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□鮮明に残る中国思考 [メディア・レボリューション]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070530-07-0801.html
2007年5月30日
鮮明に残る中国思考
先月、ワシントンのブルッキングス研究所で開催された中国シンポジウムに参加して、何故か3つのことだけが鮮明に記憶に留まった。
第一は、ポスト・フージンタオ(胡錦涛)として、どのフー(誰)が来るかとの問題提起で、必ず法律の学位を持ったリーダーになるとのことであった。現在の中国のリーダーは、エンジニアの学位を持った人物が主流である。ところが、次期のリーダーと予測される何人かの人物は、博士号などの高学歴者である。彼らは、mid-term career(中間管理職高等教育制度)で、学位を取得しており、ほとんどの場合が自動的に法律・政治関係となるので、法律を知らなくても学位は、法律となるとの話であった。哲学を勉強してなくても学位はPhDとなるのと同じ論理らしい。
第二は、中国は非常に雄大で奥が深いとの視点である。基調講演者のSidney Rittenburg氏は、64年間ずっと中国を研究し、遂にあと、1・2年で初歩的な学校を卒業できるようだと語っている。具体的には、中国の歴史、思想、人民、経済、外交、安全保障のどれをとっても長期的であり、深遠であり、21世紀は、その中国のビジョンが、グローバル社会に大きな影響を与えつつあると考えられる。
第三は、毛沢東の魅力である。毛沢東は、複雑な問題を詩のようなシンプルなフレーズで伝え聴かせる能力に長けており、国民の熱狂的な支持を確かなものにした。毛沢東と比較すると、現在の中国は官僚的であり、人民を魅了する強烈な個性のあるスピーチは聞かれなくなったとの話があった。
終日のシンポジウムに出て、この3つしか印象的な中国思考を学ぶことができなかったのだが、多分これらは、今後の中国を考察するのに実に重要な要素を含んでいると思われる。
とりわけ、毛沢東の表現能力を我々アジア民は、再考する必要がある。毛沢東の実践論や矛盾論を読み、思想・哲学よりむしろ、そのシンプルさに感銘を受けた。そこにはいかにも中国的な魅力が漂っている。
アメリカ的な表現でなく、アジア的な表現は、世界を燃え立たせる魅力を秘めていると思う。アジア的な表現は、複雑な問題を詩や俳句のように情緒的に語る能力だと思う。争いのための表現でなく、地球環境問題など地球益につながるアジア的な表現能力を養うことは非常に大切だと思う。
毛沢東とオペラが好きな日本の前首相の共通項は、ワンフレーズで時勢を語り伝える能力だと考えられないだろうか。原稿を棒読みするのでなく、複雑な外交・安保・国際経済などの問題をできる限りシンプルに、そして余韻のある講演を行うことが重要だと考えられる。特に、軍事というハードパワーで世界の平和を構築することができぬ日本には、その能力が期待されてる。(中野 有)
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