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□ 談論風発 : 竹島問題研究会が最終報告 韓国側の主張には多くの誤り [山陰中央新報]
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=406702035
談論風発 : 竹島問題研究会が最終報告 韓国側の主張には多くの誤り
島根大法文学部准教授 舩杉力修
島根県の竹島問題研究会が先日、最終報告書を知事へ提出した。二年前、県から研究会委員の就任依頼があった際、当初は断るつもりでいた。しかし委員の一人に相談したところ「県の最重要課題について、島根大が協力しないこととなるが、その覚悟はあるのか」と説得され、専門外であったが引き受けることにした。
竹島問題で活躍された外務省の川上健三氏は京都大で歴史地理学を学ばれ、一九六六年に『竹島の歴史地理学的研究』を刊行した。川上氏は文献資料だけでなく、日本、韓国、欧米の地図を歴史地理学の視点で分析されたことから、「日本海」呼称問題のように、地理学の視点から地図をすべて分析すれば、竹島問題の解決の一助になるのではと思い、引き受けることとした。
二年間はまさに悪戦苦闘の連続であった。特に、内外から全く根拠もないひぼう中傷を受けたことが精神的にこたえた。その結果体調を崩し、昨年秋から大学を休むこととなってしまい、現在も休養中である。同僚や学生に迷惑をかけているなかではあるが、研究者として二年間の取り組みを直接お伝えする必要があると思い、筆をとることとした。
委員就任後に求められたことは、これまでの竹島問題研究についての論点整理であった。しかし人文社会科学分野では、従来の研究のみでは、問題の本質を理解することは難しい。竹島問題に関する原史料にあたり、調査、整理、分析し、ひいては竹島に関する資料集を刊行することによって、問題の本質を理解でき、日韓両国で冷静な議論が初めて可能となる。そのためには二年間では難しく、最低でも五年から十年はかかると私を含めた複数の委員は指摘した。その結果、史料調査が認められ、県民の皆さまからも多くの貴重な史料の提供を受けた。以下、昨年秋までの時点であるが、二年間の成果について簡単に述べたい。これは一委員の個人的見解であり、研究会としての見解ではない。
(1)一六六七年の『隠州視聴合記』にある竹島、松島の記載の解釈には諸説あるが、少なくとも朝鮮領であるとは記されていない。
(2)幕府関係者が編さんしたとみられる「礒竹島事略」には、元禄の竹島一件の際に、松江藩からも幕府へ回答しており、松島(現在の竹島)について所属を記さず、鳥取藩の「両島が因幡・伯耆に付属しない」との回答をもって、現在の竹島を幕府が放棄したという解釈は成り立たない。
(3)安龍福の隠岐での証言のなかで、竹島は鬱陵島、松島は子山島で、両島は江原道東莱府に属すとあるが、当時の地誌では鬱陵島は江原道蔚珍、東莱府は釜山周辺で慶尚道に属しており、安龍福の証言は地理的な混乱がみられ、一個人の地理的認識が朝鮮王朝の地理的認識にはなりえない。
(4)朝鮮時代作製の鬱陵島の絵図を分析した結果、鬱陵島の詳細な絵図が作製されたのは元禄の竹島一件以後で、韓国が独島とする「于山島」は、それ以前には鬱陵島の西側に描かれ、以後は鬱陵島東二キロの竹嶼(韓国名・竹島=ちくとう)とされ、竹島を正確に描いた絵図は一枚も見つからなかった。
(5)海運関係の絵図により、わが国では江戸時代中後期でも、松島は蝦夷地へ向かう北前船の目印として利用され、地理的に認識されていた。
(6)韓国側が根拠の一つとする一七八六年の林子平の「三国通覧図説附図」は、幕府により「地理相違の絵図」として発禁処分されていることから、幕府が認めていない絵図は領有権の根拠にはならない。
(7)一八七七(明治十)年の太政官文書で、「竹島外(ほか)一島」は本邦と関係ないと記載があるが、朝鮮領であるとは記していない。文書の添付資料「礒竹島略図」は、一六九六(元禄九)年に鳥取藩が作製、幕府へ提出した絵図をもとに作製されており、一七二四(享保九)年、水主からの聞き取りをもとに、鳥取藩が元禄絵図を修正して幕府へ提出した絵図ではない。明治十年前後に日本政府が発行した地図では、すべて現在の鬱陵島を松島としており、本邦と関係なしとした島は、現在の竹島である可能性はほとんどない。
(8)韓国側が独島とする、一九〇〇年の大韓帝国勅令四一号に記される「石島」は、当時の地図・地誌、現地調査の結果、現在の竹島である可能性はほとんどなく、鬱陵島の属島、観音島である可能性が高い。
(9)水路部発行の海図および『朝鮮水路誌』には、現在の竹島は朝鮮領であるとの記載はみられず、朝鮮領は鬱陵島を東限としており、一九〇五年の島根県編入以前に、日本政府が現在の竹島を韓国領と認識していたという解釈は、明らかに間違っている。
以上のように、外務省の固有領土論はともかくとして、現在の竹島を韓国領とする主張には、誤りが多々あることが次第に明らかとなってきた。しかしこれはわずか二年間の成果であり、韓国側の史料も含め、今後も史料の調査・分析が必要である。そのためには史料に通じた専門職員の配置、県立公文書館の設置といった早期の体制構築が必要である。
ふなすぎ・りきのぶ 兵庫県出身。筑波大大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得。1999年、島根大学法文学部専任講師に着任。2002年から現職。専門は人文地理学(歴史地理学)。05年より今年3月まで竹島問題研究会委員。
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