世界性、迅速性や明瞭性であり、実に、発進力であり、話し言葉、聴き言葉優先、コミュニケーション優先に代わったのである。翻訳を介して情報を得ることにも次第に限界に達しつつあるのである。
実に、国内摩擦を回避するに適するように、敬語文化や遠回し、婉曲、内向き、受け身の表現を多用した日本語であったが、今や、海外摩擦を発生している有り様で、事故主張性、積極性、明瞭性が優先され、且つ重要視されている時代の到来である。日本語のを巡る根本的問題は、今や、国内摩擦回避で行くのか、対外摩擦回避を図って行くことだが、日本語に固執している限り、無理、限界が近付いているようだ。
今や、日本語と日本人像、日本国家の現状や将来性との相関、因果関係に関して、何れも素晴らしいと錯覚、思い上がった見解と、過去はさておき、近未来的には何れも駄目だとする当方の見解とが両極端に位置して対立しております。その中で、日本人像、日本国家の現状や将来性に関して、数少ない先見・洞察性ある有識者の中でも、解決策に至っては、正しい、美しい日本語に終始している有り様である。
また、日本語と日本人像の両者の中間には、日本語は素晴らしいが、日本人は駄目だとする見解から、日本人は素晴らしいが、日本語には構造的欠陥があるという見解、あるいは現在の日本語は混乱し破綻しているとする見解まで、実に様々である。
「国民性変革のためには、思い切って日本語を捨てることだ」との結論は、当方の恩師であった聖心先生がご指摘されたものだ。即ち、伝統文化の頑なな固執、固執よりも、日本国家の安泰、継続、発展が重要だということであった。そして、曖昧情緒的な日本語が無責任を助長すると言うことだった。当方も理解し、納得するのに、実に、国民性の観察や時代環境の変化に気付くのと並行して、20数年も掛かった次第だ。
これは、内海の穏和で平時、平和の環境で考えても理解できないことだ。恰も、荒波の外洋航海に際して、非常事態の難破に際して、積み荷を思い切って捨てて船の沈没を回避するのか、それとも積み荷もろとも沈没していくかの歴史的選択であろう。国家破産や国家非常事態の襲来でしか判断できないものだろう。
それでも因果関係に思いが至るのも極めて少数の者であろうが、当方はそのためにも警鐘を鳴らして、問題提起を図ったものである。現に、深刻な国家財政破綻に際して、誰も責任を取らない一億総無責任体制に成り下がってしまっているではないか。
将来は日本語が世界的言語になるなどと喧伝している者は、恐らく、世界が原始の時代に戻って、以心伝心、阿吽の呼吸で意志が通じる時代になれば、曖昧不明瞭の情緒的無責任な言語感覚も復活していくことだろうが、日本が持続できずに溶解し破綻し崩壊していくことであろう。曖昧無責任で思考停止に陥りやすく。危機感を喪失し、危機管理能力も戦略性もない国民性に、その根本的な問題提起をして、変革を提起しても、どだい無理な話であろう。後は後世の歴史が検証し、適当に解決の結論に導いていくいくことであろう。
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