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(回答先: UFOとは畜生死霊魂による幻影である←はどうなったの? 投稿者 矛盾大好き 日時 2007 年 5 月 15 日 08:38:18)
「UFOとは畜生死霊魂による幻影である←はどうなったの?」に関して、どうもこうもなく、UFOとは畜生死霊魂による幻影であることに、些かも考えの変更はありません。
既に指摘したように、写真に写ったりしても、未だかつて捕獲した試しもありません。NASAなどが隠匿しているとかの情報もありますが、殆どが眉唾であろうと思います。先日、米国の某テレビで、UFO特集をやっておりましたが、殆どの方が、これまでにも見えたり写ったりしたが、実際に捕らえたこともないと感想を漏らしておりました。正に当方が指摘するように、次第に幻影でしかないと理解されることでしょう。
恰も、意志があるように、光や音を発したり、移動したりして、生命体や人工物のように振る舞いますが、それでも幻影であることに相違ありません。ただ幻影と言っても、単なる湯気や水蒸気、蜃気楼的な幻影ではなく、畜生死霊魂によるものであり、あくまでも霊体であり、一種の生命体であるものですが、捕獲され得ないという意味で幻影であると指摘しているものです。
これはかつて、仏画などにも描かれた普賢菩薩や文殊菩薩などの各種菩薩群、そして天女、天馬などと同じ現象なのです。これはある意味では、死霊魂である故に、地球外生命体とも、宇宙人とも言えるものでありますが、所詮は、魔の仕業であることに相違ありません。この魔は、人体の内部にまでで潜入して、同居したり、付着したり、憑依したり、中には、植物人間のように、人間の魂と完全に入れ替わってしまったケースもあります。
ところで、こうした畜生死霊魂による魔働、幻影、幻覚、幻象は、身近でもよくあり得るものです。例えば、誰もいないはずの山寺で鐘が鳴ったり、人の姿が見えたり、話し声を聴いたり、様々な現象となって現れますが、単なる錯覚もあれば、明らかにある種の意志を有した畜生死霊魂であることも多いものです。畜生死霊魂と言っても、人間以上の神々しい光輝ある霊魂に向上したものもあり、ある種の神仏、菩薩にまで高まっている存在もあります。それでも、真の神仏ではなく、魔の神仏であることに変わりはありません。
畜生死霊魂はその時の人々の心や意識、関心や期待に応じて、様々な姿に変幻自在に変化してみせるものであります。それを幻影としているものであり、その証拠に、これまでにも姿形や移動が見えたりしても、捕獲されたりしたこともなく、今後とも有り得ないものです。
http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/seishinsensei1.html#3-6
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