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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu142.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本は戦争目的の一つとして、人種差別の撤廃をあげている。
インドネシア、ビルマ等で、日本は現地軍を養成した。
2007年4月24日 火曜日
◆大東亜戦争とアメリカの失敗 杉本 幹夫
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugimoto6.html
アメリカの開戦理由と結果を考えると、アメリカは何を考えていたのか、さっぱり分からない。アメリカはあれだけ多大の犠牲者を出しながら、目的を達成するどころか、逆に中国からシャットアウトされたのではなかろうか。
第二次世界大戦にアメリカが参戦した最大の目的は、中国との貿易の拡大ではなかったのか。その為に日本が中国の主権を侵害していると叫び、ヒトラー、ムッソリーニと同様な独裁国家だと非難した。
しかしアメリカの主張では民主的リーダーである筈の、スターリン、蒋介石は最悪の独裁者ではなかったのか。日本の独裁者と言われた東条首相でも政権を握ったのは、僅か三年弱に過ぎない。民主国の代表者ルーズベルトは一九三三年(昭和八年)より大統領を勤めており、東条首相より遙かに権力を持っていた。
軍部独裁と非難されるが、陸軍省と参謀本部は意見が対立することがしばしばあるし、陸軍省内の意見も同じではない。又部長といえども、大臣の意向で簡単に転勤となる。独裁権を持った人など一人もいない。
アメリカ人ジャーナリスト・ラルフ・タウンゼントはルーズベルトの対日批判が如何に間違ったいるか、鋭く追求している。彼は別表を提示し、「アメリカにとって日本は如何に重要な貿易相手であるか」「又日本が中国に関与する事により、中国本土との貿易は停滞しているのに、満州との貿易は着実に増えている。日本が中国の対米輸出を阻害しているというのは、事実に反する」と追求している。又基本的に日本が輸出する製品はマッチ、石鹸等の軽工業製品であり、米国は鉄鋼・機械等のハイテク製品であり、競合する製品は少ないのである。
一方日本は戦争目的の一つとして、人種差別の撤廃をあげている。インドネシア、ビルマ等で、日本は現地軍を養成した。敗戦になると一部の武器・弾薬は、命令に違反して現地軍に引き渡され、同時に一部の日本兵は脱走し、現地軍に加わり、共に独立戦争を戦ったのである。そして独立を勝ち取った。
このビルマ・インドネシアの独立は、アフリカ諸国の独立運動、アメリカの黒人解放運動に波及した。今では国連事務総長やアメリカの国務長官も黒人となり、人種差別はなくなった。日本が主張した人種差別が実現したのである。
アメリカでは戦後米ソの対立が始まり、一九五〇年(昭和二五年)共産党員弾劾のマッカーシー旋風が吹き荒れた。多くの人が弾劾されたが、その中にはアルジャー・ヒス、ハリー・デクスター・ホワイト、ロークリン・カリー等がいる。アルジャー・ヒスは戦後の枠組みを決めたヤルタ会談に、ルーズベルト大統領の顧問として参加している。
ハリー・デクスター・ホワイトは実質的な対日宣戦布告といわれる、ハル・ノートの原案を作った人と言われている。その原文は、何とソ連の諜報員、ピタリー・パブロフより渡されたとの事である。又ロークリン・カリーはアジア問題担当大統領特別補佐官であった。(蒋介石秘録ではキューリーとしている)。更にエレノア・ルーズベルト夫人は共産主義のシンパとして有名である。
そして彼らに情報を送ったのは、エドカー・スノー、ティルマン・ダーディン、アグネス・スメドレー、タイム誌の創立者で経営者ヘンリー・ルース等である。彼らはすべて共産主義にかぶれていた。南京虐殺事件を報じたティンパリーは国民党宣伝部の顧問であり、ベイツも国民党政府顧問であった。アグネス・スメドリーは尾崎秀実を洗脳した人物である。
インターネットで「マッカーシー旋風」を検索すると最初に出てくるのが、オーエン・ラティモアである。
産経新聞社『蒋介石秘録』によれば、共産党の手先になったのは太平洋学会であり、太平洋学会が国際共産党の宣伝機関であったことは上院司法委員会の調査報告で明らかにされたとのことである。その機関誌『太平洋評論』の編集者がラティモアであった。そしてラティモアの背後にコミンテルンがいたことは確実であったと書いている。又ラティモアは戦後天皇制の廃止を主張し、天皇と天皇位継承の資格のあるすべての男子を中国に流して抑留し、国連の監視下に置くべきだと主張した人である。
その太平洋学会のメンバーにはアジア問題担当大統領特別補佐官ロークリン・カリーがおり、カリーは中国通として大統領や蒋介石に影響力を発揮した。又ラティモアはカリーの推薦で、蒋介石の政治顧問になっている。尚日本人では尾崎秀実、西園寺公一も又会員であった。
ルーズベルトはカリーを重慶に派遣するに当たり、蒋介石宛の下記の趣旨の書簡を託した。「中国共産党は我々の言う社会党のように見える。農民や女性、日本に対する彼らの態度に我々は賛成する。私は共産党と国民党の間には、矛盾より類似点が多いと考えている。私は双方が矛盾を除き、抗日戦争という同じ目標のために、一層密接に協力することを希望する」。ルーズベルトが完全に洗脳されていたことが分かる。
これに対し、蒋介石は「中国共産党の実態は、彼らが米英で言いふらしていたものとは絶対に違う。もし米英の自由主義のようなものだというなら、これは共産党が世を欺いているのである。共産党は抗日戦以来、抗戦に名を借り、一方でその組織を発展させ、他方では我が政府の力をそぐと共に、我が政府の抗戦が失敗するようにしきりに策している。共産党の目前の策略は、もっぱら中米間の感情を離間させることにある。……
……彼らは挑発手段によりまず中国を孤立させ、その後ソ連と手を結ばせようと狙っている。中国共産党はコミンテルンが中国の中に持ち込む第五列であり、完全な売国集団である」と書いている。
この蒋介石の読みが間違っていなかったことは戦後明らかになった。否それ以上に毛沢東が悪辣であったことが近年明らかになってきている。
一九四四年(昭和一九年)一〇月より中国戦線アメリカ軍司令官を務めたウェデマイヤー将軍の「ウェデマイヤー回想録(Wedemeyer Reports)は、日本では「第二次世界大戦に勝者なし」の名前で、翻訳出版されている。彼の前任者スティルウェルは一九一一年(明治四四年)初訪中後、三度、通算一〇年の中国勤務をした。中国語を読み書きできる米軍きっての中国通であった。
一九三八年(昭和一三年)、大使館付き武官として中国に勤務していた彼は、アグネス・スメドレーと知り合い、すっかり洗脳された。尾崎秀実を洗脳したのもアグネス・スメドレーだった。一九四二年(昭和一七年)より中国戦区参謀長兼同地区米軍司令官に任命されている。彼はアメリカの貸与物資の管理責任者も兼ねていた。そして実質的に殆ど戦っていない共産軍に軍事資材を回し、共産軍の強化を助けた。この姿勢が蒋介石との対立を激化させ、ウェデマイヤーとの交替となったのである。
しかしその三年弱のスティルウェル在勤中に共産軍はすっかり強化され、後の国共内戦勝利の元となったのである。この間スティルウェルの幕僚は蒋介石政権を非難し続け、共産党を支持し続けた。彼らの執拗な情報により、米国の国務省、陸軍省、財務省等、各部門のスタッフは完全に幻惑された。
一九四五年(昭和二〇年)六月不審を抱いた駐華アメリカ大使、ハーレーの要求によりFBIが調査したところ、左翼分子の機関誌「アルメリア」の金庫から機密書類が大量に発見された。しかもこれら機密書類は大使館員サービスの手を経由して、毛沢東に流されていることが発覚した。更にこの情報はソ連にも流されていた。これによりサービス等六人はスパイ容疑で逮捕されたが、もみ消された。逆にこの事件を摘発した国務長官代理グルーが解任されたのである。
終戦が確定的になると、共産党が一気に立ち上がった。各地で支配権争いが始まったのである。特に満州が争奪戦の最大の戦場となった。
満州はヤルタ会談でソ連の参戦と引き替えにソ連に売り渡されていた。中国は八月一四日、中ソ友好同盟条約で追認せざるを得なかった。
ソ連は満州の鉱工業施設は勿論、満鉄のレールから枕木まで外して持ち帰ったと言われる。この時日本軍はすべての武器・弾薬をソ連軍に引き渡した。その明細書の写しが発見された。その明細書の中には日本軍が遺棄したとされている毒ガス弾も含まれていた。(『正論平成一八年六月号』)
中ソ友好同盟条約ではソ連軍は三週間以内に撤退することになっていたが、居座りを続け、共産軍が配置に着いてから、こっそり撤収した。最初の事件は四六年(昭和二一年)三月瀋陽で起きた。政府軍が到着すると四方から共産軍が襲いかかったのである。しかし十分準備していた政府軍はこれを撃退した。
その後政府軍は四平街、長春を陥落させ、ハルピンに迫ったとき、マーシャル元帥が大統領特使として調停に入ったのである。
これはこの内戦の調停に当たり、蒋介石よりのハーレー大使と、共産党よりの国務省が対立し、ハーレー大使が辞任したのである。この後任として選ばれたのが、終戦により参謀総長を退任していたマーシャル元帥である。
マーシャルはスティルウェルを完全に信用しており、ウェデマイヤーの意見を聞こうとしなかった。マーシャルの意見は中国のことは中国に任せ、米軍は早急に引き揚げるべきだと云うものであった。その為に国共の調停をすべきだというものであった。そしてこの意見は、夫や子供の一日も早い帰国を願う国民の声でもあった。しかしその裏に共産主義者の扇動があったのである。
一方ウェデマイヤーは「蒋介石と共産党の妥協はあり得ない。中国共産党はモスクワの指令下にあり、この事はアメリカの援助を犠牲にして、国民党政府にモスクワへの服従を要求するものであった。」と非難している。かくてウェデマイヤーも退任した。
『マオ』によると、マーシャルは一九四六年(昭和二一年)五月末、まさにハルピン陥落の寸前、「蒋介石がこれ以上敗走する共産軍を深追いするならアメリカは蒋介石を援助しない」と停戦を要求した。この休戦は四ヶ月に及んだが、この間に共産軍はソ連の援助ですっかり立て直された。ソ連は日本軍から奪った武器・弾薬を日本人捕虜数万人と共に共産軍に引き渡した。この日本人捕虜部隊による訓練で共産軍は強力な戦闘部隊に変身したのである。
要するに米国政府の下に入れられた情報はすべて共産党側からのものであり、意思決定にもソ連の意思が強く働いていたのである。更に共産党問題は単に中国の国内問題だと思いこまされていた事である。
戦後日本・朝鮮で共産党員を釈放したことが如何に社会混乱を招いたか、僅か数年で再び、共産党員の追放をせざるを得なくなった事など、アメリカが如何に共産党の恐ろしさに無警戒だった事が分かる。
マッカーサーは一九五一年(昭和二六年)、米国議会上院の軍事外交合同委員会で「日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった」と証言している。日本統治五年の経験で大東亜戦争の開戦がアメリカの誤解から始まったことを痛感したからであろう。
大東亜戦争・朝鮮戦争でアメリカ国民にも多大な犠牲者を出した。彼らも又共産主義の被害者であったのである。
[参考文献]
産経新聞社『蒋介石秘録』
三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』自由社
A・C・ウェデマイヤー『大東亜戦争に勝者なし』講談社学術文庫
ユン・チアン『マオ』講談社
ラルフ・タウンゼント『アメリカはアジアに介入するな』芙蓉書房出版
『正論平成一八年六月号』
(私のコメント)
「株式日記」ではソ連とアメリカは兄弟国家であると書いてきましたが、二つともユダヤ国家であることが共通している。ソ連という国家もロスチャイルドなどのユダヤ財閥の支援があって革命が成功して出来た。しかしスターリンの裏切りやジューコフ元帥のクーデターによってユダヤ人はソ連から一掃された。
アメリカも潜在的にユダヤ国家であり、ユダヤ人たちの支援がなければ大統領選挙に勝つ事は出来ない。アメリカの対中国政策もF・D・ルーズベルト大統領当時の中国を見ればよく分かりますが、共産主義国家中国の生みの親はアメリカだ。国民党の蒋介石もアメリカに裏切られて台湾に逃れた。
このようなユダヤ人たちの世界戦略が見抜けないと現代史を理解する事は難しい。日本の政治家達もアメリカがユダヤ国家であると見抜いている人がどれだけいるだろうか? 戦後のアメリカで一時マッカーシーの赤狩りが行なわれてアメリカ政府から共産主義者が追放された時もありましたが、その時代を除けば基本的に変わらない。
特にアメリカの国務省はマッカーシーに糾弾されたように隠れ共産主義者の巣窟であり、その伝統はいまでも生きている。タカ派のラムズフェルドが追放されて隠れ共産主義者のライス国務長官が主導権を持つようになって、北朝鮮政策が180度転換したのもそのせいだ。従軍慰安婦問題で日本に批判的なのも国務省であり、ヒル国務次官補は親中派の中心人物だ。
戦前の日本は反共の防波堤としてソ連と対峙しましたが、ソ連は中国共産党やアメリカにスパイを送り込んで防波堤の切り崩しにかかった。もちろん日本にも共産党の工作員を送り込んで中国との戦争に引きずり込み、泥沼に嵌ったところでアメリカが背後から日本に襲いかかった。
日本は戦争に敗れて政府から要人が追放されて共産主義者が解放されて日本も隠れ共産主義国家になった。戦後の米ソの冷戦は共産主義と隠れ共産主義の主導権争いであり、このような世界構図が分かっていないと日本は中国共産党とアメリカの国務省の隠れ共産主義によって挟み撃ちになって潰される恐れがある。戦前の近衛文麿首相はこのような構図が見えていなかったのだろう。
結果的に日本の大陸進出は大失敗に終わり、満州や朝鮮半島や台湾などを失った。アメリカは中国共産党を支援して蒋介石を見捨てた。ルーズベルト大統領の周りは共産主義者に固められ、ソ連の指示でアメリカは中国共産党を支援したのだろう。アメリカもまた限りなく共産主義国家になりつつあった。それを転換させたのがマッカーシーの赤狩りであり、朝鮮戦争の勃発でアメリカも共産主義の脅威に気がついた。
日本にはユダヤ社会が存在しないから共産主義とは何かも分からず国際政治の荒波にもまれて転覆してしまいましたが、日本の大陸進出が共産主義の罠である事に気がつくべきであった。そしてアメリカの正体もユダヤ国家であることに気がつくべきであった。しかしアメリカには反共主義者も沢山いて外交政策のブレが大きい。
日本は大アジア主義や人種差別の撤廃をスローガンに大東亜戦争に突入したが、アメリカは日本を軍国主義と決め付けてナチスドイツと同じに扱った。東京裁判はニュルンベルク裁判と並んで日本は大虐殺を行なった軍国主義として裁かれた。その構図は現在の日米間でもそのままであり、従軍慰安婦問題でアメリカ政府の態度は東京裁判の頃と変わりがない事がはっきりした。
◆ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。 2004年6月23日 株式日記
http://www.asyura.com/0403/bd35/msg/1186.html
《 しかしスターリンとジューコフの裏切りによりソ連のユダヤ人は逆粛清にあい、多くのユダヤ人が殺された。ユダヤ運動には二つの流れがあり、一つは共産主義運動でもう一つはシオニズムだ。共産主義運動はソ連の崩壊で滅びましたが、シオニズム運動はアメリカで盛んでありアメリカのイラク侵攻はこのシオニズム運動の一環だ。この点からもアメリカはユダヤ国家であることが言える。 》
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